第一 事実とされているイギリスの3枚舌外交⑸総括
目次
⑸ (イギリスの3枚舌外交に関しての)総括
【イスラエル・パレスチナ問題への評価】
ⅰ虚偽が疑われるイギリスの誓約項目の1
ⅱ虚偽が疑われるイギリスの誓約項目の2
ⅲ虚偽が疑われるイギリスの誓約項目の3
【イスラエル・パレスチナ問題への評価】
本項はまとめとして,
あくまで,「イギリスの3枚舌外交」と「現在パレスチナ問題」との関連性についての評価である。
その他,
可哀想なヒジャーズの人々,不届なイギリス政府という一面については,次節【第二 『真実は,いつ,どうして,『事実🟰非真実』にすり替えられたのか?】に続く。
本項の趣旨は,
『パレスチナ問題の原点がイギリスの3枚舌外交に有る』との嘘・偽りについて,
現在イスラエル政府・ユダヤ人
現在パレスチナ解放同盟・アラブ人
現在イギリス政府
3者が3者とも『イギリスの3枚舌外交に起点が有る』を肯定している(少なくとも否定していない)ことより,
パレスチナ問題に全く無関係のフサインマクマホン密約の中身/果たされなかったイギリスのヒジャーズへの誓約について,各項目について,其々の受益者を明確にして,本項・第一の終わりとする。
これは,頭書にまとめた問題点,
❶英国は,パレスチナ人を騙したことが事実になっている
❷その事実のうちの1つ,
フサインマクマホン密約が,パレスチナ人の公益を約束したものである
❸騙された人は,フサイン:イブン:アリーである
❹フサイン:イブン:アリーとその民は,
1926/1までに,600年間領有してきたイスラム教の聖地メッカであり故郷でもある地をサウジアラビアに奪い取られ,国を持たぬ民になった
❺ここまで,
ユダヤ人の関与無し
↑これへの答えである。
違反項目は3つ有り,個々に,
①フサインマクマホン密約の違反条文(何条)
上記❷への回答
②密約時の現状〜架空と知れた時期
③筆者初見
上記❸❹と現状の関連性への考証
(❶❺の無関係はすでに確定している)
このように構成する。
繰り返すが,
フサインマクマホン密約には,イスラエル・パレスチナの地をヒジャーズ王国建国の地/ヒジャーズ王国国民の密約時居住地として認めるとの告知❶❺に関連は無い。
ヒジャーズは,パレスチナではない。
ⅰ虚偽が疑われるイギリスの誓約項目の1
それでは,フセインマクマホン密約を見返してみよう。[タイトル]
マクマホン-フサイン通信(マクマホンからのフサイン(1915年10月24日付けの)への手紙)
[全文]
メルスィナ/アレクサンドレッタの2つの地区を結んだ線とダマスカス/ホムス/ハマ/アレッポより西方に存在しているシリアの領域は,これは全くアラブ人居住区と定義することができず,要求される国境から除外されなければなりません。
上記の解釈を受け入れてくれる前提で,アラブ・チーフ(フサインだけでなく関連盟約を結んでいる全てのアラブ人)と我々の存在している下記条文は後で解釈変更することなく,英国政府はそれらの要求を受け入れます。
英国が陛下の盟友(フランスのこと)の利益を損なわずに行うことが可能である上記を除く領域ですから,その除外区域中に存在する限り,あなたの領土要求する地方に関しては,私は,あなたの要求すべてに保証を与え,また下記のごとく追加の保証を確約し,あなたの手紙で尋ねられた項目への答えとしてお返しします。これは英国政府の名において,あなたの正当な権限として与えられます。
1. 上記の修正を前提として(2行上の除外区域を繰り返し),イギリスは,メッカのシェリフ(フサイン個人)によって,要求される制限内のすべての地方でアラブ族の独立を認めて,これを支持する用意ができています。
2. 英国としては聖地(メッカのこと)へのすべての外部による攻撃性に対し,侵略者の不可侵を確約します。
3. 万が一侵略が起こった時,英国はアラブ族に陛下のアドバイスを与え,彼ら(侵略者たる第三者・この時想定される唯一の侵略者とはサウジアラビア)にとって,いかなる境界線が,それらのいろいろな国境線として,最も合法的な見極めとなるかについて,あなたがそれを立証することを助けます。
4. 他方,アラブ族が後見国として英国だけに守護を求めることに決め,そして,安全保障体制の形成のために,必要に値すると思われるヨーロッパのアドバイザーと当局が英国軍であることも理解されます。
5. バグダッドとバスラ両州に関し,アラブ族は,英国の確立した位置および利益について,両州領域を外国の攻撃から守るために特別に駐留を必要とすると認めます。そして,地元の住民の福祉を進めて,我々の相互の経済利益を保護します。
私(ヘンリー:マクマホン)の宣言は,陛下のアラブ族に対する愛を疑うアラブ人がいるという問題に対し,すべての難題を越えてくださったあなた(フサイン)であるからこそ,良好に安定し長続きする提携に終わることを確信しています。そして,それの差し迫った結果はアラブ国からトルコ人を追放します。トルコの軛から,長年の間,重く圧迫され続けたアラブ民族を解放しましょう。
①フサインマクマホン密約の違反条文(何条)
1条
②密約時の現状〜架空と知れた時期
オスマン帝国支配地域で(文中)「英国が陛下の盟友(フランスのこと)の利益を損なわずに行うことが可能である上記を除く領域ですから,」との前文より,イギリスは,イギリスの他にアレッポからダマスカスにかけて管理国は不在と告げているわけなので,その前提に対して偽りと言える。
〜
それが判明したのは,2018/10/30テドロス休戦協定である。
③筆者所見
まあはっきり言って,オスマン帝国は「フランスには降伏するけどイギリスに降伏するわけではない」という実態なのだ。
古来,敵陣営の一国を仲介として,敗戦国側が少しでも自分に有利な停戦条件を整えようとすることは別に珍しいことではないし,フサインマクマホン密約は条約でも国際宣言でもないから,フランスがフサインマクマホン密約に準じる義務も無い。
オスマン帝国とフランスは,避けられなくなったオスマン帝国の敗戦と,戦勝国とは名ばかりで被害甚大・損害著しいフランスの戦後復興を図って,イギリス・アラブ連合軍とオスマン帝国の間に緩衝地帯を設け,フランスはその緩衝地帯の施政権を得ることで被害回復に充当を目論んだとても,それ自体は何の違法性も無い。
ここで重要なのは,ドイツ第二帝国は,この時,東部戦線においてはブレスト=リトフスク条約によってロシアの後継国家ソビエトに対して戦勝していて,その全軍をフランスに差し向けることが可能な状況であった。
第二帝国とフランスの軍事境界線はパリの北東から南北にかけての塹壕戦ラインで,完全にフランス側が消耗の激しい戦況である。フランスは一刻も早くオスマン帝国と停戦して,全軍を第二帝国との戦線へ投入せねばならない差し迫った状況に追い込まれつつあり,フランスがロシア同様,半ば降伏に近い停戦を第二帝国と交わしたならば,イギリスはヒジャーズ支援どころではない。
こういった背景を見れば,フサインマクマホン密約の前提を覆してしまったことについて,ある程度ヒジャーズ側もその前提ではなく,1条が結果として履行されれば,違約と賠償請求せねばならないほどの違反には当たらないのではないか?
事実,ファイサルはこの後,最終的にアレッポからダマスカスにかけての領域がシリアとしてアラブ建国地に含まれるよう,これを以て国際シオニスト会議との誓約発動の条件とするとファイサルヴァイツマン合意で国際宣言しており,イギリスもまた,フランスに対して強度にアラブへの独立地とするよう圧力をかけていくことになる。
(その1のついて)
以下,1つの真実/2つの判定を表しておく。
真実
1条は,破られた
判定
A
ファイサルは,ある程度已むを得ないことを許容している。
イギリスは,密約を実現する努力を惜しんでいない。
国際シオニスト会議は,ファイサルを支持している。
B
イギリスの1条違反は,イスラエル・パレスチナの地と関連性は無い。
ⅱ虚偽が疑われるイギリスの誓約項目の2
①フサインマクマホン密約の違反条文(何条)
2条および3条
②密約時の現状〜架空と知れた時期
2. 英国としては聖地(メッカのこと)へのすべての外部による攻撃性に対し,侵略者の不可侵を確約します。
3. 万が一侵略が起こった時,英国はアラブ族に陛下のアドバイスを与え,彼ら(侵略者たる第三者・この時想定される唯一の侵略者とはサウジアラビア)にとって,いかなる境界線が,それらのいろいろな国境線として,最も合法的な見極めとなるかについて,あなたがそれを立証することを助けます。
〜
Wikiより サウード家が関連する第一次世界大戦期および終戦直後の戦闘としては、en:Battle of Jarrab(1915年)、en:Al-Khurma dispute(1918年 - 1919年)、クウェート・ナジュド国境戦争(英語版)(1919年 - 1920年)がある。
ナジュド・スルタン国
1921年にはラシード家を滅ぼしてナジュド・スルタン国が成立した(en:Conquest of Ha'il)。en:Ikhwan raids on Transjordan(1922年 - 1924年)。
ナジュド及びヒジャーズ王国
ヒジャーズからハーシム家のフサインのヒジャーズ王国勢力を駆逐し(en:Saudi conquest of Hejaz)、1926年には現サウジアラビアの版図を征服(ナジュド及びヒジャーズ王国)。en:Ikhwan Revolt(1927年 - 1930年)。en:Ikhwan raid on Busayya、en:Battle of Sabilla、en:Battle of Jabal Shammar (1929)。
↑この経緯を経て,1921年からと見るか1926年からと見るか微妙だが,少なくとも,1927/5/20,イギリスとサウジアラビア間に,サウジアラビアによる旧ヒジャーズ王国の版図の征服・領有化を認めるとの条約が締結された時。
③筆者所見
これは一目瞭然だろう。
イギリスは,聖地メッカがサウジアラビアに侵略されることについて,一切の防衛行動を起こしていない。
(その2について)
以下,真実/判定を表しておく。
真実
2条 3条は破られた
判定
不可能。
ここで不自然なのは,ファイサルは1927年のジッダ条約時には亡き人であり,事実上のヒジャーズ王国の後継者ファイサルの兄アブドゥラの行動ということになるわけだが,アブドゥラは,これによってイギリスとの関係を解消していない。
ヒジャーズへのイギリスの背任は,どの程度の重さなのであろうか?
そもそも,フサインマクマホン密約とは,フサインとマクマホンだけの取り決めで,フサインの息子たちはフサインマクマホン密約を不知である可能性はないか?
または,
フサインマクマホン密約が,実は密約すら存在しない後世の捏造である可能性はないか?
若しくは,
英文であるマクマホンの回答は,ヒジャーズ側通訳によって正しくフサインに通知されず,まったく違う概念として理解されてしまっている可能性はないか?
いずれにせよ筆者の所感によれば,この2条3条違反は,ヒジャーズとしてイギリスを許せる範囲を超えている。
同時にヒジャーズ側として,なぜ許されないのがユダヤ人になるのか?
サウジアラビアではないのか?
新たなる疑問がわくばかりで【なんらかの隠された真実が他に存在する】と,一旦これを判定としておく。
ⅲ虚偽が疑われるイギリスの誓約項目の3
①フサインマクマホン密約の違反条文(何条)
4条および5条
②密約時の現状〜架空と知れた時期
4. 他方,アラブ族が後見国として英国だけに守護を求めることに決め,そして,安全保障体制の形成のために,必要に値すると思われるヨーロッパのアドバイザーと当局が英国軍であることも理解されます。
5. バグダッドとバスラ両州に関し,アラブ族は,英国の確立した位置および利益について,両州領域を外国の攻撃から守るために特別に駐留を必要とすると認めます。そして,地元の住民の福祉を進めて,我々の相互の経済利益を保護します。
密約時の1915,バグダッドからバスラ両州,すなわち現在イラクの主要都市群は,オスマン帝国の領域として,迫り来るサウジアラビア軍に対峙するという地政状況である。
オスマン帝国が退却した場合,普通に考えて,サウジアラビアの軍事侵攻が起こることは火を見るよりも明らかな状況と言える。
しかし,イギリス外交はバグダッドからバスラにかけてのイラク主要部を,フサインらヒジャーズ王国の関連国家として独立させた上,安全保障上の問題があるだろうからイギリス軍を駐留させると約束している。
〜
結果として,シリアはヒジャーズ王国の関連国家として独立を成し遂げる。
しかし,イギリス軍は最後まで駐留を続けたわけではなく,ファイサルの執拗な要請にも関わらず,シリア全土から撤収しているのである。
③筆者所見
(その3について)
真実
4条および5条は,破られた。
判定
フサインマクマホン密約は,ただの1行も履行されることは無かった。
100%イギリスの債務不履行である。
イギリスは債務不履行だけでなく,ヒジャーズを滅亡させた従犯であるわけだが,ヒジャーズ滅亡には主犯に当たる共犯が有る。
サウジアラビアこそが,ヒジャーズ王国を侵略して滅亡させた真犯人であり,イギリスは,フサインマクマホン密約を黙殺することで,事実上サウジアラビアの侵略を見逃し,最終的にジッダ条約でサウジアラビアのヒジャーズ併合を国家承認した当事者である。
(最後に)
ここまでお付き合いいただいた皆様,ありがとうございました。
一部はこれで終了です。
結論は,
1️⃣イギリスはハシム家🟰ヒジャーズ王家を騙したとんでもない碌でなしである。
2️⃣ハシム家🟰ヒジャーズ王国は,イギリスのペテンに引っかかり,サウジアラビアに王国の拠点を乗っ取られた。
3️⃣ そして,ユダヤ人は,サウジアラビアのヒジャーズ侵略に何の関与も無い。
繰り返す!ユダヤ人は,サウジアラビアのヒジャーズ侵略に何の関与も無い。
4️⃣イギリスの3枚舌外交はパレスチナ問題との関連は一欠片も無い。
繰り返す!イギリスの3枚舌外交はパレスチナ問題との関連は一欠片も無い。
非常に重要なので,もう1回!
イギリスの3枚舌外交はパレスチナ問題との関連は一欠片も無い!
5️⃣イギリスとサウジアラビアにとって,ヒジャーズ王国にすり替わり,「我こそはイギリスに騙された当事者である」と言いつのって,イギリスとサウジアラビア以外に矛先を向けて諍いを起こす者が,生まれてくれれば非常に都合が良い。
6️⃣上記5️⃣が成り立つためには,ヒジャーズ王国の王家および国民全てが,死に絶え,捏造された新被害者に入れ替わる必要性が生じる。
続く【第二】は,
中東戦争に至る経緯にてパレスチナゲリラを結成する『アミン:フサイニー』を中心に,
ハシム家(ヒジャーズ王家・父フセイン・息子ファイサルとアブドゥラ)に関係ないアミン:フサイニーが,
いつ,どうやってハシム家にすり替わって,パレスチナゲリラ指導者の地位に着いていくかについて,
これに連なる文献を紹介の上,徒然なるままに所見を書き落として行きたい。
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