更科の月
秋の和菓子はシックな色合いのものも多い中、先日店先で目を奪われたこのお菓子。
とらやさんの「新更科」というお羊羹、普段遣いには勿体ないですが、美しさに一目惚れして思わずハーフサイズを購入してしまいました。
山に月の絵柄、菓銘からも明らかですが、
我が心なぐさめかねつ更科や姨捨山に
照る月を見て
(『古今集』巻十七〈雑上〉詠み人知らず 878)
に因んだものでしょう。この歌、大学の演習の授業で、友達が発表したものだったので思い出深いのです。というのも、竹岡全評釈に、
「棚田の一枚一枚に、一つずつ月が映る」。授業で彼女がこの説を紹介した際、「え…、そんなこと物理的にありえるの…?」と聴衆一同がざわめいたのが印象的でした。ううむ、どうなんでしょうか。竹岡氏の洞察力には敬意を払いたいとしても、ちょっとそれは想像しにくいかも。
要は、「照る月を見れば普通は心が慰められるはず、なのに『慰めかねつ(=結局慰められないままだった)』というのは、なぜ?」という疑問に対し、「異様な光景だったから」という氏のアンサーなわけですが、他にも穏当な解はあり得そうです。
別解として有名なのは、『大和物語』の棄老説話ですね。親を早くに亡くした男は、叔母のことを親代わりに慕っていた。男は結婚したが、妻が叔母を厭わしく感じていて、「山に捨ててこい」とまで言う。命じられるがまま、男は叔母をだまして山中に置き去りにするが、徐々に後悔の念がきざし、山の上に照る月を見て和歌を詠み、結局引き返して叔母を連れ帰る、というお話です。
つまり、男が叔母を棄ててきた山の月を眺めるから「慰めかねつ」だというわけです。俊頼は、棄てられた叔母の方の独詠だと解したようですが(『顕註密勘』。後世の能にも繋がりそう)、いずれにせよ、棄老説話が下地にあるがゆえの悲しみだと言いたいようです。ただしこの説話、姨捨山の名前の由来譚になっている点が非常にアヤシイ。「おば棄てたる夜やがて姨捨山と詠める事もいかが(叔母を棄てたその夜即座に『姨捨山』と歌に詠んでいるのはどういうことか)」(『古今栄雅抄』)とツッコまれることになるわけで。この説話自体、和歌先行で創作されたものだった疑惑は拭えません。
さて、そうなるとやはり一番落ち着く説は「信濃国を訪れた旅人が、異国の月を見て、心を慰めるどころかむしろ悲しみに耐えきれなくなった」という作歌事情でしょう。月を見て故郷を思う和歌は、
が有名ですし、漢詩でも、
も有名ですね。
姨捨山の歌は、これらの歌や詩に通じる「故郷を思い出させる月」を詠みながら、それでもなお「慰めかねつ」とうたいます。通常月を見れば、故郷との繋がりを感じて安堵する所が、今は月よりも旅愁が勝る、「月<旅愁」ということです。この不等式はもちろん、月の方の値が大きくなればなるほど旅愁も大きくなる、すなわち、「照る月」は美しければ美しいほど、裏腹に悲嘆が増す。何が言いたいのかというと、月を詠む自然詠としてこの歌を解釈するのであれば、このような形で自らの悲嘆の気持ちを表現することで、間接的に「月誉め」の和歌になっているということなのです。
これ、すんごく「古今集的表現」を感じる。素朴な古歌に見えて、意外と、時代の先端を行く和歌の一つだったかもしれないな〜、なんて。
そんなことを考えながら、美しくもおどろおどろしい(もしかして、ちょっとハロウィン要素もある??)お羊羹を堪能いたしましたよ。
はあ〜。ほんま、和菓子(+和歌)って、良いものですねぇ。
あ、ところで「新更科」の「新」って、どういうことなんでしょう。謎が残りました。。。