手も触れぬ白真弓|秀歌を紐解く(5)
和歌は本来的には恋をうたうものです。が、正直に言って、『古今集』の恋歌はそれほど面白くない。やはり恋歌(相聞)と挽歌は『万葉集』が抜きん出ていますので。といいつつ、今回はあえて、『古今集』の恋歌を紹介したいと思います。
※今回の一首を秀歌と称すのは、「推し」への贔屓目が多分にある点をご了承くださいませ!
「白真弓」
手も触れで月日経にける白真弓
起き臥し夜はいこそ寝られね
『古今集』巻十二〈恋ニ〉605番、紀貫之の歌です。上の句は「手も触れることなく、月日が経ってしまった白真弓よ」の意。「白真弓」は、マユミの木で作った白木の弓のこと。木目が細かくしなりがあって、表皮を剥くと白く美しいマユミは、弓材として珍重されたらしい。この語は『古今集』中ではこの一例のみですが、『万葉集』の時代には複数用例があり、中には、
のように、夜道を照らして空にかかる月の比喩として用いられることもありました。
月といえば、
のように、「閨怨(=戦に赴く夫の帰りを待つ妻の詠嘆)詩」の中で、「月光は手に取ることが出来ない」と表現するものがあります。また、
のように、「月の中に生えるという伝説上の桂の木」が手に取れないことを、恋する相手に触れられない状態に重ねて詠む和歌もあります。
さらに貫之には、
という「水月(=仏教で、実体のない幻を指す語)」を詠んだ辞世歌もあるので、もしかすると、貫之の「手も触れで…白真弓」という表現も、これらの「掴めない月」の表現群に類するバリエーションの一つなのかもしれません。
もちろん、月に例える以外にも、「白真弓」が「美しく滑らかな白肌」を連想させる効果もあるわけで、この官能的なイメージが、下の句としっかり結びついていきます。
超絶技巧の序詞
序詞とは、後続の語句を導き出すための修飾語句のことで、二句またはそれ以上にわたる表現である点と、ほとんど慣用されない一回きりの用例である点が、枕詞(「ひさかたの」「ぬばたまの」等)とは異なります。序詞には、大きく分けて三種類あります。
当該の「白真弓」歌は、強いて言うと②の【掛詞を仲介する関係】に当たるでしょうか。というのも、この歌の下の句、
おきふしよるはいこそねられね
は、「起き臥し夜はいこそ寝られね」、すなわち「起きている昼も横になる夜も貴女のことを考えていて、眠ることができない」の意味となるのですが、そのうち「おき」「ふし」「よる」「い」が、弓に関する動作を表す語と掛けられているのです。
私は弓の心得がありませんので詳しくないのですが、弓を射る作法の中に、「おきふし」、弓末を起こしたり、伏せたりする動作があるのでしょうか。さらに、弓を引く時、弓の両端がこちらに引っ張られて寄って来ることから「よる」を導き、射ることから「い」を導くというわけです。
紀氏はその昔武人の血筋でしたから、弓の扱いなんかも口伝で習っていた可能性はなくもない。ただ、歌舞を司る役所(内教坊)に生まれ育ち、地方官や図書館長を務めた貫之が、実際弓を操る場面は無かったでしょう。ですが、これらの弓にまつわる動作に気づいた後に下の句を見直すと、彼が叶わない恋に悶々とする姿の裏で、一方では凛々しく弓を手に取り、振り起したり伏せたりしながら、射るまでの姿が二重映しのように浮かんでは来ないでしょうか。
思わず「いや、弓めちゃくちゃ触ってるやん」と、上の句の謙虚さをツッコみたくなりますが、これはあくまで、序詞から導かれる「裏の文脈」。「手にも触れることなく想って来た…、貴女を想うと居ても立ってもいられないし、夜も一睡もできない」という弱さで相手の同情を誘いつつ、その反面、「白真弓」を流れるような手捌きで操る巧さを垣間見せて、さりげなく色っぽさもアピールする。あまり分析が過ぎると、貫之さんに「やめてくれ」と言われそうなのでこのへんにしておきますが、とにかくこの歌の超絶技巧ぶりがお伝えできていれば嬉しいです。
弓を詠む恋歌
私の高校には弓道部は無かったですが、あったら入りたかったかも、と思います(目が悪いし手も短いので不向きだとはわかっていますが)。弓ってなんかかっこよくて憧れません?
上述の通り、平安中期に弓を実際に操る貴族は少なかったでしょうが、例えば魔除けのために弓の弦を弾いて鳴らす「鳴弦」なんかは行われていたようですし、そこまで縁遠い物でもなかったのかもしれません。
弓を詠んだ和歌にも、素敵なものがたくさんあります。
田舎住まいの夫婦がいた。男は都会に「宮仕えに行く」と言って出て行き、ずっと戻らなかった。その間女を気にかけて求婚し続けた別の男もいて、女は三年(=当時の離婚が成立する年限)元の男の帰りを待った末、ついにその別の男の求婚を受け入れることとなった。ところが、まさしくその夜に帰ってきてしまった元の男。女に逢いたい一心で、激しく扉を叩く。が、女は彼に会うことはできない。「あらたまの年の三年をまちわびてただ今宵こそ新枕すれ(三年お待ちしましたが、貴方は戻らなかった。ですから今夜、本当に今夜初めて、他の男性と新枕を交わすところなのです)」とだけ和歌を詠む女。
男はどうしたか。
その時に男が返したのが、上に引用した弓の歌です。
三種類の弓のうち、最後の「槻弓」が、「つき(月)」の音に因んで「年」を導く語となっています。「年を経て我がせしがごとうるはしみせよ(年を経て、私が貴女にしてきたように、今度は貴女がその人を愛してあげなさい)」。
それだけ言って去る男。女は思わず外へと追いかけますが、間に合わなかった。
川のほとりで悲歎に暮れた女は、そばの岩に、指を切った血で和歌を記します。
「貴方がどうであったにせよ、昔から私の心は貴方の傍に在ったのに」。女は息絶えてしまいます。
悲しい話ですが、和歌も含めてとても素敵。私の大好きな章段の一つです。
さらにもう一例、『万葉集』より、弓にまつわる連作です。
①は久米禅師から贈った和歌で、「私が信濃の真弓を引いたら(=貴女に求婚したら)、貴女は上品ぶって『嫌よ』と言うんでしょうね」というもの。それに対し、②は石川郎女の返事で、「あら、弓を引くなんておっしゃるけど、貴方、弓の弦の張り方すらご存知ないでしょう?」とあしらって見せます。こう言われては久米禅師くん、反論ができません。しかし、石川郎女おねえさま、そんな禅師くんに、敢えて「隙」を与えてあげるのです。
このあたりの駆け引きについて、詳しくは村田正博「久米禅師の妻問いー伝未詳の或る場合」(『文学史研究』第26巻、1985年12月。後に『萬葉の歌人とその表現』清文堂出版、2003年にも所収)をぜひお読みください。「もしかして、村田先生この時代に生きてた?? 久米禅師と実際に話した!?」と思わせるほどの解釈、とても引き込まれます。優れた国文学研究論文は、作品に負けず劣らず論文自体も「読み物」である、という一例としてもお勧めしたい(おこがましくてすみません)。
※以下のリンクからpdfでダウンロード可
まとめ(付∶野暮な返歌)
まとめは以下の通り。
今回は貫之の歌ということで、「あばたもえくぼ」的な評価になっているとは思います。実際この和歌をもらった女性は、どう感じたんでしょうね。一歩間違うと鼻につくくらいのテクニカルな歌ではあります。いや、というかそれ以前に、この和歌を実際に贈った女性など存在したのか、どうか。『古今集』を編纂するにあたり、フィクションの恋歌を作品として用意した、という事情すら考えてみたくなります。だって、ねえ。
こんな歌、どうやって返事をするのよ?
で、妄想してみました。もし私が返事をするなら。
…みたいな…?(照)
拙くて意が通らない点もあるかもですが、要は「つべこべ言わずにはよ来いや!」の心です。せっかちな浪速人の血が騒いでしまいました。こんな歌返されたら、貫之さん引いちゃって来てくれないでしょうね。和泉式部、あるいは朧月夜くらいのイイオンナ達が言うなら、ワンチャンあるかもですけれど!
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