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グローバルとは何か。

 聖愛高校グローバルコーチに就任しました、ぽてんしゃるです。ってか、、グローバルコーチってなんだ? そんな疑問が頭をよぎりました。なので、今回は「グローバルとは」について自身の見解を描いていこうと思います。

「グローバル」この言葉は日本語に訳すると「世界規模」と翻訳されます。それでは何が世界規模といわせるのか。世界各国旅すればグローバルな人間になれるのか。これは、その通りだと思います。世界各国旅をして、そこでの経験したことを語れば間違いなく「グローバルな人間だね」と言われます。しかし、真の意味でのグローバルな人間はこれだけでは物足りないとも思います。

真の意味でグローバルな人間とは。

 真の意味でのグローバルな人間は国内外とどまらない、異文化への寛容性を持った人だと思います。つまり、「多様性」の中で生きていくことができる人間。私たちが目指すべき人間像とは「寛容性を持った人間」なのです。

寛容性はどうすれば身につく?

 寛容性とはつまり、「人間としての器」という言葉にも直結するものです。この人としての器はすべてを味わい尽くすこと、そして「人・本・旅」こう言った違和感を体験し、理解しようとすることで深まっていきます。

味わい尽くすってどういうこと?

 いきなり、味わい尽くすといわれても何がなんだかわからないと思います。ヒントは、「超スローモーションで作業をしてみる」ことです。例えば、ごはんを味わっているときはいつも以上にゆっくりとごはんを食べていると思います。それを日常生活に応用するのです。
 例えば、服を着る瞬間。「服が皮膚に触れて腕を通っていく感覚」を味わってみるのです。超スローモーションで。笑 多分心に余裕がないときはどれだけやってもなかなか味わうことができないと思います。と言うか、そもそもごはんとか何もかも「味がしないはず」。
 辛いとき、苦しいとき、どうしてもその現実から目をそむけたくなってしまうこともあるはずです。でも、あえてそこを直視して、もがいてみる。だからこそ人間としての深みが生まれて、愛という感情が生まれたりするのです。愛はすべてを経験することで真に芽生えるものです。いろんなことを経験することで、その「愛の根」は深まるのです。
 どんな瞬間も、どんな感情をもっていても、それは「自分」です。その自分を受け入れて、味わってみる。当然最初は味なんてしないけどね。

人・本・旅

 人間としての寛容性は「人・本・旅」でも身につくと書きました。ではそれはどういうことか。

  • 人・・・いろんな人と会うこと。まずは、自分の目の前に現れた人を好きになってみる。

  • 本・・・自分の関心があること、気になることの意見を、本を通して聞いてみる。

  • 旅・・・自分が生活している範囲の外での生活に触れてみる。人に出会ってみる。

 観の良い人はここで気づくはず。全部「人」なのです。なにせ、私たちが生きるこの社会は「人が作り上げた概念」の中でのみ成立するものがほとんどだからです。野球一つとってもそう。野球というスポーツを作って、ルールを作ったのは人間です。法律を作ったのも、街を作ったのも全部人間です。お金という概念も人間が作ったものです。

 だからこそ、「人」に関心を示してみる。自分がわからない考え方に対して、「その考え方のよさとはなにか」そこを自分の中で吟味してみる。こうやって他者理解しようとすることで人としての寛容性は身につくのです。多分、怒りよりも「きっと何か正しさをもっているはず」「それはなんだろう」と捉えられるようになります。で、相手を理解しようとするからこそ、これって実は違うんじゃない?と話したときもすんなりと相手に理解してもらえるのです。いや、、、 ほんとにいいこと尽くし。
最初は難しいと思います。今はわからないことも多いと思います。でも、こんな考え方もあったけなと自分の中でどこかに残っていれば、いつかは伏線回収されるときがくるはずです。人生とは伏線回収の連続だからです。

今回の投稿がみなさんにとって少しでも人生を豊かにするヒントになっていたら幸いです。僕も、日々学びだらけで、改善することだらけです。
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