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4年10月5日note40元よしもと・ホリプロ芸人松稔の芸能裏話40私の師匠Wヤング中田師匠の自殺https://www.facebook.com/profile.php?id=61553536510873

24年10月5日note40元よしもと・ホリプロ芸人松稔の芸能裏話40私の師匠Wヤング中田師匠の自殺https://www.facebook.com/profile.php?id=61553536510873

元よしもと・ホリプロ芸人 松稔の芸能裏話40私の師匠Wヤング中田師匠の自殺

芸能裏話芸能裏話(40) 私の師匠Wヤング中田師匠の自殺

私達(みのる・ゆたか)が京都花月に出ている時だった。

一回目の舞台が終わって、ゆたやん(相方)と芸人仲間でお好み焼き屋に行った時だった。

テレビを見ていたら番組の途中でニュース速報が入った。

「Wヤングの中田軍治さんが、熱海の錦ヶ浦から飛び降り自殺したもようです」一瞬耳を疑った。

まさかと思った、食べかけていたお好み焼きも止めて急いで京都花月に戻った。

支配人が青ざめた顔で「中田軍治師匠が飛び降り自殺したらしい、今本社に警察から電話があった」さっきのニュース速報は本当だった。

実は軍治師匠には何千万と云う借金があった。

私が師匠に付いている時もしょっちゅう借金取りから、楽屋に電話が掛ってきていた。

この借金と云うのは競馬のバクチで負けた物だった。

借金取りも電話だけじゃなく、楽屋まで来るようになった。

師匠が舞台をやっている時、舞台の上袖と下袖に借金取りが、師匠を逃がさないように見張っていた。

軍治師匠はそれを察して、舞台が終ると客席から降りて外に逃げた。

師匠が逃げ回っているので、私が事務所に連れて行かれたこともあった。

困った師匠は会社に借金の理由を云ってお金を借りる事にした。

しかし師匠は何千万も借金が有ると云えなくて、何百万と一桁少ない額を云ってしまった。

それでは到底返せなかったので、また借金取りが楽屋に来るようになった。

今度は同じ芸人仲間にお金を借りに行った。

その人に「悪いが200万円用立てて貰えんやろか、200万円さえ払ったら来月からメドが立つから」と必死に頼んだのに断られた。

軍治師匠もまさか断られるとは思わなかった。

最後の砦が壊れてしまった。

軍治師匠は元銀行員だった、だから今のギャラではお金が返せない。

利子を払うだけで元金が減っていかない、これでは一生借金取りに追いまわされる。

師匠が銀行員じゃなかったら絶対自殺していなかったと思う。

吉本の芸人さんも借金だらけの人が一杯いる。

でもその人達は「なんぼ借金取りでも命まで 取らん」と開き直っている。

なまじっか銀行員だったから先々まで計算してしまった。

しかし師匠が亡くなって半月後に、漫才ブームが起こった。

軍治師匠も漫才ブームまでは計算していなかった。

漫才ブームのきっかけは、花王名人劇場という番組だった。

それも、Wヤングを全国的に売り出す為の番組だったそうだ。

そのことをプロデューサーの澤田隆治さんに聞いた。

大阪では人気のやすし・きよし、実力のWヤングと云われていた。

上方漫才大賞もやすし・きよし師匠が2回受賞して、Wヤング師匠は3回受賞している。

せめて後15日間、生きていたら何千万の借金なんか一瞬の内に返せていた。

そしてお笑い界の歴史も変わっていただろう。

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