24年6月22日note25元よしもと・ホリプロ芸人松稔の芸能裏話25のりお・よしお秘話https://www.facebook.com/profile.php?id=61553536510873
芸能裏話25のりお・よしお秘話
西川のりお兄さんは、最初のコンビ横中バック・ケースと云う名前で松竹芸能所属だった。
芸名も勝手に付けていた。
普通は師匠の名前を貰うものだか、当時師匠がいなかったので、横山エンタツ先生やノック師匠の屋号と,中田ダイマル・ラケット先生の屋号の頭を取って横中としていた。
しかしこのコンビは仲が悪かった。
神戸の松竹座に出ている時、ネタが受けないので、相方のケースさんを客席に投げ落とした。
今までで一番受けたそうだが、足を骨折してしまった。
ケースさんが入院中にのりお兄さんは、勝手に次のコンビを探していた。
それが上方よしお兄さんだった。
のりお兄さんは松竹芸能に居たって、売れないと思い吉本に入る決意をした。
しかし、吉本に入る為には弟子入りしないといけない、そこで西川きよし
師匠の師匠である石井均先生に頼んで、きよし師匠の弟子として吉本興業に
入った。
当時きよし師匠はまだ若くて弟子を取る身分でもなかったので、
名前だけの師匠だったので、意外と楽な弟子時代だったそうです。
相方の上方よしお兄さんは、上方柳次・柳太師匠の弟子で、同じく松竹芸能
だった。
よしお兄さんもコンビは2回目で、最初のコンビは2代目B&Bとして、全国ネットのレギュラーを持っていた。
若手の中では一番売れていた。
この頃B&Bの島田洋七兄さんが、よしお兄さんに東京でやろうと云ったが、よしお兄さんは東京でやるのは自信がないと云う事で、解散してしまった。
その後、のりお兄さんの誘いで吉本興業に入る。
のりお兄さんの型破りな芸風は、お客様より芸人にファンが多かった。
僕もその一人だった。
持ち時間は1組15分なのに、受けていたら30分位やっていた。
支配人が袖から終われと、合図を出しているのに止めない、仕方がないのでマイクを下げる。
それでも止めない、最後の手段として緞帳を下げた。
今度は緞帳の前に出てまで、マイク無しで漫才をやり続けた。
お客様にもその熱意が伝わったので、大爆笑だった。
のりお兄さんはケチで売り出しているが、そんな事は無い、舞台衣装などブランド品で、靴も凄く金をかけている。
僕等もよく飲み食いに誘ってくれた。
只、好き嫌いが激しく、いつも話題は嫌いなタレントの悪口、これが又面白い。
的を得ているから悪口と云うより本音で喋っている感じで、これが又ネタになる。
性格は几帳面で、ズボンの折り目などはキッチリしてないと気がすまない。
靴もいつもピカピカに磨いていた。すごくオシャレな人です。
よしお兄さんの方が、どちらかと言えばケチだった。
吉本の中では先輩が後輩に、おごるのが暗黙の常識になっているのに、一緒に喫茶店に云ってもおごって貰った事は無かった。
漫才ブームでのりお・よしお兄さんも売れたのだが、ブームが終わってから、のりお兄さんだけ仕事があって、ギャラの差も激しくなってきた。
二人で漫才をする機会が少なくなり、気まずくなって解散してしまった。
よしお兄さんはする事が無く、家や車も売って惨めな生活をしていた。
それを見かねた、のりお兄さんがもう一度コンビ復活させようか、と云うことになり、
現在のりお・よしお兄さんは前より、パワフルになっている。
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