24年6月29日note26元よしもと・ホリプロ芸人松稔の芸能裏話26ザ・ぼんち秘話https://www.facebook.com/profile.php?id=61553536510873
芸能裏話26ザ・ぼんち秘話
漫才ブームで活躍した、ザ・ぼんちさんは、二人共本当に良い人でした。
漫才ブームの来る前は花月の前座(一番最初に舞台にに出る人)でした。
舞台以外余り仕事が無いので、1回目の舞台が終わったら、4時間休憩があって2回目の舞台と云う単調な毎日だった。
その4時間の間に芸能界の事やら、色々な師匠のエピソードを教えてもらった。
ぼんちさんの二人とは芸暦の差はありますが、年齢は同じなので話が合った。
漫才師はボケ同士、ツッコミ同士が仲良くするものだが、僕はおさむ兄さん、まさと兄さん両方共に可愛がって貰いました。
しかし3人で飲みの行くことは無かった。コンビとしては仲が良かった。
漫才ブームでやっていたネタは花月で嫌と言うほど遣り尽くされたネタだった。
しかし、東京の人にとっては初めて見るネタなので新鮮に映ったのだろう。
今の若手と違って10年のキャリアは伊達じゃなかった。
花月のおばちゃんやおっちゃんで揉まれていたから、東京の若者を笑わすのは、赤子の手をねじるような簡単なものでした。
そのお陰で、僕等や次の若手が一気に舞台に上がれるようになった。
お笑いタレントで武道館ライブを行ったのも、ぼんちさんが初めてだった。
大阪からバス10台を連ねて、日本旅行の1泊2日ザ・ぼんち武道館ツアーに僕等若手が
バスに乗り込み、大阪から東京までお客様を退屈させないようにネタやゲームをしたりして8時間シャベリ続けていた。
その若手の中に今や吉本の大看板になった、大助・花子もいた。
1泊2日と云っても車中泊だから、もうクタクタ。
食事もその時のスポンサーだった、マクドナルドのハンバーガーとコーラー、それが3食とも同じメニューだった。
それでも、武道館の舞台に立てた事は嬉しかった。
ぼんちさんが舞台に出てきたときは、今のスマップや嵐みたいなアイドルと同じようだった。
紙テープや紙ふぶき、垂れ幕、声援が花月では絶対味わえないような快感で、鳥肌がたった。
その舞台にライバルののりお・よしお兄さんが応援に駆けつけた。しかしそれは、応援じゃなく邪魔しに来たような舞台だった。
最初はぼんちさんの事をネタにしていたが、お客さんに反感を買ってしまって、
「なんでぼんちの応援せなあかんねん」とキレだして、「こんな舞台どうでもええねん、
ちんちん出したろ」といって、パンツ脱いで舞台を走り回っていた。
「武道館で漫才のリサイタルをやったのは、ザ・ぼんちが初めてだが、武道館でちんちんを出したのは、のりお・よ しおが初めてや」と訳の分からん事云って、のりお兄さん流の盛り上げ方をていた。
この時がぼんちさんの絶頂期だった。
寝る時間も4~5時間位しかなく、移動時間に睡眠を補っていた。
そのころB&Bさんも絶頂期で、ギャラが月1,000万円貰っていたそうです。
しかしぼんちさんは200万円位しか貰ってなかったらしい。
仕事の量は殆ど変わらなかったのに、これが吉本らしい所かな、
おまけに『恋のぼんちシート』と云うレコード印税も 相当あったが、
30万円しか貰っていなかったそうです。
Amazonから紙の本も出版しました。
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