24年7月28日note30元よしもと・ホリプロ芸人松稔の芸能裏話30弟子に付いて初めて倒れたhttps://www.facebook.com/profile.php?id=61553536510873
芸能裏話芸能裏話(30)弟子に付いて初めて倒れた
弟子に付いて1年ぐらいの時、仕事もなれて師匠にあまり怒られないようになった。
安心していた矢先に京都花月で倒れた。
その日も京都花月に11時くらいに入って、楽屋の掃除をしていたら急に目の前が真っ暗になって倒れた。
意識はあるのに立つことも寝ることも出来ない、のた打ち回っていた。
そこにお茶子さん(楽屋で身の回りの世話を してくれる女性)が来て
「あんた真っ青やで病院行った方がええで」と云われ、 熱を測ったら39度あった。
師匠はまだ来ていない、許可無しで帰ると怒ら れる。
そうしている間に今度は脂汗が出てきた。
お茶子さんが「私が師匠に云っておくから、早く帰り」と云ってくれたので帰ることにした。
電車の席に座っても真っ直ぐに座れない、苦しくて犬のジェステンバーのようにゼェゼェ云っていた。
回りの人も気味悪がっていたが、人の事を気にしている余裕なんかなかった。
家に着いても天井がグルグル回って、はきそう だった。
病院に行くにもお金が無いので行けなかった。
原因は弟子に付いて一年間一日も休み無く、朝は新聞配達、それから師匠に一日付いて、
夜はカラオケスナックで司会のバイト。
こう云う風に毎日同じようなリズムで行けば良い が、困るのが早朝の草野球だ。
新聞配達をしてから4・5時間寝るのが唯一の睡眠時間だった。
野球がある事によって一睡もしないで、過酷な一日を過ごす事 になる。
師匠の野球道具が入った大きなバッグ2つと僕のバッグ1つ、それにオシボリや弟子セット一式入ったカバン、計4つのバッグを持って、満員電車に乗る。
朝からユニホーム着て大きなバッグを4つも持って、電車に乗れば周りの人は嫌な目で見ている。
ポジションはキャッチャーをやらされた。何故かと言うとキャッチャーは一番危険だから誰もやらない。
野球が終わったら又、大きなバッグを4つ持って楽屋に行かなければ行けない。
師匠は楽屋で寝れるが、ここからが地獄の始まり、師匠のユニホームを洗濯して干したり、
野球のグローブを磨いたり、師匠のご飯作ったりで、 野球をする度に余計な仕事が増える。
野球は好きだが、この時ばかりは野球を作った人を恨んだ。
こんな日々が続いたから、ストレスの蓄積と疲れから来ているのだと思う。
それから1年に1回同じように倒れるようになった。
次の日、京都花月に行ったら師匠に物凄く怒られた。
「芸人をやるんやったら少々の病気で休んでどうすんねん、舞台に穴あけてもええんか、
芸人と云うのは自分の体であって自分の物や無い。
親の死に目にも会われへんのや、そんな生易しい世界やないんや、それが出来ひんのやったら今すぐ辞め!」と云われた。
ごもっともな話だった。
自分達の漫才を楽しみに高い金払っているのに、病気で休んでいるなんて、あまりにもお客さんを馬鹿にしている。
サラリーマンは一寸しんどかったら簡単に休める。
仕事の代わりは誰でも 出来るが、芸人はそうは行かない。
休めばギャラは入らないし、売れない芸人は一杯いる。そいつにチャンスを与えることになる。
この世界は勝つか負けるか二つに一つしかない。だから健康管理も芸の内なのだ。
若い時は人気なかったが歳いってから人気が出る人がいる。
辛抱して頑張ればいつか チャンスが来る。と自分に言い聞かせた。
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