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24年8月3日note31元よしもと・ホリプロ芸人松稔の芸能裏話31吉本京都花月漫才初舞台https://www.facebook.com/profile.php?id=61553536510873

芸能裏話(31) 吉本京都花月漫才初舞台

初舞台は、1977年7月京都花月だった。

この日の為に3年間辛抱したのだった。

相方は3人目のあのドンくさかった落合君だ。

彼は根っからのボケで性格も穏やかで、僕の云う事を素直に聞いてくれる良い相方でした。

師匠が芸名を付けてくれた。

僕の本名が松下信幸なので、松を取って松みのる、相方は落合豊の落とゆたかを取って落ゆたか。

松みのる・落ゆたかで初舞台を踏んだ。

二人でネタを作って毎日稽古を積んで、挑んだ初舞台、12時調度の出番は一番手なので客もまばらだった。

緊張はピークになっていた、出囃子が鳴った。

いつもは客席から見ていたのに、今度は自分が舞台に立ち見られる立場なった。

やっと芸人になれたのかな、ちょっと誇らしい気持ちになった。

前日は緊張で余り眠れなかった。

マイクの前に立って喋り始めた、「はいどうも松みのるです」『落ゆたかです』までは覚えているがネタの内容は忘れた。

お客さんはクスッとも笑わなかった。

その日、平川師匠が僕等の舞台を客席の一番後ろで、見ていてくれたのだった。

師匠が見ていると僕等が緊張すると思って内緒で見てくれたのでした。

それも帽子を深く被っていた。

しかしお客さんが少なかったのですぐわかった。

やっぱり弟子は可愛いのかな、師匠の出番が3時30分なのに僕等の初舞台を見る為に早く来てくれたのだ。

今まで只恐く、奴隷のようにこき使って、僕等の事など何も心配してくれてないと思っていただけにこの時だけは、胸ジーンとが熱くなった。

15分の舞台が1時間位に思えた。

何を云っても受けない、焦れば焦るほど泥沼に入ってしまった。

師匠が見ていたのに楽屋に帰るのが恐かった。

師匠の楽屋に挨拶に行った、「お先に勉強させて頂きました」師匠は見ていなかったのように何も云わなかった。

何も云われなかったのが、余計に不気味だった。

師匠の舞台が終ってから「お前ら飯喰いに行こか」と云われた。

あっ怒られる、覚悟して着いて行ったら「初舞台って受けへんやろ、わしらもそうやった、最初から受けるんやったら誰でもする。

お前のネタは只、台本どうり喋ってるだけや!息と間が悪い。

それには舞台数や舞台踏んで恥じ掻いて、体で覚えて行け!しかし、今日の気持は一生忘れたらあかんで」と云って祝儀までくれた。

今まではどちらかと云えば嫌いだった師匠が好きになった。

辛抱して来て良かった。3年間の苦労がいっぺんに吹っ飛んだ。

僕等の事を試していたのかな、でも今思えば苦労してきて良かったと思う。

舞台と云うのは戦場と一緒なのだ、二人以外は敵なのだ。

その敵に立ち向かうだけの力をつける為に、僕等を鍛えてくれたのだ。

今のお笑いを目指す人達は、弟子に付いていないから人間的に精神的にも弱いと思う。

受けなかったら客のせいにしている、すぐ解散したり、辞めたりしてポリシーがない。

お笑いを簡単に考え過ぎている、お笑いライブのネタ見せに来るのに2・3回しか練習していない人がザラにいる。

お笑いが好きだと云ってるのに実際にお笑いライブを見た事がない。

オリンピックの選手になろうと思っている人は、毎日朝から晩までずっと練習して頑張っている。

お笑いも一緒で毎日練習すれば絶対に上手くなる。

お笑いは泣いた数が多い人は面白い人になれる。

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