連載【短編小説】「わたしの『片腕』」第三話
先ほどお話したように、わたしの肩の付け根の傷跡については、母にいくら訊ねても、梨のつぶてでした。猿蟹合戦のように硬い柿でも投げつけたら、何か違った答えでも返ってきたのでしょうか。これでは一向に埒が明かないため、わたしはひとりで、ことの真相を確かめてみようと思い立ちました。思い立ったが吉日です。わたしは自分と同じような傷跡を持つ同士を求めて、当時、クラスの女子の間で流行り始めていた学習雑誌のペンフレンドの募集欄に、モールス信号のように伝わる人にだけ伝わることを願い、
わたしの「片腕」を探しています。
〇〇市○○町2の13
森田みどり(中3)
と投稿をしてみたのです。
反応など、まるで期待していなかったのですが、予想外にも1カ月のうちに3通ほどのお手紙が届きました。1通は高校生の男の子からで、交際を匂わせる思春期真っ盛りの下世話なものでした。2通目は同い年の女の子で、どうやら少女漫画家を目指しているようでした。五枚の便箋すべてに、男の子と女の子のオリジナルキャラクターのイラストが描かれていて、漫画に目がなかったわたしは、「片腕」とは関係なく食指が動きかけたのですが、彼女はわたしのメッセージを「相棒」という意味での「片腕」として読み、お手紙を送ってきたようでした。そうではないのです。
所詮こんなものだろうと、早々にペンを折りかけました。ところが、3通目はどうも様子が違いました。送り主は男の子からで、それだけでうんざりして読む気が失せてしまったのですが、男の子にしては綺麗な文字で綴られていた文章に惹かれて読み進むにつれ、印象はがらりと変わりました。公園のベンチに並んで腰かけ、両手を組み、時々わたしの方を見ながら静かに語りかけてくる。そんな彼の姿が思い浮かびました。
何より驚いたのは、手紙の最後の方で川端さんの『片腕』に触れていたことです。今から思えば、全国の同年代の中にひとりくらい、背伸びをして川端さんを読んでいる人がいてもおかしくはないはずですが、人生経験が乏しく、井の中の蛙ならぬ、田舎の少女だったわたしは、ダダダダーンと、彼との「運命」というものを感じないではいられませんでした。我ながら安いものです。すぐにお返事を書きました。彼になら、何でも話せるような気がしてしまいました。何でも、打ち明けても良いような気がしてしまいました。――何故なら、運命を感じた相手なのですから。
わたしが川端さんの『片腕』について書いて送ると、彼から3日と経たずにお返事がありました。彼もまた、わたしが『片腕』を読んでいたことに驚いたようでした。彼は前回よりもさらに深く作品に分け入り、娘の片腕を自宅に持ち帰った語り手の私が、物語の中盤でふと、部屋の窓が開いていることに気づいた以下の場面を引用し、
「窓があいている。」と私は気がついた。ガラス戸はしまっているが、カアテンがあいている。
「なにかがのぞくの?」と娘の片腕が言った。
「のぞくとしたら、人間だね。」
「人間がのぞいても、あたしのことは見えないわ。のぞき見するものがあるとしたら、あなたの御自分でしょう。」
「自分……? 自分てなんだ。自分はどこにあるの?」
「自分は遠くにあるの。」と娘の片腕はなぐさめの歌のように、「遠くの自分をもとめて、人間は歩いてゆくのよ。」
「行き着けるの?」
「自分は遠くにあるのよ。」娘の腕はくりかえした。
――そう言えば、室生犀星と言う詩人が、こんな詩を書いていたと続けました。
ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや
わたしは彼、――失礼しました。まだ肝心の、彼の名前を明かしていませんでしたね。わたしはこれを読み、辰巳幹也くん(高2)の頭の中は、いったいどうなっているのだろうと思いました。わたしから見れば、同級生と比べて高2の男の子はうんと大人びて見えるお兄さんですが、それでも何となく頭の中を想像することは出来ます。ですが、幹也くんは違いました。他の男の子たちの脳内が、性欲と我楽多ばかりを集めたおもちゃ箱のようなものだとすれば、幹也くんは、芯のある1本の太い流木が横たわる中、青々とした水草が揺らぎ、文学の言葉がネオンテトラのように泳ぎ回る、透明なアクアリウムのような頭脳を持っているように思えました。
叶うなら、幹也くんとこのまま、お互い大学生になるまで文通を続けられたら良いなと夢見たわたしは、幹也くんにあるお願いをしました。家の郵便受けからわたしの手元に届くまでに、そのつもりはなくても、どうしても母に手紙の差出人の名前を見られてしまいかねないため、何かと勘ぐられないように、差出人には女の子の名前を書いてほしいと。そうして生まれたのが、「早見唯」という架空の女の子でした。
早見唯という架空少女を盾に、晴れて隠し立てせず、母に気を遣うことなく文通が出来るようになったわたしたちは、お互いの予定にもよりましたが、2週間に1度くらいの頻度でやりとりを続けました。
そうして、半年ほどが経った頃でした。お互い、みどりちゃん、幹也くんと呼び合う仲になっていたわたしたちは、どちらともなく、――いえ、はっきりと言い出したのはわたしですが、3連休のお休みを利用して、一度会えませんかとお手紙に書きました。あれほど異性に臆病だった自分が、ずいぶんと思い切ったことをしたものです。投函してしまった後、出過ぎた真似をしてしまったかもしれないと、返事が届くまで毎日、ハムスターのようにそわそわとしていたのですが、いざ幹也くんから、早見唯として期待したお返事が届くと、わたしは天にも昇るような気持ちになりました。
まさか、学校の図書室で偶然見つけた川端さんの『片腕』というお話が、わたしをこんなところにまで導いてくれるとは、一体誰が予想できたでしょうか。良いですか、皆さん。お話は、読んでおしまいではありません。読んだ先にも、お話は続くのです。
わたしたちは、9月の3連休の初日に、仙台で会う約束をしました。
つづく
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