ヴァージニアウルフの両性具有理論
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ヴァージニアウルフの精神疾患や同性愛的な性質は当時世間から「狂気」として排除された。これは当時の「女性」であることの圧力や、同性愛への嫌悪的な考えから生じたものである。つまり、彼女は男性優位な社会の被害者といえる。
そのため彼女の文章では男性が敵、女性が味方とされていることが多い。その反面、彼女はコールリッジの「偉大な精神は両性具有である」(P170)という文章を引用して両性具有理論を提案した。
『自分ひとりの部屋』において「男女の長所、せめて男性作家と女性作家の長所がそれぞれどこにあるかくらい、意見を聞かせてほしかったのに、あなたはそうしなかった。(P182)」とあるように男性とは、女性とはという議論を避けている。しかし、ここではその精神の特徴について検討する。
「灯台へ」から読み取れるように、彼女の考えるジェンダー規範は現代では古びた考えといえる。ラムジー夫人は母性に満ち、感情豊かで直感的、主観的である。ラムジー氏は理知的、客観的であり、自己中心的である。しかし、こういったジェンダー規範は現代では否定されている。現代では精神的な性別、つまりジェンダーはその社会的背景によって成立するものであり、生来のものではないとされている。
この本だけ検討するとウルフの主張は男女の精神的な違いとその統合、つまり、両性具有理論が主なものであると捉えられる。しかし、他の作品を見ていると彼女の考えの重要な点は性ではないといえる。
例えば、「昼と夜」では内と外という二つの概念がテーマになっており、「ダロウェイ婦人」では生と死がテーマになっている。これらは相反する二つのものについて、ウルフはこれらの相補的関係性が重要であることを示唆している。こういった作品から、『自分一人の部屋』におけるウルフの男女観は重要ではなく、むしろその両性具有理論における相反する二つのものの統合が最も重要であるといえる。
性についての考え方はここ数年で大きく変化した。ヴァージニアウルフのいう男性の精神、女性の精神が現代で受け入れがたいのはいうまでもない。しかし、彼女は性以外の分野に関しても全く異なる二つのものに着目し、その統合を目指した。彼女の主張するフェミニズム論と両性具有理論は矛盾する点があるかもしれない。しかし、彼女が生きた社会的背景を考えるとこの理論も、それを提唱することも社会にとって必要だったことがうかがえる。