シン・ゴジラと希望のひととあとしまつと
*本記事は『シン・ゴジラ』・『日本沈没ー希望のひとー』と『大怪獣のあとしまつ』の共通点・相違点を考察する記事です。
『大怪獣のあとしまつ』をAmazonレンタルでようやっと観ました。まず正直な感想を言うと、「なんかやりたいことは分かるけど惜しい」でした。嫌いではないです。ですが、あまり好きでもありません。圧倒的酷評が下された映画の割にこのような評価に落ち着いたのは、この映画がコメディ調であることを事前に認識していたことや、数々の批判からあらすじがなんとなく頭に入っていたから、ってのが大きいと思ってます。
……で、ここからが本題なんですが、『大怪獣のあとしまつ』(以下、あとしまつ)を観てて思い出した作品があるんです。ひとつは散々ネタ元と言われ比較された『シン・ゴジラ』。巨大不明生物と表現されるシーンもあり、あとしまつの根底にあるのは間違いないでしょう。ですが、もうひとつ、これは制作時期的に偶然被っただけだと思いますが、昨年末に放送されたドラマ『日本沈没ー希望のひとー』とも被って見えたんですよ。これが何故なのか?両作品はなにを『シン・ゴジラ』(以下、ゴジラ)から拾ったのか、そして何を拾わなかったのかを列挙します。クソ雑です。
ーー拾ったものーー
①モチーフとしての原発事故
ゴジラはご存知の通り、放射熱線を吐き建物を破壊する怪獣です。このような怪獣が2016年に蘇った。ともなれば、モチーフとして福島第一原発の事故が根底にあるのは自然とも言えます。
これに対し、あとしまつでは放射線という単語はほぼ出ませんが、その代わりにキノコを生物に植え付ける毒ガスが登場します。キノコは無限に増殖するとの説明もあり、これが原発事故の代替と考えられます。
では、『日本沈没ー希望のひとー』(以下、希望のひと)はというと、ここではCOMSが原発の役目を果たします。COMSは、CO2を出さないエネルギー物質を採掘するシステムとして総理イチオシで進められたプロジェクトですが、その一方で関東圏沿岸部の沈没を加速させ、多くの避難民を出しました。このCOMSは後半にかけて存在が有耶無耶になるのが勿体ない点ですが、放射線という点を除けば、クリーンなエネルギーシステムが大惨事を引き起こすという点において原発事故を元にしていると言って良いでしょう。
②霞ヶ関主体のドラマ性
ゴジラは巨災対と呼ばれる独立紅蓮隊に似た組織が、巨大不明生物にどう対処するかを描いた映画です。
この点を大きく真似たのが希望のひとです。希望のひとでは、有能(という設定)の官僚によって日本未来推進会議というタスクフォースが結成され、沈没対応にあたることになります。
これがあとしまつでは、閣議シーンが該当するわけですが、相当にコメディ分が多いパートになっており、これが評価を分けた場面だと思います。
ーー拾わなかったのものーー
アフターゴジラともいうべき希望のひととあとしまつですが、その一方で切り捨てたのが、「一丸となって共通の敵と戦う」という点です。ゴジラでは巨災対を邪魔する人間はほとんど居ないわけですが、アフター組では主人公の行動を妨害する者が必ず現れます。特に希望のひとにおいてこの傾向が顕著であり、作品評価を下げた点でもあります。
このままでは物語が進まないため、主人公たちは違法手段に頼ってでも事態を打開しようとするわけですが、奇遇にも両者共に環境省の人間による情報のリークが決め手となっていました。
また、希望のひととあとしまつでは、ゴジラで意図的にオミットされた恋愛要素が加えられたのも興味深い点です。こちらも希望のひとではおざなりになってしまったのですが……
以上が両者がゴジラから拾った点、拾わなかった点です。ゴジラは恋愛や人間模様を切り捨てたことが評価された一因とされましたが、残念ながらアフター2作の存在によりその説が裏付けられた結果にもなりました。今後、怪獣映画では山崎貴監督による大作が公開される予定です。この作品が以上の点を反省し良作となることを期待してこの雑文を締めようと思います。