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やっぱり日本沈没に見る、リメイクに必要なものってなに?

また日本沈没かよ!はい、またです。

小松左京氏による大ヒット小説「日本沈没」。大規模な地殻変動によって日本列島が海没の危機に瀕し、民族の大移動に奮闘する人々のドラマを描いた、言わずとしれた傑作SF小説である。

1973年の発表から既に50年以上が経つが、昭和・平成・令和にかけ5度の映像化がなされている。漫画なども含めると、10回は沈没していることになる。多すぎやろ。

まあそんなこんなで度々映像化されてはかなりの話題を掻っ攫う作品なわけだが、ここ3度の映像化は控えめに言って賛否両論と言わざるを得ない内容であった。いずれもその当時に舞台を移し、新たな視点を取り入れ、時には主人公すらも変えリブートを図った。

さて、ここからが本題。リメイク・リブートに必要なものはなんだろうか。日本沈没に限らず、昨今の映像業界は日米共にリメイクが幅を利かせるようになった。その評価はまちまちで、例えば先日エミー賞を見事受賞した「SHOGUN」は言わずもがな絶賛されている。一方で、現在TVアニメが放送中の「グレンダイザーU」はトレンドに載るほどの批判を受けている。

日本沈没においても、平成以降の3作品とも監督はおろか媒体すらも異なるわけで、それぞれ違った描き方、リスペクトがされてはいる。しかし、その方法については疑問に感じるところが多い。

よくクリエイターがリスペクトのある行為としてしがちなのが、同じセリフを流用することだ。原作におけるセリフをそっくりそのまま持ってくる。日本沈没においては「直感とイマジネーション」という田所博士のセリフが顕著であり、これは2006年版と2021年の希望のひとで登場する。

しかし、この2つの作品での扱われ方はいずれも原作とは異なるものだ。例えば2006年版では田所博士の信念を否定するいわゆる反対派のセリフとして登場している。

では、これはリスペクトのある行為なのかというと、個人的にはいささか安直ではないかと思うわけだ。それにはいくつか理由があるが、最も大きいのがセリフの背景の無視である。

名言とされやすいセリフはそのほとんどが複雑な背景のもとに成立している。思考、理念、対立、そういうものの積み重ねこそが、短い一文を名言たらしめているのだ。

では、それを別の場面、別のシチュエーションで使用したら?当然のことながら、そのセリフは軽くなる。そしてその結果として、ただ単に原作の旨みを消化しているだけになるのだ。

次にありがちなのが細かな設定を持ってくることである。ひとつ例を挙げると、希望のひとでは香川照之演じる田所博士が天丼の出前を頼むシーンがある。これは確かに原作にもあるシーンであるが、ここについて希望のひとのプロデューサーはインタビューにて「リスペクトがある」と自画自賛していた。

しかしながら、これは大きな間違いであると思わざるを得ない。日本沈没という作品においてキャラクターの好物というのは単なるキャラクターの造詣の問題であり、ストーリーやテーマには何ら影響しないのだ。

さらに言えば2006年版において、長野のシーンで映る溶岩を1973年版から流用し、同作の監督である樋口真嗣氏がまたもやリスペクトがあると語っている。

これもそうだが、こんなので喜ぶのは一部の偏屈なオタクだけなのだ。小物が同じというのは些細なことで、やはりテーマ性に何にも影響しないわけだ。

ここまででテーマという言葉を2度用いた。端的にいうと、リメイクに必要なものはテーマへのリスペクトである。

原作のテーマは国家論、民族論だ。国家の消失に瀕した民族が、どうしたら民族を維持できるのか。それがテーマだ。

そうして見ると、リブート3作の中でそれが守れているのはアニメの「日本沈没2020」だけではないかと思う。

まず、2006年版はご存知の方も多いと思うが、原作からエンディングを大きく変更している。3作の中では唯一主人公など登場人物を大きく変更していない本作だが、その結末及び過程は民族論ではなく、いかにして沈没を阻止するかというハリウッドめいたものになっているのだ。

希望のひとに至ってはさらに乖離が加速している。本作のテーマは?というと多くの人はこう答えるだろう。地球温暖化と。

当時ほぼリアルタイムで追ってた俺はこう思った。これのどこが日本沈没なんだ。

原作には地球温暖化のちの字も出ない(一応第二部に気候変動の話はある)にも関わらず、テーマの完全なる挿げ替えを行なってしまったのだ。

脚本家は本作について「新たな日本沈没を目指した」と語っているが、これでは新たな日本沈没ではなく単にタイトルを借りただけである。

これに対し、確かに2020はテーマ性の遵守には成功しているが、一方でその方法に失敗している。

「日本沈没2020」は原作と大きく異なり市民視点から描いた作品であるが、それが故に描写の中心が災害から逸れている。本作の要は人との繋がりと家族であるが、しかし結果として災害描写は脇役に落ちてしまっているのだ。

原作の日本沈没はディザスターものとしても評価が高い作品であり、これは民族論を描くための大切な手段として描かれている。つまりは、手段と目的という両軸の片側なのだ。2020はテーマという軸は守れたが、手段という軸を守れていないのだ。


以上をまとめると、リメイクにとって必要不可欠なのは

手段たる描写と目的たるテーマ性の両軸

である。両者は切っても切れないし置換もできない関係にあり、どちらかを欠かしたらそれは成功したリメイクとは呼べないのだ。

今後もリメイク・リブートは制作されるだろう。その時はこの両者を大切にするよう願ってやまない。

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