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自己紹介|はじめてのnote

今日、久しぶりに、文章を書こうと思い立った。中学生のころとかは、夢小説サイトに入り浸り、pixivに自作の夢小説を投稿したり、Twitterの公開アカウントで中二病臭いことを本気でおもしろいと思いながら呟いたりしていた。

だけど、いつからか、SNSは見る専になり、自分から何かを発信するということから距離をとるようになった。何となく、自分自身を表現すること、否定されるかもしれないと思うことがこわくなっていた。わたしの思考はかなり浅いし、わたしの文章はうまくないということを自覚するようになったからだと思う。

けど、今日、ふと、いまの自分の中にあるものを残しておいたほうがいいんじゃないか、と思った。日記が4日以上続いたことがない人生だから、またすぐやめちゃうとは思うけど、とりあえず今は頭にあるばらばらの言葉たちをまとめたくなった。すぐ辞めちゃわないように、noteに投稿してみることにもした。

実はわたしはいま、アメリカにいて、目まぐるしい日々を送っている。たとえば、昨日はホストファザーの誕生日で、みんなでめちゃくちゃデカいチョコレートアイスを食べに行って、わたしはお腹を壊した。先週は、4人の愉快な多国籍ハウスメイトたちと夜中に飲んで朝起きれなかったり、仲良しのサウジアラビアから来たクラスメートが帰国して悲しくなったりしてた。ハウスメイトやサウジアラビアの友達の話はまた今度書きたい。とにかく、日本にいたらできないような、めちゃくちゃおもろい経験をして、毎日新鮮な感情に心を揺さぶられている。

でも、もちろん、目まぐるしすぎる日々に疲れたりもしている。ホームシックになって大泣きで家族に電話したり、帰りたいと思ったりする日もあって、ほんとうに、楽しいだけじゃない。わたしがアメリカに来てから、約2ヶ月が経っていて、カルチャーショックの曲線で言うとハネムーン期が終ったころで、ちょうど落ち込む時期なんだなと、理由付けをしてみたりもした。留学生活って、世間からイメージされるような充実した日々だけじゃなくて、大半が孤独との戦いな気がする。ホストファミリーにも、ハウスメイトにも恵まれているけれど、日本の家族、友達、恋人、ご飯、場所、言語は、やっぱり恋しい。特に、最近は日本語に飢えていて、YouTubeで日本語たっぷりのラジオを聞いたりして頭を日本語で満たしている。いまこのメモを残しているのも、日本語恋しさによる部分があるかもしれない。

埼玉生まれ埼玉育ち、海外に一切縁のないわたしは、アメリカだとやっぱり肩身がせまい。英語もろくに話せずに来たため、カフェでの注文でさえも毎回緊張する。自分の無力さをここまで痛感したのは初めてだった。

21歳のわたしは、いままで日本で、恵まれた環境を活かして、人並みかそれ以上に上手くやってきたつもりだった。わりと裕福な家庭に生まれ、父と母に結構たくさん叱られながらまっすぐ育った。小学校4年生のとき、日能研に通っていた兄の影響を受け、中学受験をさせてもらい、第一志望には落ちたものの、個性を大事にする穏やかな女子校で6年間を過ごした。大学受験も人並みに頑張り、そこそこ人気のある大学に入った。大学でも、サークルは辞めたものの、学科に数人仲の良い友達ができた。成績もGPA芸人を名乗れるほど、好成績を残した。去年の秋に友達の紹介で、恋人もできた。本当に、我ながら恵まれている人生だと思う。

でも、いざ、日本語の通じないアメリカに来てみると、自分の情けなさを痛感した。行動することに臆病で、なおかつ怠け者で、自信がなくて、自分が少し嫌いになった。誰かに嫌われたらどうしよう、という自意識過剰さが、わたしの一番の足枷だと気づいた。

そのときから、わたしは考え方を切り替えた。10分後には誰もわたしのこと気にしてないよね、誰も親しい人がいないんだから、半年後には帰るんだから、逆に迷惑をかけなければ何したってどう思われたっていいよね、そう思うようになった。その考え方に慣れるのには、まだ少し時間がかかるとは思うけれども。

アメリカは自由な国だ、多様性の国だ、と謳われているが、日本人が考える自由や多様性とは、すこし違うと思う。アメリカでは、市民は多くの権利を持ち、主張することができ、そういった点では自由だと思う。けれど、日常生活からは自由さを感じない。たとえば、髪型や服装に関して言えば、前髪があったり派手な髪色にしたり、ロングスカートを履くのはオタクっぽいだとか、トートバッグを持つ男性はゲイだと思われるとか。街中、特に電車やバスでは案外みんなジロジロ見合っているし、人と話すと必ず週末の予定を聞かれ、週末に出かけないとおかしな人だと思われる。正直、息苦しい。

アメリカのネガキャンをしてしまったが、これはわたしが人からの視線を気にしながら生きているから、そう思うだけだ。それを気にしなければ、どうにだってできるし、やりたいようにやればいい。だんだん、こういう考えを持てるようになってきたのは、わたしの進歩だと思う。自分自身が自由でいるためには、自分自身に向き合って、わたしが本当にしたいことを考える必要がある。今まで周りに迎合しすぎて目を逸らしていた自分自身に向き合うことが、これからのわたしには必要だと思う。

こっちに来てから、約2ヶ月が経った。残りの4ヶ月、ほんとうのわたしを知るために、いろんなことに挑戦したい。
そして、noteに自分用のメモとして、その経験と感情を残していきたい。がんばるぞ〜

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