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恋の花咲くこともある IN 老人ホーム

 私は、シアトルにある、老人ホームのレストランでウェイトレスをしている。住民の多くはシングルだ。シングル同士なので、恋が芽生えることもある。

 エアフォース出身のドンは、自信満々で、ちょっとだけ女性を下に見ている。ウェイトレスに対しても、偉そうだ。けれども、サーヴィスをすると、きちんと「ありがとう」とお礼を言うので、許してあげる。そのドンが、半年くらい前から、ドリスと一緒にご飯を食べに来るようになった。
 ドリスは糖尿病だけれど、自分が糖尿病だということがわからない。私たちウェイトレスが、彼女の飲み物や食べ物を決める。ところが、食事をした後に、別のテーブルにしらっと座っていることがある。満腹中枢も故障しているし、食べた事実も忘れている。こちらがうっかりしていたら、二回、食事をしていることがある。要注意だ。
 食事以外の時間は、お人形を抱いて、廊下を歩き回っていたり、その日の新聞を持って、椅子に座っている。話しかけたことに応えることはできるけれど、会話はできる日と、できない日がある。
 ドンは足腰は弱っているけれど、頭はしっかりしている。ドリスが痴呆だと気付かないのか?ドンは、ドリスと何を話すのか?ドリスはドンの言いなりだからいいのかもしれない。
「立ちなさい!部屋に戻るよ!」
 食事が終わった後、ゆっくりしていたいドリスを、無理やり立たすこともある。一方で、甲斐甲斐しく、ドリスの世話もする。
「彼女のオーダーを取って」
「彼女の食事はまだ?」
「彼女に水をあげて」
 彼女の肩を揉んでいたこともある。ドンは一生懸命だけれど、ドリスは無理やり立たされても、世話をしてもらっても、何も感じていない様子だ。
 その後、ドリスの痴呆は順調に進み、2カ月ほど前、特別介護の棟へ移ることになった。この棟に入ると、外部とアクセスできなくなる。ドアにはロックがかかり、暗証番号なしで中に入ることも、中から出ることもできない。
 ドンは、また新しい相手を見つけるだろう。そう思っていたけれど、ドンは本当にドリスのことが好きだったらしい。ドリスがいなくなってから、特別介護棟のドアの前にあるソファに座り、出て来るかどうかわからないドリスを待つようになった。
 先週のことだ。朝食を届けに行ったら、ドンがソファに座っていた。
「ドン、こんな早い時間からおるん?」
「パティ?パット?パティやったっけ?俺の友達」
「ドリス?」
「ドリス・・・そんな名前やった。俺、彼女のことが恋しいねん」
「あぁ、そうやろなぁ」
 名前を忘れたとはいえ、ドンが恋しいと思う気持ちは本当だろう。
「彼女に会いたいねんけど、暗証番号がわからんねん」
「入ったらあかん場所やからなぁ」
「俺、彼女に会いたい」
 ドンの必死の訴えを聞く。ドンもドリスも、明日のことはわからない。
「わかった。会えるかどうか聞いてみるわ」
 この部屋にいる人たちは、全員サポートが必要だ。約20人の老人に対し、ケアギヴァーは、たった二人だ。ただでさえ人手不足なのに、自分で立ちあがることが困難になってきたドンが来ると、プラスワンになる。
 介護のリーダーに許可を申し出ると、彼女たちもドンのことを知っていた。きっと、毎日通っているのだろう。中に入れてもらったこともあるようだ。今回は、昼食の後という条件付きで、訪問を許してもらった。
「ドン、ランチの後ならええねんて。1時半になったら、私が一緒に行くから、それまで待てる?」
「うん。待てる」
 待てると言ったドンだけど、楽しみすぎて、待てなかったようだ。1時過ぎ、食器を返しに来たケアギヴァーの女の子に、
「1時半にドンを連れて行ってもええ?」
と聞くと、
「彼はもう中におるよ。私が扉を開けたら、目の前に立ってたから、中に入れてあげた」
 そのうち名前だけじゃなく、ドリスのことも忘れちゃうかもしれないけれど、少年のように恋心を抱き続けるドンが愛おしい。

 リチャードと二ータは恋人同士だ。二人とも小さくて、とても可愛らしい。リチャードはプルプル手が震える病気だけれど、頭はしっかりしている。足も丈夫で、毎日お散歩へ行く。朝も早くから活動する。
 一方、二ータはのんびりさんだ。
「私、お薬飲んだ?」
「今日は何曜日?」
 ちょっとだけ、物忘れも進んでいる。
 リチャードがダイニングルームに来るのは、8時前だ。一方、二ータは8時半、9時頃になるまで現れない。
「もう少し早く寝たら?そしたら、早起きできて、一緒に食事ができるやん」
「食事が終わったら、ウォーキングする?部屋で過ごしたいなら、別にええけど・・・」
 リチャードは、二ータと朝食デートやお散歩をしたい。一方、二ータは早起きも嫌いだし、お散歩もあまり好きではない。ニコニコしているだけで、返事はしない。
 そんな二ータに、リチャードはちょっとだけ疲れたのか?彼は、パトリシアと一緒に食事をするようになった。パトリシアは、見かけは二ータと似ているけれど、性格はかなりキツイ。
「(二ータの方がええと思うで~)」
 心の中でリチャードに訴える。
 リチャードが浮気(?)をしたので、二ータは、ボブと一緒に食事をするようになった。
 ボブは、足腰はしっかりしているけれど、脳はかなり委縮している。コロナにかかり、部屋待機を命じられても、ボブは、そのことを覚えられない。ふらふらダイニングルームに現れては、部屋に連行される。
 腕時計をはめて、いつも時間を確認しているけれど、ダイニングルームが閉まっている時間に、食事に現れることが多い。食事の時間が覚えられないからだ。
 食事中は、ひとりの世界だ。歌を歌ったり、目の前にお気に入りのポストカードを立てて、眺めながら食事をする。犬の上に猫が乗っているカードだ。
「ユミ、猫は楽しそうやけど、犬は、どう思ってるんやろ?」
「どいてくれって思ってるんちゃう?」
 毎回、私にカードを見せては、同じ会話をする。
 従業員がミーティングをしていると、いつの間にか輪の中に入って、ニコニコしている。
 好きな音楽をかけて、踊りながら掃除をしていると、ボブが隣で踊っていることもある。
 さすがのリチャードも、ボブにジェラシーはないやろう・・・と思ったけれど、効果はあったらしい。その翌日、リチャードと二ータが腕を組んで、お散歩から戻って来た。メデタシメデタシ。 

 ジョアンとジェイクは、新しい住民だ。まだ友達がいない二人は、すぐに仲良くなった。
 ジョアンは、ニコニコと笑顔をふりまき、いっぱい食べる。いっぱい食べるので、体も横に大きい。朝食はチーズオムレツ、ハッシュブラウン(芋の千切りを焼いたもの)、ベーコン3枚、イングリッシュマフィンだ。飲み物は、ディキャフェのコーヒーを2杯と、オレンジジュースと水と氷を混ぜたもの。コーヒー1杯につき、5個のクリームを入れるので、コーヒーフレーヴァーのクリーム状態だ。
 一方、ジェイクは少食だ。いくつかのレストランを経営していたというジェイクは、会話も上手く、ジェントルマンだ。
 その二人が、ある日、一緒に朝食に現れた。
「私にもジョアンと同じものをください」
「同じもの?同じ量でええの?」
「はい。彼女と同じで」
 少食の彼が、ジョアンと同じものを食べる?私も確認したけれど、オーダーを聞いた、クックのアラーナも私に確認した。
「ジェイクは、こんなに食べられへんやん!」
「食べるって言うてるねん」
「残されるんはイヤやわ!」
「うん。でも食べるらしいで」
 料理が山盛りのった皿を見て、ジェイクはちょっとビックリの表情をしたけれど、完食した。愛のパワーだ。
 昼食も同じ時間にやって来て、仲良く食事をしていた。この施設で、楽しみを見つけることができた二人は幸せだ。良かった良かった。
 二人の幸せを喜んだ数日後、ジェイクが、特別介護の部屋へ移るというニュースが入って来た。鍵を6回失くしたことが原因らしい。そういえば、自分の部屋の番号が覚えられないとも言っていた。その瞬間の会話はできても、何も覚えられないのかもしれない。
 その日、ジョアンのテーブルに、ジェイクは現れなかった。ジョアンは寂しいだろうなぁ・・・と思ったけれど、いつもと変わらず、ニコニコ笑顔だ。ランチもいつも通り、モリモリ食べた。
 ランチタイムが終わり、片付けをしていると、ジョアンがナースと一緒に戻って来た。
「ユミ、彼女に何か食べ物準備してもらえる?ランチを食べ損ねたらしいねん」
「・・・ジョアンはランチ食べてたで」
「え・・・そうなん?食べてないって言うてるよ」
 この日、昼食を終えた後、ジョアンはお昼寝をした。目が覚めたら1時半だったので、ランチを食べていないと思ったらしい。ジョアンはジェイクのことを、ジェイクはジョアンのことを、すぐに忘れるだろう。ちょっと寂しいけれど、これはこれで幸せだ。

 老人ホームの中の恋話でした。

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