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【シリーズ第3回:36歳でアメリカへ移住した女の話】

 このストーリーは、
 「音楽が暮らしに溶け込んだ町で暮らした~い!!」  
 と言って、36歳でシカゴへ移り住んだ女の話だ。

 前回の話はこちら↓



来日アーティスト&思い出

 "バンド・オヴ・プレジャー”との出会いは、目から鱗だった。
 そっかー、モータウンで活躍していた人は存在するんだー。
 これまで夢か幻か、みたいな存在だった人が、急に現実的になった。

 これまで日本人アーティストのライブ情報しか見ていなかったけれど、海外アーティストのライブやコンサートにもムクムクと興味がわいてきた。

 その中でも記憶に残っているアーティスト、出来事がある。
 *時系列で書きたいのですが、忘れてしまったので、思い出した順で書かせていただきます。
  

ザ・ファイヴ・ブラインド・ボーイズ・オヴ・アラバマ(The Five Blind Boys of Alabama)


 1995年頃だったと思う。
 神戸のフィッシャーマンズワーフで行われた、ザ・ファイヴ・ブラインド・ボーイズ・オヴ・アラバマのコンサートへ行った。
 アラバマ州にある聾唖、盲目の人が行く学校で知り合った仲間たちで、1939年に結成したゴスペルグループだ。 
 といっても、ヒューマンソウルが前座という理由だけでチケットを購入した私は、彼らの名前すら知らなかった。
 だから、ステージに登場した彼らを見たときはびっくりした。

 ・・・盲目のおじいさんたちだ!!!

 ブラインド(盲目)という名前なんだから、盲目でしょ・・・と言われれば、そのとおりなのだが、ブラインドの単語の意味を考えていなかったのか、もしかしたら、知らなかったのかもしれない。 
 メンバーはオリジナルで、全員70歳を超えていた。
 
 クラレンス・ファウンテン、ジョージ・スコット、ジョニー・フィールド、 オリース・トーマス、ジェイ・ティー・ハトン。
 
 彼らは目の見える人を先頭に、それぞれの肩に手をおき、一列に並んでステージの定位置までたどりついた。
 ジェイ・ティー・ハトンは目が見えたので、彼か、もしくはバンドの人が先頭だったのだろう。
 登場の仕方にも驚いたけれど、その歌声にもびっくりした。
 R&B、ソウルのような色っぽさや、おしゃれっぽさとは全く違う(ゴスペルだから当然だけど)、突き抜けている!!!という表現が一番しっくりくる。

 これは若いときの映像・・・といっても結成から25年は経っている。

 人間の生の声のパワー、リズムに圧倒された。

 衝撃が強すぎて、まっすぐ家に帰る気にならず、バーに立ち寄った。
 酒は弱い・・・どちらかといえば、飲めないくらい弱い。
 しかし、どうしても飲まずにはいられなかった。

 その店がムーンライトだ。

 この店はコンサート会場と元町駅の間にあり、以前、一度だけ友達と来たことがあった。
 店にたどりつくと、満席どころか、パンパンだった。
 座る場所がない人は、立って飲んでいる。
 祭りか???と、思うほどの混雑。
 どうやらコンサート帰りの人たちが、全員ここに集結したらしい。
 あきらめようかな・・・と思ったけれど、どうしてもどうしても飲みたかった。
 カウンターの中にいた女性が、
 「彼女のために席を空けてあげてー!」
 と言うと、あっと言う間に席が空いた。
 ほぼ全員が常連だったようだ。
 とりあえず飲みたかっただけなので、この日は、甘~いカシスソーダを一揆飲みして、店を後にした。

 あの後、泥酔した彼らは、ジェンカを踊りながら、ムーンライトを出て、町を徘徊し続けたと聞いている。

 と言いたいけれど、この日だったかどうかは定かではない。
 肩に手をおいて登場したザ・ファイヴ・ブラインド・ボーイズ・オヴ・アラバマのコンサートの後だったので、この日だったらいいのになぁ・・・と思っている。

真夜中のジェンカ

 トト(TOTO)


 大阪駅の近くを歩いていたら、黒人のお兄ちゃんに声をかけられた。
 「今日の夕方、コンサートがあるからおいで!!!
 俺の名前と、インヴィテーション(招待)って言えば大丈夫!フリーやで」
 と言って、名前を教えてくれた。
 英語だと思っていたけれど、私が理解したということは、日本語だったのかな?
 陽気なお兄ちゃんだったし、暇だし、フリーだし・・・ということで、教えられた場所へ行ったら、トトのコンサートだった。 

 トトの音楽は、誰にでも聞きやすくて、心地良い。
 
 コンサート会場の受付で、教えられたとおりのことを言った。
 「招待です」
 「えーっ!!!あなたもっ?いいかげんにしてほしいわっ!!!」
 ・・・どうやら彼らは、手当たり次第、女の子を招待していたらしい。
 会場に入ると、チケットなしで入場した女の子が、後ろの入り口付近にいっぱい立っていた。

 コンサートが終わったら、とっとと帰ったけれど、あのお兄ちゃんは誰だったんだろう?
 トトのメンバーで黒人といえば、グレッグ・フィリンゲインズしか思い浮かばない。
 スティーヴィー・ワンダー、マイケル・ジャクソン、レイ・チャールズ、叫びたくなるほど、素晴らしいアーティストと共演している。
 違う人かもしれないけれど、グレッグ・フィリンゲインズだったら嬉しいので、そういうことにしておこう。

ジョー・サンプル(Joe Sample)


 その頃、よく遊びに行っていたクラブに、ジョー・サンプルが現れた。
 1939年生まれ、ザ・クルセイダーズ結成メンバーの、ジョー・サンプルである!
 マイルス・デイヴィス、ジョージ・ベンソン、B.Bキングなどなど、数多くのアーティストと共演してきた、あのジョー・サンプルだ!

 コンサートを終えて、ふらりと遊びに来たらしい。
 ラッキーなことに、私の大好きなピアニストの小島良喜さんも遊びに来ていた。
 そして、まさかのセッションが始まった~!!!
 ジョー・サンプルと小島さんのバトルが、目の前で繰り広げられる。
 しかも、客はほとんどいなかった。
 この夜で、運が全部使い果たされたかと思うくらい素晴らしかった

 私は、相変わらず音楽も英語もわからなかったけれど、一緒にいた人たちは違う。
 コンサートやバーで知り合った彼らは、音楽を職業にしていたり、音楽に詳しい人たちだった。
 演奏を終えたミスター・サンプルは、我々のテーブルにジョインした。

 私以外の人は、話を理解して笑っていたけれど、私はとりあえず笑っていた。
 でも、お手洗いへは私がご案内した。
 トイレの前で立ち止まったミスター・サンプルは”ありがとう”と優しい笑顔でお礼を言い、私にしばらく話し続けた。
 一生懸命聞いたけれど、さっぱりわからなかった。
 席に戻ると、
 「口説かれたんやっ!」
 と友達は言った。
 事実は、ミスター・サンプルしか知らないので、記念に口説かれたことにしておこうと思う。
 本当に素晴らしいピアノだった。

クール&ザ・ギャング(Kool &The Gang)


 「クール&ザ・ギャングが、大阪ブルーノートでライブをするから一緒に行こう!」
 と友達から連絡があった。
 もちろん行った。

 彼女は、なぜか黒人ビックアーティストに顔が広い。
 私は英語が話せないことに加え、アーティストとお友達になる勇気もないけれど、お友達になれる人とお友達になったおかげで、色々なライブに誘っていただける。
 とってもラッキー。

 このときは、リードヴォーカルのジェイムズ”ジェイ・ティー”テイラーがグループから抜けているときだった。
 盛り上がらないかな?と思ったけれど、無駄な心配だった。
 確か9人編成のバンドだったと思う。
 リードヴォーカルはいたと記憶するけれど、思い出せない。
 メンバーは皆、歌がうまいし、曲はいいし、演奏もカッコいい。
 ひたすら楽しかった。  

 ライブ終了後、メンバーの3人、彼らの連れの女性、そして私は薄暗いフィリピン・バーにいた。
 テーブルの横には、ポールダンス用のポールがあったので、普段はストリップもするのかな?
 それにしても、なんでフィリピン・バーだったんだろう?
 そして、なんで私がいて、彼女がいなかったんだろう?
 未だにわからない。
 3人のメンバーが誰だったのか、何を話したのかすら覚えていない。
 英語が話せないので、話の内容は覚えるに至らないとしても、名前まで忘れることはないと思う。 
 それでも、ひとつだけ鮮明に覚えていることがある。
 エレヴェーターに乗ったときに、誰かが私の尻を触った。
 振り向くと、両脇に美しい女性をしたがえた、メンバーのひとりが、私の顔を見て、ニタっと笑った。
 犯人の名前はわからないけれど、
 「クール&ザ・ギャングのメンバーに、尻を触られたことがある!」
 という自慢である。
 

ファンク・フェスティヴァル

 短い間だけれど、東京で暮らしたことがある。
 東京で観た、一番楽しかったコンサートが、1996年、日比谷野外音楽堂で行われた”レッツ・グルーヴ”だ。

 オハイオ・プレイヤーズ、キャメオ、コンファンクシャン、ザ・イモーションズ、バー・ケイズなど、アメリカのファンクバンドが野音に集まった、素晴らしいイヴェントだった。

 オハイオ・プレイヤーズの曲は、全曲大好きだ。
 メンフィス、スタックスレコードの老舗バンド、バー・ケイズBar-Kaysのリズムはカッコいいのひとこと。ズンズン音は響き、勝手に体が動きだす。
 キャメオのステージング、構成は、感動的に素晴らしかった。

 やっぱり上手に説明できないので、映像を観てください。

 これは、今でもアメリカで続いている”レジェンド・オヴ・ファンク”というイヴェントの映像。
 おじいちゃんたちは、相変わらずカッコいい。

 このイヴェントに誘ってくれたのは、歩くブラックミュージック図鑑みたいな女性だった。
 東京生まれ、東京育ちで、ファッション業界で働く彼女は、関西の一般人の私とは、まったく違う空気をまとっていた。
 東京も音楽も無知に等しい私が、東京でいい音楽を聞けたのは、彼女のおかげである。
 ソウルバーにもよく行った。
 音楽を聞きながら、
 「この声がセクシーでたまらないのよね~・・・は~ん・・・」
 と、ソウルとセックスのことを、さらっと語っていた。
 感じたままを話してくれるので、英語と同じくらい、内容がわからなかった。
  

 彼女たちのおかげで、私はいい音楽をいっぱい聞くことができた。
 本当に恵まれていたと思う。
 
 ”来日するアーティストのコンサートへ行く”ことを楽しんでいた私だけれど、あるときから、”コンサートを聞くために訪米する”ようになる。

 つづきは後日でーす。

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