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ドラマクウィーン・ジョアン

 私はシアトルにある老人ホームのレストランでウェイトレスをしている。
住民は皆、体のどこかに問題があり、お薬を飲みながら、病院へ行きながら、静かに暮らしている。けれども小さなドラマは毎日起こる。ここ最近、ドラマを起こし続けているのがジョアンだ。

 先日のことだ。アンジーが私に言った。
「昨日、ジョアンと喧嘩してん。彼女は、私が椅子から歩行器に移るときに『あんたのやり方は間違ってる』て言うてんで。だから『あんたに指示される覚えはない!』て言い返したった。今日も同じテーブルに座ってたけど、ひと言も話してないねん」
「へー、そうなんや」
 ジョアンが意地の悪い顔でアンジーを見ていた理由がわかった。
 アンジーは、アライグマのように目がクリッとしたおばあちゃんだ。腕が少ししか上がらないので、食事は全部手づかみだ。小さくカットしたり、トーストにジャムを塗ったり、皿やコップを置く場所を移動したり、住民の中で一番手がかかる。そして誰よりもかわいがってもらいたい欲求が強いので、次から次へとお願いごとを見つけ出す。アンジーの近くを通り過ぎるたびに、
「ハニー!・・・ユミ!・・・」
と呼び止められる。ランチの真っ只中で忙しいときは、アンジーの近くを歩かないようにするけれど、甘えん坊の彼女はどこか憎めない。
 一方、ジョアンは新しい住民なので「たくさん食べる人」というイメージしかなかった。インスリンを腹に打ち、朝食からモリモリ食べる。昼食も夕食もモリモリ食べる。嚥下に問題があるのか?フルーツやサラダなどの生物は細かく切ってから食べている。すごいのはドレッシングだ。サラダを食べるというよりも、ブルーチーズドレッシングの中で野菜が泳いでいる状態だ。チーズが大好きで、パスタのときはエキストラチーズを要求する。
 アンジーと喧嘩をしたのなら、別のテーブルに座ればいいと思うけれど、これは戦いだ。逃げるわけにはいかないのだろう。実際、ジョアンは前のテーブルにも戻れない。以前、ジョアンはジェイクと同じテーブルで食事をしていた。ジョアンの方が積極的で「7時にダイニングルームに集合!」「一緒にエクササイズをしよう!」と誘っていた。

 ジェイクは特別介護の部屋へ移る予定だったけれど、延期になったらしい。これからも二人で食事ができると勝手に喜んでいたら、ある日突然、ジョアンがアンジーのテーブルで食事をするようになった。
「ジョアン、おはよう。今日はこっちのテーブルで食べるんや」
「ジョアンはジェイクのことを怖がってるねん」
 隣にいたメリーがこっそり教えてくれた。
「へー・・・」
 ジョアンはジェイクをその気にさせてしまったのか?おじいちゃんとはいえ、ジェイクも男だ。ジョアンの大きなおっぱいを触ったりしたのかもしれない。とはいえ、ジョアンもジェイクも歩行器だ。一応ひと目もあるし、ベッドの上で、隣同士で座らない限りおっぱいは触れない。同じ部屋に入った時点で「OKやん」と私は思うので聞き流しておいた。
 この日から、ジェイクはひとりぼっちで食事をするようになった。彼は、アラスカやカナダでレストランを経営していた。田舎とお酒が大好きなおじいちゃんだ。
「おはようジェイク、調子はどう?」
「ユミ~、あかんわ。飲んでないのに、二日酔いみたいに気持ち悪い」
「そうなんや。寝てる間に飲んだんちゃう?」
「そうかも・・・。俺、飲みに行ってたんかな?」
「そうちゃう?クランベリージュースでデトックスしとく?」
「そうするわ~」
 ほぼ毎朝、謎の二日酔い状態でダイニングルームへやって来る。ジョアンと何があったかは知らないけれど、酒を飲んで盛り上がっちゃったのかもしれない。盛り上がったところで、できることは限られている。限られているけれど、この日以降、ジェイクは危険な男として、メリーやアンジーから睨まれている。黙って言いふらされているジェイクより、言いふらすジョアンの方が怖い気がする。

 ジョアンは、アンジーとジェイクと喧嘩(?)をした。詳細はわからないけれど、どうやらこれらドラマの原因は、ジョアンにある気がする。
 先週の水曜日は、彼女のお誕生日だった。
「お誕生日は、皆がお祝いをしてくれるから、2つのテーブルをつなげておいてね。茄子のチーズ焼きをリクエストしたの。デザートはチーズケーキよ。皆に配ってね」
 3週間前から数回確認していた。ものすごく楽しみにしていたのだろう。その日はテーブルの周りを、いつもより丁寧に掃除しておいた。
 ところが、ジョアンは勘違いをしていた。お誕生日のお料理は、彼女のテーブルに座る人全員に配られると思っていたらしい。これは会社からジョアンへのプレゼントだ。海老でもステーキでもカニでも、何をリクエストしても構わないけれど、本人分だけだ。通常、家族でお祝いしたい人は、レストランへ行ったり、家族が住民たちに配れる量のケーキを差し入れする。
「ジョアン、お誕生日楽しかった?」
「ユミ、私は3週間前からリクエストしてたのに、あの女は何もしてくれなかったのよ!私がお金を払うって言うたのに、彼女がいらないって言ったのよ!結果、お料理は私の分だけやし、チーズケーキはちょびっとやし、私は怒ってるの!」
「そうなんや」
「私はあの女をクビにする!」
「えー!そうなん?普通はお誕生日の人の分しか料理は作らへんよ。誤解やと思うでー。私から話してみよか?」
「あなたは黙ってなさい!私はこのことを全員に言いふらして、彼女をクビにするのよ」
「へー・・・わかった。じゃ、なんも聞かんかったことにするわ」
 早速、リンジーに報告をする。
「えー!彼女から払うなんて言われてないで。私が自腹で材料買って作ってんでー。家族が来ることも知らされてないのに、どうやって人数分を用意するん?それに来てたのは息子さんだけやで。食事中、何度も見に行ったけど、彼女は何も言わんかったで!」
 そりゃそうだ。ジョアンの望みは、リンジーを突然クビにすることだ。リンジーは憤慨している。自腹でお料理を作ったリンジーには気の毒だけれど、老人は忘れちゃったり、思い込んだりして、自分勝手に色々なストーリーを作ってしまう。
 さて、この日「皆に言いふらす!」「あの女をクビにする!」と豪語していたジョアンだけれど、言いふらす時間がなかった。大きなジョアンは椅子から立つにもヘルプが必要だ。ヘルプを待っている間に、他の住民は食事を終えて、お部屋に戻ってしまった。唯一残っていたのが、食事に遅れて来たジェイクだ。この際、危険な男でも構わないのか?というよりも、ジョアンは彼が危険な男だということを忘れているのかもしれない。歩行器を押しながら、ジェイクのところまで行き、お誕生日の出来事を話した。
「そんなに悪い人ばかりでもないと思うけどねぇ。ユミが話を聞いてくれるんじゃないの?」
「ユミには黙っとけって言った。私はあの女をクビにする。それだけよ!」
 そういうと、不適な笑みを浮かべて、ジョアンはゆ~っくりとダイニングルームから出て行った。
 残念ながら、ジョアンがリンジーをクビにすることはできない。クビにできる材料がない。
 ドラマ・クウィーン・ジョアンは、お誕生日のことも忘れて、また新しいドラマを生み出すに違いない。

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るるゆみこ
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