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「逃げる」という選択
今朝、YouTubeの相方、GAVIさんの記事”「オシャレすることが平和の象徴」とするサプール文化がなぜ生まれたか?①”を読んだ。
サプール文化がなぜ生まれたか?の第一弾だ。
コンゴ民主共和国とコンゴ共和国の歴史が綴られていて、とても興味深い。
コンゴ人に対する人権侵害、残虐行為など、悲しい現実が書かれていて、サプールへたどりつくまで、しばらくかかりそうだ。
この記事を読んで、思い出した本がある。
2007年に出版された「A Long Way Gone」だ。
1990年代、アフリカのシェラレオネ共和国の内戦で、少年兵士として戦ったイシメール・ベアの体験が綴られている。
日本では2008年に、忠平美幸さんの翻訳で、「戦場から生きのびて(ぼくは少年兵士だった)」というタイトルで出版されている。
1991年から始まったシェラレオネ共和国の内戦は、反政府勢力、革命統一戦線(RUF)と、政府軍の交戦だ。
ダイアモンド鉱山の支配権をめぐり、大規模な内戦に発展した。
2002年の内戦集結までに、7万5千人の死者を出している。
あらすじ
1991年、シエラレオネで内戦が勃発した。
1993年、革命統一戦線(RUF)はイシメールの家族が暮らすモグブェモを襲った。
襲撃当日、彼はモグブェモを離れていた。
兄のジュニアを含む仲間たちと組んだラップグループで、タレントショウに出演するためだ。
襲撃は免れたけれど、RUFが占拠しているモグブェモには帰れない。
13歳のイシメールとジュニアは、家族と離れ離れになってしまう。
しばらくすると、生き残った村人たちは、海岸線にある、別の集落に避難していることがわかる。
子供たちは集落へ向かう。
長い道のりだ。
途中、受け入れてくれる村ばかりではない。
RUFのメンバーと疑われ、殺されそうになったこともある。
そんな彼らを救ったのが、彼らのラップを録音したカセットだった。
「これはなんや?」
「ラップミュージックです。アメリカの音楽で、僕たちはグル―プを作ってパフォーマンスをしていて・・・」
「やってみろ」
恐怖の中でパフォーマンスをする彼らは、邪気のない子供だ。
命拾いをする。
とはいえ、村での滞在が許されるとは限らない。
許されたとしても、RUFが襲撃してきたら、再び逃げ出さなければならない。
ある時、イシメールはひとりぼっちになる。
逃げる途中で、兄のジュニアと離れ離れになったからだ。
一緒に海岸線を目指していた友人も、受け入れてくれた村に残ることを選択した。
それから数か月間、他のグループの子供たちと出会うまで、彼は空腹と静寂と戦いながら、たったひとりで湿地帯の中を歩き続ける。
ある日、隣の集落に、彼の家族とジュニアがいることを知る。
あと少しで家族に再会できる!
その直後、RUFがその村を襲撃した。
焼き尽くされた家々を見て、家族全員が亡くなっていることを理解する。
再び歩き始めた子供たちを、政府軍が発見し、保護する。
政府軍に保護された子供たちは、兵士のために料理をする女性の手伝いをして暮らした。
ようやく子供らしい暮らしができるようなったのは束の間、政府軍は子供たちを兵士として駆り出す決断をする。
RUFの勢力は強い。
兵士にならず、村から出て行けば、RUFに殺される。
子供たちにチョイスはない。
彼らはコケインとマリファナで洗脳され、家族を殺したRUFのメンバーにリベンジをするため、少年兵士として戦場に立つ。
イシメールが16歳になったとき、ユニセフのメンバーが集落にやってくる。
中尉は、彼を含む何人かの子供たちに命令をする。
「戦場を離れ、新しい人生を進みなさい」
トラックに乗せられた彼らが到着したのは、シエラレオネの首都フリータウンのリハビリセンターだ。
子供たちからドラッグを抜き、本来あるべき生活に戻すことが目的だ。
ところが、このセンターには、RUFの少年兵士もいた。
敵軍の子供を見つけると、彼らは殺し合いを始める。
家族を亡くし、政府軍にしか居場所がなかった彼らは、戦う以外の生き方を知らなかった。
そんな彼らを、ナースやスタッフの言葉が救う。
「あなたがこんな風になったのは、あなたがこんなことをするのは、あなたのせいじゃない」
何度も繰り返されるこの言葉が、次第に意味をもって頭の中に入ってくる。
ドラッグが抜けた子供たちは、この言葉に救われて、本来の自分を取り戻し始める。
リハビリを終えたイシメールは、フリータウンのおじさんの家で暮らすことになる。
子供らしい、平和な暮らしが戻って来た。
さらに、ニューヨークで開催された国際連合に参加し、少年兵士としての経験、現在のシェラレオネの問題をスピーチする。
彼はこの会場で、ストーリーテラー(講談師)のローラ・シムスと出会う。
後に、イシメールの養母となる人だ。
イシメールがニューヨークから戻ってしばらくすると、RUFがフリータウンにまで侵略してきた。
おじさんの家が襲撃されるのも時間の問題だ。
外に出ることは危険な状態で、体調を崩していたおじさんは、病院へ行くことも、薬を手に入れることもできず、亡くなってしまう。
おじさん家族は、彼を家族の一員として迎え入れてくれた。
けれども、イシメールはこの国を脱出することを決意する。
RUFの襲撃によって殺される可能性もある。
彼の場合は、政府軍に見つかることも危険だ。
共に戦わない彼を、元仲間は殺すだろう。
彼は、殺されることも、戦場に戻り人を殺すこともしたくなかった。
リベンジはリベンジを生み、誰も幸せにしないことを彼は理解していた。
彼はローラと連絡を取り、たったひとりで、祖国を脱出する。
ストーリーは、命がけで脱出を図った彼が、バスで隣国のギニアに入国するところで終わっている。
逃げる
このストーリーを読んだとき、イシメールの生に対する執念、才能、運が、ダンナのそれと重なった。
ダンナはシカゴのサウスサイドの出身だ。
ビジネスはなく、そこにあるのはギャング、貧困、アルコール、そしてドラッグだ。
「俺は、サウスサイドから絶対出て行こうと思ってた。
仕事もない、ドラッグがはびこって、殺される心配ばかりしてる場所なんか大嫌いや。
俺は、出て行くことばかり考えてたけど、サウスには、サウスから出て行かへん奴、ママの家で一生終わる奴がいっぱいおる。
彼らは、そこしか知らんし、他の生き方を知らんから仕方がないねん」
逃げる人、逃げない人、逃げたくても逃げられない人、その人の環境や性格によって色々だ。
無事にニューヨークに渡ったイシメールは、大学で政治学の学位を取得、現在は、主に戦争被害者の子供たちのために、人権活動家として活躍している。
数年前のインタヴューで、今でも家族が燃やされたときの風景や、ライフルで撃たれた人の姿、彼自身が殺した兵士の姿を思い出して、ときどき動けなくなると話していた。
ニューヨークにいる自分に気付き、生きている事実に感謝する。
どんなに逃げても、幸せになれるとは限らない。
心の傷からは逃げられないかもしれない。
それでも、イシメールもダンナも、負のサイクルを断った。
ダンナはシカゴのサウスサイドを、シカゴを去り、シアトルに移住した。
彼の息子が、父親をシューティングで亡くす不幸を経験することはないだろう。
イシメールに子供がいるという情報はないけれど、もしいたとしたら、彼は子孫に新しい人生を与えたことになる。
彼らは自分たちの世代で、負のサイクルを変えた。
これってすごい。
このストーリーを読み続けるには、かなりの覚悟がいる。
とても苦しい。
けれども、海を渡った他の国では、こんな恐ろしく悲しいことが普通に起こっている。
祖国から逃げる必要のない私たちは、とても幸せだ。
そんな日本でも、虐められて命を絶つ人がいる。
とても苦しいと思う。
人生をあきらめる前に、逃げて欲しい。
いいことがあるとは限らないけれど、生きていれば何かは変わる。
世界中の子供たちが幸せに暮らせる、そんな世の中になって欲しい。
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