アメリカと日本の違いについて考えてみた😊
ダンナとの出会いについて語っているビデオでございます。
これまで記事に書いたことはあったけれど、映像になったのははじめてだ。
運命を信じて飛びかかり、現在に至っている😁
とはいえ、このYouTubeコンテンツのポイントは、私とダンナの夫婦のエピソードではない。
”異文化適応力”だ!!
漢字が並ぶと、それだけで降参しそうです。
前回、GAVIさんが、”異文化適応力”について解説されていましたが、さらに補足説明をされました。
これを読めば、GAVIさんのしたいことがはっきりわかる!
なるほど。
アメリカと日本、思いつく”違い”について考えてみた。
【夫婦】
ダンナと暮らしていても、
「なんでーーーー???」
と思うことはいっぱいある。
アメリカでは、私は移民の側だ。
”郷に入っては郷に従え”という諺もある。
ダンナに合わせるか・・・とはいえ、これまで”正しい”と思って生きてきたことを、簡単に変えることはできない。
私の”正しい”は、彼にとっては”不可解”だ。
「お前みたいな頑固もんは見たことがない!!!」
不可解な行動をし続ける私に対して、彼が叫ぶ。
「頑固はそっちやー!」
心の底から思う。
口が悪いので、最初はダンナに否定されているのかと思った。
「私を否定するなー!」
「否定ちゃう!意見や!お前も言うたらええやん!」
「もうちょっと優しく言えんのか!」
「これが俺じゃーーー!」
「・・・そうですよね・・・」
彼は、自分の意見を述べているだけだった。
”嫁の行動や考え方を変えてやる!”と思っているわけではない。
ダンナはダンナ。
私は私。
言いたいことを言わなければ、相手に自分の考えは伝わらない。
”言わなくても理解しろ!”という発想は傲慢でしかない。
ダンナから学んだ私は、お言葉に甘えて、言いたいことを言う。
おかげで大喧嘩だ・・・。
しかも、言ったところで伝わらないこともある。
とはいえこれは、日本人同士の夫婦でも絶対にある。
男と女は違う生き物なので、仕方がない。
それでも、意見が違うことは悪いことばかりではない。
ダンナの意見に従ってみて、
「お、ええやん!」
と思うことも意外とあるのです。
【会議】
会社の会議に参加したことがある。
皆が、好き勝手に発言するのでビックリした。
誰かの意見に対し、
「俺はこうやと思うわ」
「私は〇〇さんの意見に賛成!」
ジュースを飲みながら、お菓子をボリボリ食べながら、姿勢を崩し、言いたい放題だ。
「会議ってこんなだらしなくていいの?」
「こんなダイレクトに反対してええの?」
「この意見をどうやってまとめるんだ?」
頭の中は「?」マークでいっぱいだ。
行方を見守った。
「じゃ、〇〇さんの意見で決定しまーす」
多数決、もしくは、司会進行者が最も理にかなっていると思った意見を採用する。
結局、進行する人が、会社の方針をコントロールしているのかもしれない。
けれども、そのことに対して文句を言う人はいない。
激しく言い争いをした相手とも、会議が終われば、普通に話をしている。
これは会社における、ひとつのトピックに対する、個人の考え、意見だ。
他のトピックになったら、同意できることもいっぱいあるかもしれない。
意見が違うだけで、その人が狂暴な殺人犯というわけではない。
「違う」というだけだ。
実際、激しい意見の交換がある方が、会議としては正解だ。
中には、ビックリするほど素敵な意見に出会えるかもしれない。
日本で会議に出た記憶がほとんどないので、比べることはできない。
会社の体質もある。
”これがアメリカです!”とも言えない。
けれども意見を述べること、聞くことは悪いことではないと思う。
それでも会社の方針に納得できない人はいる。
そんな人はどうするか?
会社を辞める。
【転職】
転職に対する概念は随分違うと思う。
「この会社がダメでも他がある」
転職に対してネガティヴなイメージを持っている人は、少ないと思う。
ヘッドハンティングは、もちろんステップアップだ。
嫌いな会社を辞めることも、やはりステップアップだ。
自分の生き方を大切にする。
自分が楽しいと思える仕事を選ぶ。
仕事を辞めて、経済的リスクを持つのは、辞めた本人だ。
辞める理由にもよるけれど、転職にネガティヴなイメージがないので、ひとつの会社に固執する必要がない。
これは精神的に楽だろうなぁ。
「しばらくはラーメン屋で働こう」
という選択もある。
”職業に貴賤なし”という人ばかりではないけれど、比較的多いような気がする。
【障害者】
障害者に対する受け入れは、随分違うと思う。
私が働いていたスーパーでも、障害者の人が働いていた。
スーパーの仕事は、銀行のようにお金を扱ったり、病院のように命に関わる仕事ではないので、失敗してもダメージがほとんどない。
他の職種に比べて、障害者を採用する枠も多いのかもしれない。
アシスタントなしの人もいれば、市の職員に付き添われて作業をする人もいた。
時々、突拍子もない行動をする人もいるけれど、周囲の人がサポートする。
同僚に文句を言う人はいても、障害のある方に、文句を言う人はひとりもいなかった。
お客さんが文句を言うこともない。
皆が、彼らの100%を受け入れていた。
障害者以外でも、仕事ができない人はいる。
「なんでできないのー?!」
という人が妙に多い。
・・・怠惰?
多くの人が、日本人と比べると、怠惰であることだけは間違いない。
けれども、本当に”仕事ができない人”もわんさかいる。
病気、アルコール、ドラッグ、家庭環境、原因は色々だと思う。
日本と違う点は、”できない人”を、皆がテキトーに受け入れていることだ。
「彼はこういう人」
と判断しているのか、
「彼は病気なんだろうな」
と思っているのかはわからない。
ADHD(注意欠陥、多動性障害)などの神経発達症や鬱の人も少なくない。
ドラッグや貧困が蔓延する国だし、複雑な家庭環境で育った人も多い。
精神的に病んでいる人も多いように思う。
アメリカで育った人の多くは、そういう様々な事情がある人と、子供の頃から共存している。
「できないもんは仕方がないよね」
「できる人がすればええやん」
とどこかで割り切っているように思う。
少なくとも、私の職場の人はそうだった。
日本の環境は、これら精神疾患や、神経発達症を公にしにくいかもしれない。
けれども、私たちが思っている以上に、これらの病気で苦しんでいる人は多いんじゃないかな?
【違いを受け入れる】
簡単そうで簡単じゃない。
それでも、人は変わらない。
変わることを期待しても、多くの場合は変わらない。
「変わって欲しいなぁ・・・」
相手も同じことを思っているかもしれない😁
性格もあるし、環境も色々なので、難しいとは思う。
それでも違いを受け入れることで、その人の素敵な部分も見えてくることがある。
違いを受け入れることで、自分自身も楽になれることもある。
皆が違いを受け入れたら、優しい社会になるだろうな🎵