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アラーナから悪魔はいなくなるのか?

 私は、シアトルにある老人ホームのレストランでウェイトレスをしている。
 先日、ウェイトレスのヴィッキーが作ったチーズケーキを、クックのアラーナが、黙って捨てるという事件が起こった。

 チーズケーキ事件が起こるまで、ヴィッキーは、アラーナの独裁に腹を立てながらも、きちんと会話をしていた。けれども、今回は違った。その後、数日間、ヴィッキーは悪魔のアラーナと、ほとんど口をきかなかった。朝食と昼食を担当するアラーナと、顔を合わす時間を少なくするため、朝食は、私ひとりでサーヴィスし、ヴィッキーは、昼食から出勤するようになった。

 朝、6時半に出勤すると、アラーナがキッチンで朝食の準備をしている。
「おはよう」
 悪魔は顔も上げない。
 いつものことなので、気にせず、準備に取り掛かる。夕食を担当する学生たちは、キッチンの掃除もいいかげんだ。シンクを洗い、食洗器を洗い、朝からピカピカに磨きあげる。
 7時半になると、住民がパラパラと食事にやってくる。
 アラーナは、ひとりの住民が、2回注文することを許さない。例えば、ロンは、毎朝、オートミール、ベーコンとソーセージを二つずつ注文する。ところが、これらを食べ終わった後に、
「パンケーキも頂戴」
 と言うことがある。アラーナは、この2回目の注文を、絶対に受け入れない。とはいえ、ここは住民の家だ。彼らは、ここでしか食事ができない。高いお金も払っている。難しい料理ならともかく、すでに作ってあるパンケーキの生地を、鉄板に流せば出来上がりだ。
「パンケーキくらい、なんで作ってあげへんの?」
 文句も言いたくなる。
 けれども、アラーナを動かすことは、誰にもできない。黙って、オーダーシートに書いて出しても、すぐに気付く。悪魔は異様に記憶力が良く、誰が何を注文したかを、クリアに覚えている。
 そこで私たちウェイトレスは、まだ食べに来ていない人の名前を使って、注文する。けれども、これが難しい。毎朝、食べに来る人の名前を使うと、本人が来たときに、注文ができない。まったく来ない人の名前を使うと、アラーナが不審に思う。
 朝食の場合は、オートミールしか食べない人もいる。オートミールは、すでに鍋に入っているので、アラーナに、オーダーを通す必要がない。そこで、オートミールだけを食べる人の名前を使う。ところが、そんな日に限って、
「目玉焼きもちょうだい」
 と言われる。こうなると、また別の人の名前を考えなければならない。悪魔のおかげで、朝から頭はふる回転だ。
 
 それでも、しばらく一緒に働いていると、悪魔の扱い方もわかってくる。実は、ちょっぴり、いい部分もある。
 彼女は、他人に頼られること、質問されることが大好きだ。
「アラーナ、ジャムってどこに保管してるの?」
 作業を中断して、必ずそこの場所まで連れて行ってくれる。
 業務用の缶切りが上手に使えず、奮闘していると、
「手貸そか?」
 こう言って、使い方を教えてくれる。
 重いバケツの水を捨てようとしていると、
「手伝おか?」
 水を捨ててくれる。
 料理名の発音を尋ねると、
「他の国の人にとって、英語は難しいよねー」
 他の誰よりも丁寧に教えてくれる。
 すごいなぁと感心するのは、派手に言い合いをしても、言い合いが終わるとケロリとしているところだ。こちらは喧嘩だと思っていても、彼女にとったら、ただの討論なのだろう。あまりケロリとされると、拍子抜けするけれど、ダラダラ引きずられるよりいい。
 床掃除はしないけれど、テーブルやオーヴン、棚や冷蔵庫など、暇さえあれば、タオルで磨いている点も、見ていて気持ちがいい。盛り付けは汚いけれど、料理をするテーブルはいつもピカピカだ。その盛り付けも、パーティ用の大皿になると、妙に上手い。バランスは悪いけれど、悪魔にもいいところはちゃんとある。
 どうやら、アラーナの悪魔は、自分が優位にあるとき、自分が慕われていると感じられるときには、身を潜め、普通の女の子が現れるらしい。
 これらを把握すると、悪魔とも、そこそこ上手くやっていける。二度のオーダーのように、彼女が絶対に受け入れないとわかっていることは、こちらで他の方法を考える。私の場合、彼女に尋ねることはあっても、教えることはない。要領さえ把握すれば、意外とスムーズに仕事ができる。

 スムーズに仕事ができる要因のひとつは、やはりチーズケーキ事件があったからだろう。あの優しいヴィッキーが、数日間、口もきかなかった。口をきいても、以前のように、親しみのある返事はしなかった。私はいつでもヴィッキーの味方だ。アラーナが、ヴィッキーに申し訳ないと思った、とは思わない。けれども、さすがのアラーナも、ヴィッキーを本気で怒らせたこと、ウェイトレスを敵に回したことに、気付いたはずだ。 
 事件から数日後、アラーナがヴィッキーに尋ねた。
「ヴィッキー、来週、デザート作りたい?」
 すごーい!と思ったけれど、アラーナは、ヴィッキーのレシピではなく、彼女のレシピで作るように言った。ヴィッキーの返事はもちろん「NO」だ。
「なんで、私が、あの女のレシピで作らなあかんねん!私は、私のレシピで作りたいんや!」
 ヴィッキーの怒りはおさまらない。

 けれども、ヴィッキーは優しい。怒り続けることも苦手だ。なにかとヴィッキーに話しかけるアラーナに、冷たくし続けることができなくなった。そして、彼女は、本当にデザートを作りたかったのだろう。
「来週の月曜日と火曜日、私がデザートを作る!私のレシピで作る!」
 アラーナに宣言した。
 ヴィッキーが元に戻ったら、アラーナも戻るかな?と思ったけれど、
「わかった」
 アラーナは、素直にヴィッキーのことを受け入れた。

 さらに、先週末のことだ。
「おはよう、アラーナ」
 いつものように挨拶をすると、
「おはよう」
 彼女がボソリとつぶやいた。びっくりだ。

 チーズケーキ事件以降、悪魔は陰を潜めている。このまま悪魔がいなくなるとは思わない。けれども、ちょっとずつ、アラーナの中から悪魔がいなくなって、綺麗好き、料理好き、実は親切なところもある、25歳の可愛いアラーナに変わっていけばいいなぁ。
 まずは、ヴィッキーのデザートが、無事に住民の口に入りますように!

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