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分離すれど平等:Plessy v. Ferguson(プレッシー対ファーガソン裁判)
現在、ミシシッピ州ジャクソン市では、白人至上を維持するための抵抗が起こっている。
その様子は、アメリカの分離教育撤廃の際に、南部諸州が見せた、最後の抵抗、1962年のオールミス暴動を彷彿させた(⇩)。
今回は、分離教育撤廃に至るまでの、黒人たちの戦い、白人至上主義者の抵抗について、書いてみようと思います。
まずは、Plessy v. Ferguson裁判です。
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1865年、南北戦争終結後、政府は、南部のシステム改善に努めた。
中でも重要な憲法は3つ。
憲法修正第13条「奴隷制の廃止、及びその継続」
14条「アメリカ合衆国のすべての市民は憲法のもとに平等」
15条「アメリカ合衆国すべての市民に投票権がある」
そして、”これらの憲法を、州が制限、否定してはならない”と記されている。
とはいえ、南部の人間は、そう簡単には変わらない。
さらに、政府の指導者たちも、12年後の1877年には、
「終了!!!」
と、南部から撤退してしまった。
指導者がいなくなった途端、南部各州は、有色人種に対する隔離政策を、次々と議会で可決していった。
それが、ジム・クロウ法だ。
これは、黒人に対して、一般公共施設の利用を禁止、制限するものだ。
例えば、病院、学校、ホテル、レストラン、バス、電車、学校などの利用を制限することにより、黒人と白人を分離した。
1892年、ついに、ルイジアナ州の市民団体は、列車における人種差別と戦うために立ち上がった!
この戦いに、原告として選ばれた人物が、ライトスキンのHomer Plessy(ホーマー・プレッシ―)だった。
Plessyは、8分の1しか、黒人の血が混じっていない。
法的には黒人とみなされるけれど、見た目は白人だ。
Plessyの役割は、逮捕され、事件を裁判に持ち込むことだ。
その日、彼は、白人用車両(ファーストクラス)に乗車した。
車掌が近付いてくる。
「あなたはカラードですか?」
「そうですよ」
「では、法律に従って、カラードの車両に移動してください。ここは白人車両です」
「チケットも買っています。私はここから動きません。
この法律は間違ってる。どうぞ逮捕してください」
Plessyは、鉄道車両における、人種隔離法違反の罪で逮捕される。
これで、この事件を憲法13条と14条の違反で、裁判に持ち込むことができる。
予定通り。
地方裁判所、Ferguson(ファーガソン)裁判長の判決は有罪。
判決理由は、
「州内で列車が運行されている限り、ルイジアナ州には、その鉄道会社を統制する権限がある」
というものだ。
次の、ルイジアナ州最高裁判所でも、有罪判決。
これで、合衆国最高裁判所で戦うことができる!
さて、1896年、最高裁判所の判決は・・・
「分離していても平等であれば憲法14条に違反しない!」
・・・つまり、列車を含む公共施設を人種で分離しても、各施設のクオリティーが同じであれば平等ということだ。
実際には、白人施設の方が、はるかにクオリティーが高い。
けれども裁判長は、
「有色人種がそのように解釈してるだけ」
と言って認めなかった。
この一連の裁判は、Plessy v. Ferguson(プレッシー対ファーガソン裁判)と呼ばれる。
この裁判で、”分離すれど平等”が認められたことにより、憲法14条の「完全な平等」は役に立たなくなった。
平等を求めて立ち上がった、Plessyたちの努力は無駄になった。
それどころか、ジム・クロウ法がサポートされ、KKK(白人至上主義者)の活動が、さらに激しくなるという最悪の結果を導いてしまった。
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