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年末年始の出来事と、新年の映画♬
遅ればせながら、新年、明けましておめでとうございます。皆さまにとって、平和な1年になりますようお祈り申し上げます!
クリスマスの1週間前からダンナが風邪をひいた。普通に生活はしているけれど、風邪の間は体を冷やしてはならぬと、自ら外出を禁止するダンナさま。外出ができないということは、彼が担当する買物には行かないということだ。
「なんで、この時期やねん・・・」
仕事が終わってから、ホリデーシーズンで込み合うグロッスリーストアへ行き、買物をして帰宅する。風邪を移されたら仕事へ行けなくなる。いつも以上に頻繁にうがいや消毒をする。
私の職場は老人ホームだ。クリスマスは子供の家で過ごす人もいるけれど、ほとんどの人はいつも通り、ホームで過ごす。そんな住民たちのために、シャンパンでクリスマス気分を盛り上げる。ランチはなんと、リヴ・ステーキだ!
昼食が終わるまでに持ち帰り用の夕食も準備する。ビッグホリデーなので、我々従業員も4時までには仕事を終えた。店がクローズする直前に、ダンナがリクエストしたフライドチキンを購入する。どうやら、ヴィーガンじゃなくなったらしい。ついでに風邪も治ったようだ。
翌日、仕事が終わる頃、喉に違和感を感じる。有難いことに、翌日は私の定休日だ。2日間、全力でうがいをし、ジンジャーティーを飲みまくり、睡眠をとる。
復活!
あっと言う間にニューイヤーズ・イヴがやってきた。昼頃にディナー担当のナホームからテキストが入る。
「朝起きたら体調が悪くて立ち上がれない」
どうやら、あちこちで風邪が流行っているらしい。ナホームの代理を探しまくる。
仕事を掛け持ちしているトーマスからは「ごめん、無理」という返事がすぐに来たけれど、他のキッズからは一向に返事がない。
彼らは、自分がお願いするときはただちに反応するくせに、私のお願いテキストには気付かないフリをする。
やっとブルックリンから連絡がある。
「年末は色々イヴェントがあって忙しいのよ」
「(知ってるわい!)」
新人のナットから連絡が入る。
「フットボールのプラクティスがあるから行けない」
「(年末にプラクティスなんかないわい!)」
イエスかノーの返事でええやん!と思うけれど、理由を書きたい気持ちはわからないではない。どうせ無理だと思っていた。朝から夜まで、13時間働き続ける。意味がわからない。
「良いお年を~」
夕食を一緒に担当したカーリアと別れる。
翌朝6時半、再び、カーリアと仕事・・・の予定だったけれど、仕事に来たカーリアは見るからに病気だ。
「休みをお願いするのも申し訳ないし、風邪やのに仕事へ来るのも申し訳ないし・・・」
私よりも年上の彼女は、キッズとは違い、仕事に対して普通の感覚を持っている。お気持ちは有難いけれど、熱もあるのだろう、涙目で咳き込んでいる。ボスのリンジーに電話で了解を得て、帰って頂く。
新年早々、次はカーリアの代理探しをする。やはり返事がない。
しばらくして、ブルックリンから連絡がある。ディナーで働く予定なので、ランチも来れるかどうか聞いてみたけれど、
「ニューイヤーは、色々あって忙しいのよ。予定どおり3時にしか行けない」
と予想通りの返事だった。
朝の苦手なトーマスから返事がないのはわかっている。あきらめて、ひとりで仕事をしていると、リンジーが早くに出勤して手伝ってくれた。クックのアラーナやジョリーも手伝ってくれた。トーマスは1時頃に来てくれた。嬉しい。
午後3時、出勤してきたブルックリンが言った。
「ユミ~。日曜日は友達のバースデイパーティに行くから休んでもいい?近所やったら来るねんけど、その子の家は遠いから、土曜日から泊まりで行ってるねん」
日曜日のパートナーは私だ。ダメと言ってもいいけれど、お友達との時間を過ごさせてあげたい気もする。代理探しアゲインだ。
キッズっていいなぁ。
今日は誰からも連絡がない。無事に休みになりそうだ。
いつも通り、朝の4時にぱっちり目が覚めた。久々に米を炊き、味噌汁定食を作り、映画を観る。コメディを観ようと思ったけれど、モス・デフ主演の映画を見つけてしまった。
『Something the Lord Made』、邦題は『奇跡の手』。
ジョン・ホプキンス病院で、心臓外科のパイオニアとして活躍した、黒人のヴィヴィアン・トーマス(1910-1985)のストーリー。実話だ。彼は、心臓外科医のアルフレッド・ブラロック教授(1899-1964)をサポートして、世界ではじめて、”ブルーベイビー症候群”と呼ばれる難病、先天性心臓欠陥の治療手術法開発に貢献した。
白人のブラロック教授をアラン・リックマン、黒人のヴィヴィエンをモス・デフが演じている。
ヴィヴィエン・トーマス
テネシー州ナッシュヴィルの大学、ブラロックの動物実験研究所で助手を務めた後、ジョン・ホプキンスの外科研究所に同行し、1964年にブラロックが亡くなるまで、30年以上パートナーとしてサポートした。
その後もジョン・ホプキンスに残り、退職する1979年まで、心臓外科のパイオニアとして、若い研究員を指導し、多くの著名な外科医を育てた。
時代
1940年代、白人とすれ違うとき、彼ら黒人は道を空ける。
「おはようございます」
「こんにちは」
側道に立ち、目を合わさないよう、少し頭を下げて挨拶をする。
トイレも白人用と黒人用に別れている時代だ。
そんな中、ブラロックは多くの側面でヴィヴィエンを擁護した。ヴィヴィエンを手術室にも同行した。けれども、当初の給料は清掃員と同じで、ヴィヴィエンは常に経済的な苦労を強いられた。
1940年代に、”ブルーベイビー症候群”の治療の開発において、ヴィヴィエンは主要な役割を果たした。けれども、その評価や公式の記事に、黒人の彼の名前や写真が掲載されることはなかった。
ヴィヴィエンは、大学で医療を勉強することを望み続けたけれど、最後まで叶うことはなかった。彼に十分な給与が支払われるようになった頃には年をとり過ぎていた。
神の手
実験用の犬を使った彼の手術は、無駄な動きがなく完璧だった。ほとんど見えない縫合線を見たブラロック教授は「神の手によってなされたとしか思えない」と感嘆する。
けれども、公式の医学の学位を持っていない彼が、生きている患者を手術することはなかった。
認知
1968年、ヴィヴィエンの肖像画が作られる。彼が指導した外科医たちのアイデアだった。これまで影に隠れていた彼の存在が認められる。彼の肖像画は大学のロビー、ブラロック教授の肖像画の隣に飾られた。
1976年、大学は、ヴィヴィエンに名誉博士号を授与した。
1985年、退職後に書き始めた自伝が出版される。膵臓癌で亡くなった後だった。そこにはブラロックとの仕事の記録が残されていた。
1989年、彼の功績を知った作家のケイティ・マッケイヴが『Something the Lord Made』を出版した。この本が翌年のナショナル・マガジン長編賞を受賞する。多くのプロデューサーが、このストーリーに感銘を受け、映画化を望んだ。
2004年、テレビ映画としてリリースされた。ジョン・ホプキンス病院内だけで知られていた彼の存在と功績が、多くの人に知られるようになった。治療の開発から60年以上が経っていた。
ジョン・ホプキンス病院は”ブルーベイビー”の心臓外科手術の草分けだ。現在、国内で年間に175万件の心臓手術が行われている。ヴィヴィアン・トーマスがいなければ、また、ブラロック教授が黒人のヴィヴィアンの技術を認め、ジョン・ホプキンスに連れて来ることがなければ、この時代に、同様の偉業は成されていなかった。
こういう映画を観ると、つくづく思う。チャンスさえあれば、彼ら黒人は、あらゆる分野で活躍していたはずだ。この国が彼らの活躍を邪魔しなければ、彼らのアイデアを採用していれば、今以上の進歩があったのではないだろうか?
好きな場面はたくさんあるけれど、気の短いブラロック教授に暴言を吐かれたヴィヴィエンが荷物をまとめて、静かに研究所を去る場面が好きだ。
「こんな会話をされる必要はない」
ひとりの男として対等に扱われることを決してあきらめないヴィヴィアンの強さ、黒人として誇り高く生きる姿勢が大好きだ。
つい先日、アマゾンの黒人配達員に対して暴言を吐いた白人女性の様子がSNSで拡散された。警察に電話すると言われた黒人配達員が恐怖を感じなかったとは思えない。けれども、若い彼は決してひるまない。ヴィヴィアンの姿勢と重なった。
2025年、社会情勢に負けず、ひとりひとりが平和と優しい社会を目指し、周囲の人と助け合って、明るい気持ちで過ごせるといいなぁ。
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