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【シリーズ第11回:黒人アーティストの人生】🎵ソウル(魂)を感じたい🎵

 このシリーズでは、私の大好きな黒人アーティスト、特に、1970年代、80年代に活躍したR&B、SOULミュージシャンを紹介しています。

・・・さて、誰でしょう🎵


さて、誰でしょう🎵

ヒント

  1. 唯一無二の女性ヴォーカリストです。

  2. R&B、ソウル、ゴスペル、ジャズ、ディスコ、なんでも歌います。

  3. ドラム、パーカッションも叩けます。

  4. 曲も書きます。

  5. ファンクのクウィーンとして知られています。

  6. グラミーを10回受賞しました。

  7. Stevie Wonder(スティーヴィー・ワンダー)、Prince、Ray Charles(レイ・チャールズ)、Miles Davis(マイルス・デイヴィス)などなど、多くのアーティストと共演しました。

  8. 自分を表現する衣装、その揺るがない姿勢から、多くの女性アーティスト、ファンから支持されている。

  9. 活動家としても知られています。

生い立ち

 1953年3月23日、シカゴのサウスサイドで誕生した。
 彼女が育ったのは、プロジェクトが立ち並ぶサウスサイドに、ぽっかり浮かんだユートピア、黒人の労働者階級、ミドルクラスが暮らすエリアだ。
 クリスチャンの彼女は、子供の頃からチャーチで歌っていた。
 ママはR&Bとソウルミュージック、パパはジャズが大好きで、家の中ではいつも音楽が流れていた。
 11歳のとき、彼女は友人、妹とともにR&B、ソウルグループを結成する。

 その頃のシカゴは、カリスマ的指導者、Fred Hampton(フレッド・ハンプトン)がブラック・パンサー党を率いて活躍し、公民権運動が活発な時代だった。
 彼女が入党したのは、13歳のときだ。

 同じ頃、アフリカンバンド、"Shade of Black"に入る。
 ここで、「戦士」「闘士」という意味を持つニックネームがつけられる。私たちが知っているのは、この時に付けられた名前だ。

 高校生になると、シカゴのあちこちのバンドで歌い始める。
 1970年、ソロデビューの話が出たとき、未成年の彼女は親のサインが必要だったので、これを機に結婚をする。

デビュー

 1972年、シカゴのファンクバンド”Rufus(ルーファス)”のメンバーになる。
 バンドは、Ike Turner(アイク・ターナー)の目に留まった。
 LAにある彼のスタジオでレコーディングをした際、Ike&Tina Turnerのバックコーラスに誘われるけれど、彼女はRufusでの活動を理由に断っている。

 1973年、Rufusのファーストアルバムがリリースされる。
 Stevie Wonderの”Maybe Your Baby”のカヴァーも収録されていたけれど、残念ながら、ビルボード44位までしか達しなかった。

 けれども、このとき彼女の声を聞いたStevieが、彼女のために、自ら曲を書いた!
 その曲、”Tell Me Something Good”は、1974年にリリースされ、ビルボードで3位に躍り出る!
 初ヒットとなったこの曲は、R&Bヴォーカル・パフォーマンス部門で、グラミーを受賞する。

その人物とは・・・







Chaka Khan(チャカ・カーン)で~す。 

 勢いに乗った彼らがリリースする曲は、次々とヒットした。

 1974年、"You Got the Love"。
 1975 年、Ray Parker Jr.(レイ・パーカー Jr.)とChakaが書いた”Once You Get Started”。
 1975 年の”Sweet Thing”は、ChakaとバンドメンバーのTony Maidenによって書かれた、彼女のシグネチャソングだ。
 1977 年の”At Midnight(My Love Will Lift You Up)”、”Hollywood”。
 1979年の、”Do You Love What You Feel”は、Quincy Jones(クウィンシー・ジョーンズ)のプロデュース。ディスコの到来を感じる曲。 

しか~し!

 ガンガン売れて、どんどん有名になっていくとともに、トラブルも比例して増えていく。
 グループ内では紅一点だ。若い彼女を守る(?)ために、メンバー同士のトラブルは絶えない。
 そして、17歳の彼女に、ハリウッドの怖~い大人たちが近付いてくる。
 楽屋裏では、皆が彼女にドラッグを与えた。

 1977年にリリースされた”Hollywood”は、ドラマーのAndre Fischerと、キーボーディストのDavid ”Hawk Wolinskiによって書かれた曲だ。
  夢と憧れを持って、ハリウッドへ向かう青年に対して、  
 「ハリウッドは悲しく、空しい場所で、景色も人も、何もかも、見た目と中身は違うんだよ~」
 と語っている。

 彼らメンバーが感じているハリウッドの姿かも・・・。

ソロ活動

 仲間のもめごとに疲れたこともあり、1978年はWorner Brothersからソロアルバム”Chaka”をリリースする。
 すると、Ashford &Sympton が楽曲提供をした、”I'm Every Woman”が大ヒット!!!!!

 どれくらいのヒットかというと、シングルカット、再リリース、リミックス、ホイットニー・ヒューストンをはじめ、多くのシンガーにカヴァーされ、約30年間売れ続けるほどの大ヒット。

 その後、1982年から1987年までの5年間でChakaは、8枚のアルバムをWorner Brothersからリリースした。

 それ以外にも、イングランドのロック・キーボーディスト、Rick Wakeman(リック・ウェイクマン)のアルバム、6人のジャズミュージシャンと、ジャズのスタンダードを収録したアルバムをリリースしている。

https://www.youtube.com/watch?v=0aIS57kBF44&list=OLAK5uy_kyk-H7wbZv8p9zBQ85awA8GJ9U1ZtGMA8&index=2

 売れっ子Chakaは大忙しだ。
 1984年は3枚のアルバムをリリースし、全アルバムグラミー受賞という快挙も遂げた。

 そして、1985年の”I Feel For You”だ。
 ヒップホップアーティストのMell Mel(メリー・メル)による、
 「チャカチャカチャカチャカ、チャカカーン・・・」
 というラップのイントロから、Stevie Wonderのハーモニカが始まる。
 プリンスのオリジナルに、歌がついたこの曲は、アメリカやイギリスで大ヒット!
 26週間、チャートに残り続けた。

 実は、随分長い間、彼女はこのイントロが好きになれなかったそうだ。

 個人的には、このアルバムの”Through The Fire”が好きだなー。


ヨーロッパへ

 ぶんぶん売れまくっていたけれど、実のところ、彼女はレコード会社の契約に縛られて、歌うことにすっかり興味を失っていた。
 自由に音楽をクリエイトしたいアーティストに対し、レコード会社は”売れる曲”を求める。
 彼女はレコード会社の生贄だと感じていた。
 しかし、これまでレコード会社の言いなりになってきた彼女は、自分のしたいことを主張していいのかどうかもわからない。

 また、彼女の周囲には悪い奴らしかいなかった。
 その悪い人間を断ち切ると、彼女の周りから誰もいなくなった。
 
 結婚、離婚、男性とのトラブルに加え、ドラッグとアルコールの依存症で、この頃のChakaは、完全に自分を見失っていた。

 そこで、ヒュ~ン🛫🛫🛫とロンドンへ移住する。
 後にドイツに住居を購入し、孫娘と時間を過ごすことで、少しずつ自分を取り戻していった。

 1998年、そんな彼女に声をかけたのがPrinceだ。
 彼はデビュー当時から、アーティストの権利、フリーダムを主張し続け、アルバム主導権、及びオーナーシップをレコード会社に決して渡さなかった。
 音楽をクリエイトすることが義務化していたChakaは、Princeが所有するNPG Recordから、契約にとらわれず、アルバムをリリースした。

 NPG Recordからのリリースは1枚だけれど、この後もChakaは3、4年ごとのペースでアルバムをリリースし続ける。
 後年は特に、他のアーティストとのコラボレートが多いけれど、R&B、ジャズ、ゴスペル、なんでも歌えるChakaと共演したアーティストは、大御所から若手まで、とにかく幅広い。

活動家として

 Chakaは活動家としても知られている。
 彼女のフォーカスは、子供たちだ。
 消費主義、利己主義、即効性の満足を求める現在社会では、子供たちが愛されていること、常に気にかけられていることを感じにくくなり、結果的に他人に共感できる人間が減っている。
 彼女の目標は、子供たちが愛されることを確実にすることだ。
 大人に愛されて育った子供たちは、他人の考えや気持ちを理解できる、”良い人間”に成長する。
 良い人間が増えること、それは、安心して暮らせる未来をクリエイトすることにつながるという信念を持って、Chakaはこの活動に取り組んでいる。

 また、自閉症の甥を持つ彼女は、自閉症の子供たちのサポートも行っている。

 公民権活動も行っている。
 2007年のアルバム”Funk This”に収録された”Super Life”は、フロリダ州で起きた、17歳の黒人少年、Travon Martin(トレイヴォン・マーティン)射殺事件に対する抗議の曲だ。
 2012 年2月26日、父親のフィアンセの家を訪れていたTrevon は、コミュニティの監視員、George Zimmerman(ジョージ・ジマーマン)によって射殺された。
 パーカーのフッドをかぶって歩いていた黒人少年を不審者と認めて追跡し、射殺したZimmermanは、フロリダ州の自己防衛が認められ逮捕すらされなかった。その後、殺人罪で起訴されたけれど、無罪判決だ。

 この事件の後、人種プロファイリングと、フロリダ州の自衛法に対して、多くの人々が立ち上がった。
 黒人にとっては、子供たちが殺される社会を改めて認識した事件だった。

 黒人の親の目線で書かれた”Super Life”は、Chakaと、George Clinton(ジョージ・クリントン)のベーシスト、Rickey Rouse(リッキー・ラウズ)によるものだ。
 内容はシリアスだけれど、サウンドはとってもファンキー。聞いた瞬間、Rickey Rouseの存在が感じられる。  

 Eric Benet(エリック・ベネー)、Kelly Price(ケリー・プライス)、Kenny Lattimore(ケニー・ラティモア)、Luke James(ルーク・ジェイムス)をはじめ、女優のAngela Bassett(アンジェラ・バセット)、Loretta Devine(ロレッタ・ディヴァイン)、俳優のTerry Crews(テリー・クルーズ)、など、多くの人がこの曲に参加している。

最後に・・・

 Chakaは、他のアーティストとコラボレートすることが多いけれど、ライブ映像を観ているとき、歌を覚えてない???と感じることが時々ある。
 けれどもスキャットで乗り切り、ステージを成功させてしまうのがChakaなのだ。

 紹介できなかった曲はいっぱいあるけれど、もう一曲!
 私の好きな”Pappillion”でーす。


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るるゆみこ
最後まで読んでくださってありがとうございます!頂いたサポートで、本を読みまくり、新たな情報を発信していきまーす!