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ロスアンジェルス暴動 #4

 1980年代後半、黒人アーティストは、ギャングスタラップや、映画を通して、サウスセントラルで暮らす黒人の環境を伝えた。
 貧困、ドラッグ、警察官の暴力、ギャング、シューティング、彼らの環境は悪化するばかりだ。
 長い間耐え続け、抑え続けていた彼ら黒人の怒りは、沸点に近付きつつあった。

 そんな折だ。

 「ラップの歌詞や、映画に映し出された警察官の暴力行為はホンマやった!」

 という事件が起こる。

ロドニー・キング事件

 1991年3月3日、仮釈放中のロドニー・キング(黒人)は、ハイウェイでスピード違反を犯した。
 彼は再収監を恐れ、警官の停止に従わずに逃亡した。
 カーチェイスの末、車から引きずり出されたロドニーは、彼を囲む警察官から暴行を受けた。
 住民が撮影したビデオが、後日、全米のニュースで流れた。
 暴行により、ロドニー・キングは顔面、右の足首など11ヵ所を骨折、全身に打撲と裂傷が確認された。
 片方の眼球も潰されていたけれど、裁判では認められなかった。
 この暴行に関わった警察官のうち、4人が罪に問われた。 
 テーザ―銃を2度発射、警杖で53-56回殴打、7回蹴りを入れた彼らの主張は、

 「ロドニー・キングは凶器を持っているような行動をとった・・・彼はドラッグを使用していた・・・。
 身の危険を感じた我々の暴行は過剰ではなかった」

 というものだ。
 事実は、彼は凶器など持っていなかったし、ドラッグ検査の結果は陰性だった。
 ロドニー・キング事件で、黒人たちの怒りは、さらに沸点に近付いた。

ラターシャ・ハーリンズ事件

 1991年3月16日、万引き犯と間違えられた、15歳の黒人少女ラターシャが、その店の韓国人オーナーに射殺される。
 ラターシャ・ハーリンズ事件だ。
 オレンジジュースをバックパックに入れたラターシャが、レジに向かった。
 この時、ラターシャは代金を握っていた。
 けれども、レジをしていた女性店主のトゥ・スンジャは、彼女が万引きをしたと思い込み、いきなりつかみかかった。
 ラターシャはトゥから逃れるために、彼女の顔を4回殴り、オレンジジュースをカウンターに置き、店を立ち去ろうとした。
 トゥは、背後からラターシャの頭部を撃ち抜いた。

「命の危険を感じたから」

 トゥの主張に対し、陪審員は懲役16年を要求した。
 けれども裁判官が下した判決は、「5年間の保護観察処分」「400時間の社会奉仕」及び、「500ドルの罰金」だった。
 それが、15歳の少女の命の代償だ。

判決

 1992年4月29日は、ロドニー・キング事件の判決日だった。
 当初の裁判官は、検察側を支持する言動をしたため、別の裁判官が選ばれた。
 裁判の場所は、予定していたロスアンジェルスから、白人居住エリアのシミ・ヴァレーに移された。
 警察官の残酷な暴行シーンを観た国民から、「警察官の人種差別行為だ!」というクレームが集まったからだ。
 陪審員団は、シミ・ヴァレーの住民ではない白人10人、ヒスパニック1人、フィリピン人1人だ。
 そのうち3人は、セキュリティや軍隊出身だ。
 この時点で、警察優位の裁判は始まっていた。

 午後3時過ぎ、裁判所周辺は、警察官をサポートする人々であふれかえった。
 3時15分、判決が下された。

 「全員無罪!!!」

 ロスアンジェルス警察には「人種差別と暴力が許されるシステム」が、組織的にできあがっている!!
 多くの人が、その事実に気付いた。

暴動勃発

 午後5時、ダウンタウンにある、ロスアンジェルス警察のヘッドクウォーターには、200人以上が抗議のために集まっていた。
 激しい抗議に、ガードをしていた警察官たちは、建物の中に逃げ込んだ。
 一方、サウスセントラルのフローレンスという町では、午後5時半頃から住民が騒ぎはじめた。
 20名以上の警察官が沈静のために呼び出された。
 訪れた警察官に抗議をする人々、その騒ぎを見に来る人々、応援に駆け付ける警察官たちで、その場が次第に殺気立ってきた。
 その時、ロスアンジェルス警察本部から指令が出た。

 「フローレンスにいる警察官は、ただちにその場を離れろ!
 こんなゴタゴタに付き合う必要はない!
 余程の緊急じゃない限り、全員戻ってこい!」

 その時点では、警察官が市民の数を上回っていた。
 激しい抗議はあっても、暴力を奮っている者はいなかった。
 それにも関わらず、本部は全警察官を呼び戻した。
 十分な武装ができていないという理由だ。

 警察官が現場を放棄した瞬間、黒人の怒りは沸点に達した。

 怒りのやり場がなくなった若者は、フローレンスとノルマンディー・アヴェニューの交差点で、通り過ぎる白人やアジア人の車に向かって、缶や瓶を投げつけ始めた。
 ロスアンジェルス暴動(LAライオット)の始まりだ。
 午後6時半、物をぶつけられた車がコントロールを失うと、暴徒たちは運転手を引きずり出し、暴行を加えた。
 店舗も襲った。
 店の窓を粉々に割り、中から商品を持ち出した。
 主なターゲットは、韓国人経営のストアだ。
 ラターシャ殺害に対する、人々の怒りはおさまっていない。

 暴動は激しさを増すけれど、パトカーは1台も現れない。
 警察官は、待機をして、次の指令を待つように言われていた。
 ところが指令を出すはずの、ダリル・ゲイツ(ロスアンジェルス警察チーフ)は、郊外の金持ちが行う募金活動に参加していた。
 警察の戦闘力強化と、そのリフォームに必要な資金を調達するためだ。

 サウスセントラルは、完全に見捨てられた。

 午後6時40分、白人トラックドライバー、レジナルド・デニーが、フローレンスとノルマンディーの交差点に入った。
 トラックには、ラジオがついておらず、レジナルドは状況を何ひとつ把握していなかった。
 交差点に入ったところで、レジナルドは車から引きずり降ろされた。
 男が彼の首を足で抑えつけると、ひとりの男が彼の腹部を蹴り上げた。
 トラックに積まれた人工肺(医療器具で450グラムある)を手にした男が、それをレジナルドの頭に向かって振り下ろした。
 別の男は、ハンマーで彼の頭を殴った。
 また別の男は、ブロックで彼の側頭部を殴った。
 二人の男が、意識を失ったレジナルドを指さして笑い、ヴィクトリーダンスを踊る。
 レジナルドの財布を盗もうとする男もいた。
 倒れているレジナルドに向かって、ボトルを投げつける人々がいる。
 ガソリンタンクを銃で撃ち、爆発させようとする男もいた。
 一部始終は、ヘリコプターから撮影されていたけれど、パトカーや救急車、警察官の姿はどこにも映っていない。
 朦朧としたまま自力でトラックに乗り込んだレジナルドの救助に来たのは、テレビを観ていた4人の黒人だ。
 その中のひとり、トラックドライヴァーのボビーは、トラックでレジナルドを病院へ運び込んだ。
 頭蓋骨骨折と陥没は91カ所、左目は鼻腔に落ち込み、瀕死の状態だった。

 午後7時、この騒動を知らなかった黒人のトム・ブラッドリー市長は、教会に集まった市民に向かって、呼びかけていた。

 「今回の判決に対して、非暴力で対応するように!
 私たちは暴力ではなく、言葉で抗議をする!
 私たちがビルディングを燃やしたり、窓を割ったりすることはない!」

 まさにその瞬間、教会から3キロも離れていない場所で、レジナルドが暴徒に襲われ、酒屋の窓が割られ、ビルが燃やされていた。

 午後7時半、暴徒たちは次のターゲットを見つけた。
 建設会社を経営している、移民のフィデル・ロペスだ。
 トラックから引きずり降ろされたフィデルは、携帯してい2千ドルを奪われた。
 レジナルドを襲った男のひとりは、カーステレオで彼の前頭部を殴った。
 別の男は彼の耳を切り落とした。 
 意識を失ったフィデルの体や顏は、スプレーで真っ黒にペイントされた。
 ビデオでその様子を撮影する人はいても、彼を助ける人はいない。
 ペンキは、彼の鼻や喉にも吹き込まれた。
 このままでは死んでしまう!
 彼を救ったのは、黒人牧師のベニー・ニュートンだ。

 「彼を殺すなら、俺も殺さなあかんぞ!」

 叫びながら、聖書を掲げながら、フィデルに近付き、暴徒たちの攻撃から彼を守った。

 午後7時45分、火事のレポートがあった。
 パトカーも消防車も現れなかった。

 午後8時半、ようやく警察官が現場に到着した。
 この時には、町は崩壊、暴徒は別の場所へ移動していた。
 ダリル・ゲイツは、暴動後、はじめてテレビカメラの前に立った。

 「ロスアンジェルス警察だけでどうにかします。できると思います。
 もちろん、無理だとわかったら、ナショナルガードに援助を要請します」

 暴動や強奪は、すでにサウスセントラルの至るところに広がっていた。

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るるゆみこ
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