【シリーズ第11回:36歳でアメリカへ移住した女の話】
このストーリーは、
「音楽が暮らしに溶け込んだ町で暮らした~い!!」
と言って、36歳でシカゴへ移り住んだ女の話だ。
前回の話はこちら↓
前回、キングストン・マインズで、青いバンダナの彼を見た日から、新たな希望を抱いてクラブに通い続けた。
あの彼の演奏をもう一度聞きたい!!!
その日は週末だった。金曜日と土曜日は、ローカルでも売れっ子のバンドが出演する。
お値段もちょっと高め。
といっても15ドルくらい。
誰が出演する予定だったかは忘れてしまったけれど、キングストン・マインズのショウを見る予定で、ホルステッド・ストリートにやってきた。
キングストン・マインズの対面にあるクラブ、ブルースの前を通り過ぎたときだ。
中からめちゃめちゃファンキーな音が聞こえてきた!
思わず立ち止まって、表の看板を見た。
ジミー・ジョンソン(Jimmy Johnson)と書かれている。
聞き覚えのある名前だけれど、思い出せない。
予定通り、キングストン・マインズへ行くべきか・・・3秒くらい迷ったけれど、この音を無視して通り過ぎることはできない!!
ブルースへ突入した。
中に入ると、そこは店の後側に位置した。
細長い店で、ステージは入口から一番離れた場所に設置されている。
なんも見えない・・・。
シカゴの人は縦横ともにでかい上に、その日は満員で、入口までびっしり人で埋まっていた。
人込みをかき分けて、店の中央まで進出すると、ステージで演奏しているジミーの姿を見ることができた。
店も狭いけれど、ステージがものすごく小さい!
リードギター、リズムギター、ベース、ドラムが入ると、いっぱいいっぱい。キーボードのスーペースはなく、ステージの下に設置されている。
それにしても、ジミー・ジョンソンのアグレッシブで、情緒あふれるギター、ハイトーンでソウルフルな歌声、ファンキーなリズムはかっこいい。
しばらくしてからだけれど、思い出した。
ジミーは、ソウル・シンガーのシル・ジョンソンのお兄ちゃんだ!
シルの”テイク・ミー・トゥ・ザ・リヴァー”は、聞いたことがある人も多いと思う。
https://www.youtube.com/watch?v=3ToXgLs5Kgo
シルに比べると、ジミーは影がうすいけれど、その実績は素晴らしい。
1950年代はフレディ・キング、アルバート・キング、マジック・サムと演奏している。
1960年代から70年代、ジミーはR&B、ソウルシンガーのサイドマンとして活躍した。
タイロン・デイヴィス、オーティス・クレイ、ルビー・アンドリュース、ウォルター・ジャクソン、デニース・ラサール、ボビー・ラッシュなどのアーティストだ。
1980年代以降は、ブルースマンとしてソロで名前を売っていく。
ミシシッピ出身のジミーのブルースは、ゴスペル、ロック、カントリーのエッセンスが散りばめられて、ソウルフルでとってもファンキー。
これはジョン・リー・フッカーの”サーヴス・ミー・ライト・トゥ・サファー”のカヴァーです。
ジョン・リー・フッカーのヴァージョンと聞き比べるのも楽しい。
https://www.youtube.com/watch?v=oQDEK8FBIek
この映像は、シカゴのブルースミュージシャンのヨーロッパツアーをブッキングしている女性が作成したものだ・・・と思う。
ジミーも何度もヨーロッパツアーへ行っている。
ヨーロッパにはジミーのファンは結構多い。
さて、ジミーの演奏もたまらなくカッコいいけれど、バンドのリズムギターとベースが気になって仕方がない。
背伸びをして、やっとギターの男の子の顔が見れた。
「!!!!!やったーっ!!!!!!」
青いバンダナの男の子だ!!!
彼の名前は、チコ・バンクス(Chico Banks)だということもわかった!
この映像は、チコ(1962-2008:46歳没)をトリヴュートして、ファンの方が作ったようだ。2分30秒以降は、2005年にジミーのバンドでヨーロッパへ行ったときの映像だ。
チコ・バンクスは、ティーンエイジャーから、マジック・スリム、バディ・ガイ、オーティス・クレイ、ココ・テイラー、メイヴィス・ステイプルなど、シカゴの多くのミュージシャンをサポートしてきた。
ソロはもちろん、彼のリズムギターも本当に素晴らしい。
リズム・ギターは青いバンダナのチコ・バンクスだとわかった。
けれどもベーシストはドラムの横にいて、私の場所からは、まったく見えない。
明日からは、ベースの彼との再会を楽しみにクラブ通いをするぞー!!
次回のジミー・ジョンソンのショウは、最前列でかぶりつきだ!!!