私の英語に付き合ってくれてありがとう。
友人のサンディからホリデーギフトに手作りのへび(巳)を頂きました。写真のへびちゃんです。可愛い💛
毎年、クリスマスが近付くと、干支のキャラクターを作ってプレゼントしてくれる。サンディは、お菓子作りも上手でクリエイティヴだ。ハロウィンのときは、食べるのが気持ち悪いようなお菓子を作る。
彼女は以前の職場(グロッスリーストア)のお客様で、退職してからは、個人的に連絡を取り合い、お付き合いが続いている。ハワイ生まれで、ご両親だったか、どちらか一方が日本人なので、日本食や日本の文化も大好きだ。なんとなくわかる日本語の単語やフレーズも少なくないけれど、会話は英語だ。アメリカ生活も長くなり、私の英語もどうにか通じるようになったけれど、相変わらずテキトーだ。英語しか話さない人が、私と一緒にコーヒーを飲みたいと思ってくれる日が訪れるなんて考えたこともなかった。日本語ほどおもしろいことも言えない。サンディは楽しそうに笑ってくれるけれど、日本語なら同じことを話しても、10倍おもしろいのにー!と、悔しい思いをするのは毎度のことだ。それでも、お付き合いが続いている。ものすごーく不思議だ。でも嬉しい😁
会話で笑わすことは難しいけれど、会話以外で笑わしていることはある。私は老人ホームのレストランでウェイトレスをしている。
「はい、アイスティー」
「はい、クランベリー・ジュース」
「はい、グリーンティー」
ある日、いつものようにドリンクサーヴィスをしていると、テーブルに座っていた女性陣が笑った。どうやら、これまで我慢していたらしい。
「・・・『はい・・・はい・・・』。ユミは日本人や」
「???あー!ホンマや!気付かんかった」
英語の中に日本語(?)が混じることはたまにある。
「ユミ!」
ボスのリンジーに呼ばれて、
「はーい!」
と返事をして、爆笑されるパターンもある。
説明をしたり、会話をするときはともかく、ドリンクを渡したり、返事をするときは、なーんにも考えていない。癖?習慣?「はい」や「はーい」がポロリと出る。こちらは努力せずに笑いを取れるので、ある意味ラッキーだ。
英語しか話さない人の中にいるのだ。若いときは笑われたら恥ずかしかったけれど、今や全然恥ずかしくない。キッズにスペルを聞いたり、文法を聞くのもへっちゃらだ。彼らは優しく教えてくれる。
ところが、つい最近、さすがの私も恥ずかしかったことがある。
今月に入って2人の女の子が辞めて、新しい人が採用されることになった。これを機に、マニュアルやタスクシートを作り直すことにした。どちらも字が小さくて、読む気にならなかった。タスクシートには、毎日のタスク(任務、課題)がズラズラと書かれており、仕事終わりにチェックしなければならないけれど、最初の2回で挫折した。
そこで、マニュアルは老眼の私使用に字を大きくした。タスクシートに関しては、A4の紙をやめてホワイトボードにした。日曜日から月曜日までの表だ。「モップがけ」「掃除機」「テーブルクロス交換」など、キッズが嫌うタスクに限定したので、項目が激減してとっても見やすい。自分が完了した項目にイニシャルを記入するシステムだ。誰が何をしたのか一目瞭然で、誤魔化せない。働いていないことがすぐにバレるので、キッズも多少はがんばるかもしれない。
そのタスクの中に「ミートチェックシート」がある。食べに来た住民をチェックするシートだ。毎食チェックをして、食事に来なかった人を介護士に報告する。報告を受けた介護士は、部屋へ行き、住民の無事を確認する。
「ミートチェックシートって何?」
リンジー、ジャネット、ブルックリン、新しく入ったカーリア、4人が4人とも、不思議そうな顔で私に尋ねた。
「住民をチェックするシートやと思う。古いマニュアルに書いてあったから、そのまま使ってん」
私は皆に同じ返事をした。
「ふーん・・・」
納得した感じはないけれど、私が自信満々だからか、誰も何も言わない。
昨日のことだ。トーマスが言った。
「なんやこれ?ミートチェックシート?」
「食事に来た住民をチェックするシートのこと。古いマニュアルに書いてあったで」
「ミート?ビーフの肉みたいやん」
「うん。そうやけど、そうやって書いてあった」
「・・・おもしろい」
・・・確かに、言われてみればおかしい。皆の反応もおかしかった。改めて考えてみる。チェックするのは住民、人間であって、肉ではない。
うわーーー!「MEAT」じゃなくて「MEAL」やん!
古いマニュアルをタイプするときに打ち間違えたのだろう。正しいと思い込んでいるので、頭がフレキシブルに動かなかった。
「ミールやん!みんな優しすぎる!なんで、誰も『Mealちゃうの?』て言うてくれへんのーーーーー???恥ずかしすぎるやん!」
英語の間違いに関しては図太くなった私だけれど、
「このタスクボードにチェックしてよ」
キッズたちに胸を張って言っていただけに、これは恥ずかしい。
シアトルの人は優しいのだ。ダンナやダンナのシカゴの友達なら、ただちに、しかも大喜びで指摘をしたに違いない。どちらが良いかはわからないけれど、ここは優しく、間違いを指摘して欲しかった。
とはいえ、間違ったもんは仕方がない。関西人らしく、自分のカッコ悪い間違いを自分で言いふらして、笑ってもらうことにした。
こんな英語を話す私に付き合って、一緒に働いてくれるボスやキッズに感謝です。