Little Rock Nine(リトル・ロック・ナイン)
アメリカの分離教育撤廃に至るまでの、黒人たちの戦い、白人至上主義者の抵抗についてを書く、プチシリーズ。
第1弾は、Plessy v. Ferguson(プレッシー対ファーガソン裁判)でした。
第2弾は、Brown v. Board of Education(ブラウン判決、ブラウン対教育委員会裁判)。
第3弾は、ヴァージニア州プリンスエドワード郡がみせた、分離教育に対する抵抗でした。
第4弾は、ルイジアナ州ニューオーリンズにある白人小学校に、たったひとりで通った、勇敢な黒人少女、ルビー・ブリッジズの戦い。
第5弾の今回は、最終回です。
アーカンソー州のセントラルハイスクールに通った、9人の黒人学生”リトル・ロック・ナイン”の話です。
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1960年、ルイジアナ州のニューオーリンズでは、6歳の少女ルビーが、白人小学校に入学すると、
「うちの子をニグロと一緒の学校に通わすことなんかできません!」
母親は、我が子を学校から連れ帰ってしまった。
小学生の子供が、学校に来なくなったのは、母親の考えだ。
ところが、子供たちが大人に近付くにつれ、自分の意思で、
「ニグロと一緒の学校になんか行きたくない!」
と変わっていく。
アーカンソー州の首都、リトルロック市は、1954年のブラウン判決、最高裁判所の決定に従い、学校統合を少しずつ進めることに同意した。
1956年、公共バスと大学の通学バスの分離を撤廃。
1957年、リトルロック・セントラルハイスクール(セントラルハイ)に、9人の黒人学生の受け入れを容認した。
リトル・ロック・ナインと呼ばれたこの9人は、教育委員会とアーカンソー州のNAACP代表、デイジー・ベイツによって選ばれた優秀な生徒だ。
彼らは単に優秀なだけではない。
白人の抵抗に立ち向かう力と、決意があった。
アーネスト・グリーン(Ernest Green)
エリザベス・エックフォード(Elizabeth Eckford)
ジェファーソン・トーマス(Jefferson Thomas)
テレンス・ロバーツ(Terrence Roberts)
カーロッタ・ウォールズ(Carlotta Walls LaNier)
ミニジーン・ブラウン(Minnijean Brown)
グロリア・レイ(Gloria Ray Karlmark)
メルバ・パティロ(Melba Parrillo Beals)
セルマ・マザーシェッド(Thelma Mothershed)
彼ら9人の入学、人種統合に反対するグループは2つあった。
ひとつは白人議会、もうひとつは母親たちのグループだ。
新学期が始まる数週間前、ベイツは、予想される危険と、その状況への対応方法を9人にレクチャーした。
1957年9月2日、州知事のオーヴァル・フォーバス(Orval Faubus)は、州兵に出動を要請した。
「9人の子供たちが校内に入ることにより、暴力と流血が発生する可能性がある。
彼らを危険から守るために、州兵は、彼らの侵入を阻止する!」
と主張したけれど、本当の目的は、統合阻止だ。
フォーバスは、黒人から支持を得る穏健派だったけれど、次期選挙で再選するために、急遽、人種差別主義者に変更した人物だ。
9月3日、母親たちは学校に集まり、抗議運動を行った。
けれども、最高裁判所の決定は変わらない。
1957年9月4日当日、ベイツは予定を変更して、自分の車で、9人全員を学校へ連れて行くことにした。
ところが、エリザベスの家には電話がなく、その変更を伝えることができなかった。
8人が、ベイツの運転する車で学校に到着した。
学校周辺には150人近い暴徒が待ち構えていた。
その多くが州内、州外から集まった大人だ。
フォーバスの要請を受けた州兵は、彼らの前に立ちはだかり、敷地内に入ることを許さない。
一方、エリザベスはたったひとりだ。
敷地内に入ろうとした彼女の前に、州兵が立ちはだかった。
隙間を割ってくぐり抜けようとすると、棍棒を振りかざされた。
集まって来た他の州兵も、彼女を睨みつけ、棍棒を振りかざした。
危険を感じたエリザベスが、元来た道を戻ろうと振り返ると・・・
ものすごい数の暴徒が集まっていた!!
「こいつを引っ張り出せ!やっつけろ!」
と叫ぶ声が聞こえた。
周囲に黒人の顔はない。
優しそうな表情をした白人を見つけた。
この人なら・・・と思った途端、ツバをかけられた。
バス停までなんとかたどり着き、ベンチに座った。
「リンチやーっ!」
「殺せーっ!」
彼女は暴徒に取り囲まれて、どうすることもできない。
その時、ニューヨークタイムスの記者、ベンジャミン・ファインが彼女の隣に座った。
「暴徒たちに泣いてる顏を見せたらあかん。頑張れ!」
同じ年頃の娘がいる彼は、エリザベスを励ました。
そしてもうひとり、白人公民権活動家のグレイス・ローチだ。
彼女は、ボストンで教師、教職員組合の代表として働いていた。
ちょうど夫が、リトルロックの黒人大学で教鞭をとることになり、引越ししてきたばかりだった。
グレイスはこの日、エリザベスを暴徒から守りながら、バスまで誘導し、安全な場所まで送り届けた。
9月5日、NAACPと子供たちの両親は、再び裁判所を訪れた。
州知事が統合を阻止するなら、彼らはその上、国家のサポートが必要だ。
翌週、連邦裁判官のロナルド・デイヴィスは、フォーバス知事に対し、法的手続きを開始した。
アイゼンハワー大統領は、知事に州兵を撤退させ、9人を受け入れるよう説得した。
けれども、時期選挙がかかっているフォーバスは、同意しない。
9月20日、デイヴィス裁判官は、州兵を撤退させ、それに代わって、市警に警備させるよう命令を出す。
米国各州は、連邦裁判所の決定に従う義務がある。
フォーバスは、9人の受け入れに同意せざるを得なかった。
9月23日、9人は再び学校にやってきた。
学校周辺には、千人以上の暴徒が待ち構えていた。
彼らは、暴徒に見つからないよう、小さな通用口から校舎に入った。
そのことに気付いた暴徒は怒り狂い、警察官のガードを振り切り、校舎に向かって走り出した!
入り口で待機していた、黒人プレス代表の3人の記者に、
「お前らが囮になって、他の9人を引きづりだせ!!」
と殴りかかる者もいた。
このままでは、9人がリンチにかけられるのも時間の問題だ!
彼らを、学校から連れ出し、安全な場所へ移さなければならない。
ところが市警は、暴動の警備に慣れていなかった。
「暴徒を逮捕するくらいなら、警察官をやめる!」
子供たちを守ることを拒否する者も、中にはいた。
「ひとりを生贄にして、暴徒に差し出したら?
他の8人は逃がしてもらえるんじゃない?」
信じられない提案をする者もいた。
そして、この提案に対して、アシスタントチーフは、
「くじ引きで選ぶの?」
と言った・・・。
最終的には、
「俺たちは、9人全員を、無事に脱出させなあかん!」
という、まともな結論に達したけれど、横で聞いていた9人は、生きた心地がしなかった。
警察官は9人を地下へ連れて行き、2台の車に詰め込んだ。
「一旦車を発車させたら、何があっても止まったらあかんぞ!」
と運転手に命令をして、彼らを救った。
この暴動は、ナショナルニュースになった。
さすがの大統領も、このまま放置するわけにはいかない。
9月24日夜、大統領はアメリカ陸軍第101空挺師団から1200人のパラシュート部隊をリトルロックに送り込んだ。
9月25日、ナショナルガードが派遣され、9人は、マシンガンを持った騎兵部隊のジープで登校した。
兵士に守られた9人は、ついに校舎へ向かう階段に足をかけた!!!
「この日、学校の階段を上ったことは、人生最大の感動でした。
俺たちは、ついに扉を開くことができた!」
アーネスト・グリーンは思った。
「合衆国に対する誇り、希望が持てた。
だから、国旗に向かって敬礼しました。
きっとうまくいく、大丈夫や!と思いました」
と話すのは、メルバ・パティロだ。
とはいえ、セントラルハイには苦情の電話と、苦情の手紙が止まなかった。
爆弾予告も頻繁にあった。
起爆装置に欠陥があり、爆発は免れたけれど、実際に爆弾が見つかったこともある。
州政府の仕事に就いていたグロリア・レイのママは、娘を白人学校に通わせたことで、仕事をクビになった。
これら多くは、大人が起こすトラブルだ。
けれども、高校生になると、自分たちの考えで、行動を起こす者も出てくる。
「統合に反対だったけど、黒人に同じ権利を与えてもいいんじゃないかな?と思えてきた。
そうしたら、抵抗する大人に不信感を持つようになって、そんな自分に動揺したよ」
南部の人種差別に対して疑問を抱く学生も現れた・・・とはいえ少数だ。
「ニグロが近くにいたことなんて、はじめて。状況に慣れるしかないわ」
「アメリカで過去最悪のことが起こっている!」
と、憤り、とまどう学生がほとんどだった。
統合に反対する白人生徒は、兵士に護衛された9人をアタックするチャンスを窺った。
兵士は各生徒にひとり付き、登下校はもちろん、授業中は教室の外で待機、移動の時は常に生徒の傍らにいた。
女性のバスルームやジムのクラスは、絶好のチャンスだ。
メルバは、蹴られ、殴られ、顔に酸性の液体をかけられた。
グロリアは、階段から突き落とされた。
学校の向かいの空き地で、アフリカンアメリカンの彫像が燃やされたこともある。
9人に対する嫌がらせと暴力は、登校初日から1年間を通して行われた。
入学から3カ月経過したある日、ミニージーンの後ろを、男子学生が、
「ニガー、ニガー、ニガー、ニガー・・・」
と言いながら付きまとった。
皆のいる席へ行こうとすると、座っている学生たちが、椅子を出し入れして邪魔をした。
毎日続くハラスメントに、ミニーの我慢も限界に達した。
彼女はボールに入ったチリビーンズを、2人の白人学生の頭からぶっかけた。
黒人学生・・・拍手喝采👏👏👏
それから2か月後、1958年2月、女子学生のグループが、ミニーにダイアルキーがパンパンに入ったカバンを投げつけた。
「Fu*k白人!!!」
彼女は退学処分になった。
白人学生は、
「1人やっつけた!残り8人!」
というカードを配った。
彼らの次のターゲットは、アーネスト・グリーンだ。
一番年長だった彼は、5月に卒業予定だった。
学生たちは、アーネストが問題を起こし、卒業できなくなるよう、あらゆることをした。
彼を怒らようと嫌がらせをし、女子学生は、セクハラで退学させるために、肌を露出して、彼の周囲を歩きまわった。
けれども、アーネストは、意地悪な学生たちを無視し続け・・・
1958年5月25日、彼は無事に卒業証書を受け取った!!!🎊🎊🎊
この卒業式には、キング牧師も参列した。
心配していた爆破はなかったけれど、彼が壇上で証書を受け取ったとき、会場は不気味なほどの静けさに包まれた。
選挙に当選したフォーバス知事は、1959年9月から、リトルロック市にある統合指定校3校すべてをクローズした。
リトルロック市民に行った、統合の賛否を問う投票結果は、反対19,470票、賛成7,561票だったため、1年間、学校はクローズし続けた。
1年間待たずに、別の学校へ行った人もいたけれど、リトル・ロック・ナイン全員が、高等教育を完了した。
エリザベスを救ったグレイス夫妻は、その後、メディアのターゲットになった。
ガレージにダイナマイトが仕掛けられ、彼らの娘は学校で虐めにあい、ついには、合衆国を超えて、カナダへ引っ越しをした。
これが、南部アーカンソー州の抵抗だった。
この後、ジェイムズ・メレディスが、ミシシッピ州の分離教育の壁を破るために立ちあがる(1961年)。
彼のミシシッピ州立大学編入に伴う、白人の抵抗、「オール・ミス暴動」は、南部諸州の、北部に対する最後の内戦と言われている。
これで、今回のプチシリーズは終了です!
興味を持って読んでくださって、ありがとうございます🎵
追記:
アーネスト・グリーンは、その後、ジミー・カーター大統領の政権下、アメリカ合衆国労働省の国務次官補を務めた。
ミニージーン・ブラウンは、ビル・クリントン大統領の政権下、内務省の国務副次官補として仕えた。
メルバ・パティロは、NBCのレポーターとして活躍する。
メルバ・パティロによって、書かれた「Worriors Don't Cry」⇩。
メルバのために、白人生徒が計画した攻撃を、密かに教えてくれる、白人男子がひとりいる。
そして、メルバ担当の兵士は、全力で彼女を守ってくれた。
けれども、激しい攻撃、嫌がらせの内容はすさまじく、ちょっとしたミステリーよりも怖い。