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記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。

ミュージカル観劇歴ほぼゼロの雑食オタクが『モーツァルト!』を見た結果感想が一万字超えた

※こちらの記事ではミュージカル『モーツァルト!』の多大なるネタバレを含みます

はじめに

軽い自己紹介的な何か、今回のざっくりとした経緯

初めまして。普段はアイドルや二次元などを気ままに広く浅く楽しむ雑食オタクをしています。
タイトル通り、『モーツァルト!』(京本大我さん主演回)を観て感じたことを頭の整理も兼ねて文章にしてみたらとんでもない字数になったというだけのお話です。
(※全て書き終わったところ約14000字だったので適宜目次などをお使いください)

まず私と今回誘ってくれた友人について軽くご紹介。
筆者
・ミュージカル観劇歴はほぼゼロ(劇場で見たのは人生で2、3回ほど。直近でも2015年)
・STARTO事務所、K-POP、二次元などのジャンルを摘み食いしている雑食
・入会しているFC(STARTO事務所内)はSUPER EIGHT、King&Prince、なにわ男子
・SixTONESに関してはライブ円盤はチェック済み
・モーツァルトについては生涯、作品については一般人並の薄っすらとした知識

友人M氏
・STARTO事務所オタクで筆者とは推しの話ばかりしている
・ミュージカル、舞台オタクでもあり観劇歴多数
・『モーツァルト!』については歴代観ている。今年は古川氏、京本氏両方既に観劇済み
・この数ヶ月筆者が漫画を貸していて急速に二次元の知識をつけている
・漫画布教へのお礼&筆者にミュージカルを布教したいの気持ちで今回『モーツァルト!』に誘ってくれた恩人

観劇の経緯については上述の通り、ここ数ヶ月私が漫画を貸していた友人M氏がお礼と布教を兼ねて誘ってくれたのでホイホイと乗っかりました。なんなら観劇前にプログラムも貸してくれた。
SixTONESは結成当時からそれとなく追っているのもあり、京本さんが出演しているミュージカルを一度は見てみたいな〜などと思っていたので、正に渡りに船。M氏本当にありがとう。

モーツァルト!について

そもそも『モーツァルト!』とはどんなミュージカルなのか、という話なのですが、そちらについては公式サイトの説明を引用させていただきますね。

「才能が宿るのは肉体なのか?魂なのか?」という深遠なテーマをベースに、その高い音楽性と重層的な作劇で“人間モーツァルト”35年の生涯に迫り、2002年の日本初演以来、日本のミュージカルファンを魅了し続けてきた本作。ミヒャエル・クンツェ(脚本・歌詞)、シルヴェスター・リーヴァイ(音楽・編曲)のゴールデンコンビによる大ヒットミュージカルが、2021年以来、約3年ぶりに上演される。

https://www.tohostage.com/mozart/

ストーリーについてもこちらの引用元に書いてあるのでお時間があればご一読ください。

観劇の際に

ミュージカルは生での観劇はほぼ無いに等しい。思わず「ミュージカル観劇 服装」とか調べちゃうくらいには何もわからない。
ということで、自分なりに今回は下記のことに留意して観劇しました。

・話はざっくり追えたらヨシ、細かい所まで把握しようと頑張りすぎない
・特定の登場人物ばかりではなく、全体を観るような感じで
・生オケらしいので音楽も聴けたらいいな

友人M氏も「とりあえずミュージカルってこんな感じなんだっていう世界観とかを味わってくれたらそれで十分! あ、双眼鏡はあった方がいい」とアドバイスしてくれたのでお言葉に甘えることに。

いつもドームで大活躍してくれてる相棒の双眼鏡を持って、いざ梅芸!!

実際に観た感想

※ここから先がめちゃくちゃ長いです
※内容について多大なるネタバレを含みます

終演後にパンフを見ながらひとまず場面ごとにメモ帳アプリに感想を書いたら五千字を超えていました。こわ。

限界オタクがIQ3の語彙力であやふやな記憶を一生懸命掘り起こしたものなので、言及浅くない?とか目の付け所違くない?とかその解釈は違うんですけど……、みたいなものがあっても生温かい目で見守ってください。

ちなみに筆者が今回観劇した公演のキャストはこちら(敬称略)
・ヴォルフガング:京本大我
・ヴァルトシュテッテン男爵夫人:香寿たつき
・アマデ:星駿成

第1幕

プロローグ〜第5場

▪️奇跡の子
プロローグのあとステージ全体に照明が当たり、本編開始。
幼少期のヴォルフガング(以下、ヴォルフ)を囲んでいる演奏会のシーンが衣装や背景の映像と合わせていい意味で現実離れしていて、これ聴衆の貴族も背景なのかな、と双眼鏡覗いたら全員人だった。すごく"西洋絵画的"な一瞬だった。

ミュージカル全然わかんないけど沢山のキャストが歌う曲から始まったので「うわ、私、今めっちゃミュージカル観てる!」って気持ちになった。

あと、貴族が集まっているから、というのもあるのだろうけれど衣装が滅茶苦茶綺麗だった。その中でも一際輝きを放つ男爵夫人、ブルーのドレスが眩しいぜ。色の鮮やかさ、裾のボリューム感だけでも周りの貴族よりも格が上なことが一目でわかる。すげ〜〜〜。

▪️赤いコート〜僕こそ音楽
あ、ポスターのこの衣装、もうお払い箱なんだ?!ってびっくりした。てっきり劇中はこの衣装で行くものかと思っていたよ。
ヴォルフがアマデに寄りかかったりしていて、お、アマデとはそれなりにうまくやっているんだな、とか思っていた時期が私にもありました……。

▪️何処だ、モーツァルト!
アンサンブルが沢山いて、わ〜ミュージカルだ〜ってなったシーンその2(アホ)。召使の人たちの紫の衣装の色味が好き。
コロレド大司教(M氏の呼び方が移り、以下、猊下)、めちゃ高いところに現れになるし赤い衣装なので存在感がすごい。曲調も一気にギターがギュインギュイン鳴っていて滅茶苦茶かっこいい。
ヴォルフに取り合わなかったのにちゃっかり譜面拾ってそのままオケで上演させる猊下、息を吸うように人の成果を搾取していて笑っちゃった。権力者って感じする〜。

▪️私ほどお前を愛するものはいない
レオポルトパパ(以下、パパ上)の愛が空回っているというかなんというか……。
実際生きているとパパ上の振る舞いや言っていることはまあ正しいところもあるよねと分かるんでしょうけど、愛の名のもとに息子に過干渉なのは果たして……と考えさせられたし(なんならパパ上登場シーンでだいたい思った)、ヴォルフもそういうところが窮屈だったんだろうなと思いました。

第6場〜第10場

▪️マトモな家庭
コンスタンツェの実家のウェーバー家登場。ウェーバー家全然マトモじゃなくて笑った。この一家の女性陣みんなドレスの色味が貴族みたいに綺麗なわけでも庶民みたいに地味な色でもなく、派手な色や柄がゴチャっとしているのが、世俗的な汚さ、欲望を表しているのかな、などと考えた次第。

▪️心を鉄に閉じ込めて
パパ上は心を鉄に閉じ込めるという自衛の手段を身につけることで世間の悪意や搾取からヴォルフを守りたかったんだろうけれど、パパ上の言うことを聞き入れてその通りに振る舞う我が子は"奇跡の子ヴォルフガング"足り得たのか……という問題は大いにある気がした。

▪️母の死
やっとヴォルフのお母さん出てきたと思ったらすぐ死んじゃった……。インスピレーション絶賛掻き集め中のヴォルフの後ろで事切れる母、皮肉にもほどがある。

▪️星から降る金
金色のドレスでご登場の夫人。やはりドレスが存在感を放っていらっしゃる。今までの曲とは打って変わってゆったりとしたテンポで歌い上げる夫人、荘厳で雄大だった。御伽噺になぞらえて旅立ちを促す場面。ウィーンに行きたがっているヴォルフは生き生きとした表情をしていたけれど、まあ貴方一回パリに行って金使い果たしてますからね……とも思った。パパ上の過干渉は歪なので子離れを促すのは間違ってないと思うけど、ヴォルフはヴォルフで楽観的すぎないかしらん。

第11場〜第15場

▪️神が私に委ねたもの
歌詞全然覚えていないんですが(本当にごめんなさい)、かっけ〜〜!ってなった曲。オケとバンドサウンドの合わせ方がかっこいいですよねこの舞台。ギターとドラムに加わる金管楽器とかがすごい良かった。
曲関係ないけれど馬車が急停止した時に猊下がよろけて向かいに座ってた部下のアルコ伯爵に急接近しちゃうというややラッキースケベっぽい展開はなんだったんだろって頭の片隅でずっと引っかかってる。

▪️全てがイカサマ
一気に今っぽい曲調になったな、という印象の強い楽曲。
照明がカラフルに目まぐるしく変わるのも相まってエンターテイメント!!という感じでとても良かったし、俺がやるのは芸術とは違うんだぜっていうシカネーダーの意思みたいなものが示されているのかな、と勝手に思いました。嘘です、曲中は周りになんとなく合わせて手拍子しながら「わ〜〜エンターテイメントだ〜〜〜たのし〜〜〜」くらいにしか考えてませんでした。
後から思い返してもこの曲だけ曲調や演出が異質だったな、という個人的感想。
この時から既に、私はシカネーダーが好きかもしれない……という予感がしていた。

▪️このままのあなた
ウェーバー家にいたコンスタンツェと再会。コンスタンツェ、お顔も大変可愛らしいし、本当に可愛かった……。そして横から見たら身体が薄すぎて大丈夫?内臓全部収まってる?って心配になった。コンスタンツェ……かわいいな……(コンスタンツェ出演シーンでは暫くこの状態が続く)。鈴の鳴るような声ってこういうことを言うんだろうなぁ。

▪️僕はウィーンに残る
お取り込み中の猊下、めちゃめちゃ女性たちとお楽しみ中で笑ってしまったシーン。まあ、猊下はお取り込み中なのだ!って時に布で隠されていた時からそんな気はしていたよ、権力者だもんね(その前にあんた聖職者だろ!とも思う)。
ヴォルフが猊下に白いカツラを投げつける場面、これ狙って外したわけじゃないんだろうな……と思っていたら後でM氏からあそこは本当はちゃんとカツラを当てるシーンだと聞いて爆笑した。だよな、京本大我の運動神経を信じてたよ私は……。
そしてやはり猊下の曲がかっこいい。

▪️影を逃れて
『モーツァルト!』の中で一番この曲が好きかもしれない。アマデがヴォルフの腕を羽ペンで刺してそのままヴォルフの血で曲を書き始めるとかいうとんでもないシーン来てそれまでの感想ぶっ飛んじゃった……。わ〜絵画みたいだな〜とか思いながら見てたらいきなり観客の癖歪めに来るんだもんびっくりしちゃったよ……。
あれ羽ペンの先端に細工してあるとかなんですかね。京本ヴォルフの白い腕に垂れる血、う〜ん背徳的。

第2幕

第1場〜第4場

▪️ここはウィーン
この曲の時の男爵夫人の髪型が盛りに盛られていて、「あ、『傾国の仕立て屋 ローズ・ベルタン』で見たやつだ〜!」と内心一人でテンション上がっていました。
その後フランス革命が起きていて、あ、やっぱりその辺の時代の上流階級という認識で合ってたんだなって思った。男爵夫人、衣装だけでなく髪型も当時の流行を取り入れていたり貴族の中でも格が上であることをことあるごとにビジュアルで教えてくださいますね。

▪️愛していれば分かり合える
コンスタンツェが可愛すぎて、抱けぇっ!!抱けっ!!抱けーっ!!と心の中で叫んでたら本当に抱いた。まあ抱くよね、コンスタンツェ可愛いもの……。衣装から見える腕の華奢さとかが本当に愛らしかった……。
キスシーンは双眼鏡で見ていたんですが(周りも双眼鏡構えててちょっと面白かった)、京本さんやはり浮世離れした顔立ちをしているからか、絵本の王子様のような、いい意味でリアル感がなくて生々しくないのが良いなぁとか思いました。
愛の巣では、ウェーバー家がマジでヴォルフを搾取しに来ていてエグかった。ウェーバー家の新しい旦那さん、胸筋がすごくてこの人絶対胸筋ピクピクできるんだろうなって思いました(そこ?)

▪️プリンスは出て行った
一幕ではヴォルフの才能を信じていて弟はその才能が認められていつかプリンスに、自分はプリンセスになるのよとある種の少女的な夢を見ていたナンネールお姉さんが、小さい頃のヴォルフを模した人形の前で私の人生を返して……と歌うの、グロテスクな構図だな……。
人形出てきた瞬間、え、ホラー??ってなったよ、怖いよあの絵面。

▪️友だち甲斐
お姉さんが結婚資金がないのよ……と歌った次のシーンでヴォルフが、姉さんが結婚するんならこれは姉さんに送ろう!と思っていたお金を即使っていて、こ、コイツ…………と絶句した。お前ほんまにそういうとこやぞ。
そしてやはりシカネーダーが好きかもしれないと思う筆者。

▪️ダンスはやめられない
本当に愛していれば分かり合えるまでの可愛らしい方と同じ人?!と衝撃を受けたヤバ曲。
登場早々革コート着てて、結婚した時よりも荒んでるんだな……と思っていたら曲が始まり、コンスタンツェもだいぶ刹那的になってるなと感じました。苦悶の滲み出る歌声、表情に目を奪われた。
あとこの辺から物語全体に破滅の香りがし始めるもんだからちょっと興奮してしまった。
最後の、インスピレーションを与えなくては、の切実さ、この二人はこれから先うまく行かなくなるんだろうなと察せられるしんどさたるや。

第5場〜第8場

▪️神よ、何故許される
結構個人的に印象に残っている場面なんだけどうまく説明できないな……。
神の摂理を学ぶためにあらゆる学問を修めてきたエリートである猊下であってもヴォルフの音楽は解析し得ない、再現し得ない、人智を超えた域にある。あんなちゃらんぽらんが人智を超えたものを作ることが許されるのか、という憤りと、それでもヴォルフの音楽の美しさにどうしようもなく惹かれてしまっているという自分でもどうしようもできない相反する思いが「神よ、何故許される」という言葉に詰まっている気がした。

猊下、お前もヴォルフガングの音楽に脳みそ焼かれちゃったのね……。アルコ伯爵が持ってきた数々の優秀な芸術家や学者の脳そっちのけでヴォルフの譜面見てるもんね。……というか優秀な芸術家、学者の脳みそを収集してる猊下、何?? 普通に怖いんだが?????

ヴォルフをウィーンから呼び戻すのだ、恩赦だ、って言った猊下に対して、ヴォルフじゃなくて孫はどうですかって提案するパパ上、自分の成果と子どもの成果を区別できないしなんなら息子も孫も自分のものと捉えている思想が透けて見えてグロかったし惨めだったな……。

▪️ウィーンからの手紙
嫁に出たナンネールお姉さんの衣装が一幕に比べてだいぶ質素になってて、オア……現実はあまりにも無情……ってなった。でも金が入り用なんだってお姉さんに言う旦那(モラ夫の気配がすごかった)に自分で稼いでくださいってピシャリと言える辺り、ナンネールお姉さんは嫁いでからもなんやかんや逞しく生きてるのかもしれない。

▪️ウィーンのレオポルト
ヴォルフの衣装、ウィーンに来た時の革コートの衣装も良いなと思っていたんですがこの時の衣装も良いですね。
自分の言うことがヴォルフに聞き入れられなくて去っていくパパ上、リウマチで足を引きずっていることもあってか、一幕に比べて惨めさマシマシで大変よかったです。

▪️何故愛せないの?
愛してるって言うなら愛し方を考えてよ!ではなく、こんなにいっぱい頑張っているのになんで僕の思いを聞いてくれないの、なんで愛してくれないの!となる辺り、駄々を捏ねている子どもで大人になりきれていないことが感じられる。そんな前半から、大人になった男は自分の足で歩いていかなければならない、とパパ上からの精神的自立を図る後半。精神的な成長を感じますが、果たしてそれができるのか、仮にできたとしてその後も"奇跡の子ヴォルフガング"であり続けられるのか、というところは別な気もするので難しい。

▪️乾杯!ヴォルフガング
抱けぇっ!!抱けっ!!抱けーっ!!って思ってたら本当に抱いたその2。
こんなこと言ったら失礼なのは分かってるんだけど、京本さんってお姫様抱っこできたんだ……って思いました() コンスタンツェ軽いんだろうけどそれにしても。羽のように軽いってこういうことなんだろうなと思わせるふわっとしたお姫様抱っこだった。
ここ、二人が再び愛を確かめ合う場面だろうにアマデの表情が滅茶苦茶しら〜っとしてて(まぁアマデは常にしら〜っとしてるけれども……)、ヴォルフが人間らしさを獲得して行くごとにアマデはヴォルフを見放していくのかなと感じた。

第9場〜第11場

▪️誰が誰?
ヴォルフの夢の仮面舞踏会のシーン。
ヴォルフをウィーンに連れ出した男爵夫人が「貴方はもう大人じゃないの」みたいなこと言ってて急に滅茶苦茶突き放してくるやん……ってちょっと戸惑った。
まぁ別にヴォルフがどうなろうと夫人には関係ないもんな。夫人にとってはヴォルフのためを思ってウィーンに連れ出したというよりは、自分がこんなに優れた音楽家を支援しているんだとアピールするために連れて行った感じですもんね……。夫人にヴォルフを導く義務はないし、これはヴォルフの夢の中だから、大人は自分で自分の行く道を見つけるもんでしょ?というヴォルフの深層心理でもあったのかもしれない……。
パパ上の幻影がお前は幸せを手に入れることは出来ない、って言ってくるの、成功をおさめて妻との愛も確かめ合って金も稼いでいるヴォルフがそれでも獲得できないものの答え合わせなんですね…………。

▪️パパが亡くなったわ
ヴォルフと再び心を通い合わせたコンスタンツェの衣装が真っ白のドレスで、喪服のナンネールお姉さんが出てくるの滅茶苦茶皮肉だな……。
そんな中笑いながら去ってくウェーバー家(金の無心に来てた)、観客の好感度を下げるのに余念がない。全ての挙動で好感度を下げていく。

▪️モーツァルトの混乱
愛を求めていた先のパパ上が亡くなったことで嘆き悲しみ、呆然としていたヴォルフの背後に立って首を絞めにかかるアマデ、なんかまた癖歪めに来てんなとか興奮してごめんなさい。でも殺る側の表情が変わんないんだもん……。正直ヴォルフを殺しにかかるアマデに興奮して他をあんまり覚えていない()
突き飛ばされたコンスタンツェが見向きもされてなくて、あんなに愛し合ってた二人もここまで冷え込んでしまったんだなと虚しくなった。

第12場〜第14場

▪️フランス革命
フランス革命の報を受けて新たな時代に向けて立ち上がる民衆を見て、シカネーダーの言葉を聞いて、民衆のためにオペラを作ろう!と決意するシーン。
私やっぱりシカネーダーが好きなのかもしれない。

▪️破滅への道
下から突っかかるだけだったヴォルフが真正面から猊下と対立する辺り、あ〜ヴォルフはこれで猊下と完全に決別したんだなと思った。あとやっぱり猊下出てくる曲かっこいいんだよな。
インスピレーションの赴くまま自由に曲を作ってきたヴォルフが民衆のためにオペラを作るという社会的意義を見出しているのは成長ではあるんだけれど、それは今までのヴォルフとは違うから"奇跡の子ヴォルフガング"としての終焉が近づいているんだろうな、と感じた。まぁ曲名が破滅への道だからそういう風に感じたという節は大いにあります()

▪️「魔笛」作曲〜あのままのあなた
あからさまにえっちなお姉さん出てきたな……とか思ってたらコンスタンツェに見つかっちゃって、こ、コンスタンツェ〜〜〜!ってなった。いや、これ多分美人局的なアレなんだよ、とも思ったけどヴォルフ満更でもなかっただろうからやっぱアウト。
後からパンフ読んで知ったんですが、ヴォルフに惹かれ始めたコンスタンツェのソロ曲が"このままのあなた"で、結婚指輪を外してヴォルフを愛していたかったと別れを告げる今回の曲が"あのままのあなた"なんですね…………時間差でボディーブローくらった気分。
それにヴォルフはコンスタンツェを失ったことに気づいてなさそうなのがまた……。

第15場〜第17場、フィナーレ

▪️夜の女王
魔笛ね、あの、のだめオペラ編でやってたやつね、ウンウン知ってる知ってる、いやほんとにちょっとは知ってるから、と内心冷や汗かきながら見てたとこ。
シカネーダー、お前がパパゲーノやるのかよ〜〜〜〜〜! やっぱ好き〜〜〜〜!

▪️モーツァルト!モーツァルト!
第十六場のタイトル"熱狂"だけど、ゆらゆらと身体を揺らす振付がモーツァルトの周囲に漂ってあの世に連れて行く幽霊的なサムシングにしか見えなくて困った。机に齧り付いてレクイエムを作曲するヴォルフも追い詰められてるし。

▪️モーツァルトの死
今書いているレクイエムは自分のレクイエムだったと気づき、自分に近づいてきたアマデを見るヴォルフが憎しみに満ちたような顔をしていて、その後にアマデから羽ペンをもらって心臓に突き立てる前はある種憑き物が落ちたような表情になっていたの、解釈の捏ねくり回し甲斐がありそうだなって思ったんですが、一回しか観てないから捏ねくり回す素材に乏しくて悔しい。
最後のシーン、座って息絶えるヴォルフの膝に横たわって息絶えるアマデはピエタのような神々しさがあった。

あと息絶えたヴォルフには目もくれず、ヴォルフの上着から金をくすねて逃げるウェーバー母、最後まで好感度を下げるのに余念がない。最早職人の域。

息絶えたヴォルフを見つけるのはコンスタンツェではなくナンネール姉さんな辺り、コンスタンツェとはあのあずま屋で本当に終わってしまったんだろうな…………。

▪️影を逃れて
結局、自分の影からは逃れられなかったんだな……………………。

全体的な感想

ここから先は場面ごとにうまく分けられない、全体を通して感じた感想です。
各場面についての感想で既にこの長さ。どうなる。

全体的に"絵画っぽい"と思った

冒頭の第一場『奇跡の子』で演奏会の観客の貴族が背景の絵画なのかと勘違いした、と言ったと思うんですが、『ここはウィーン』など、他のシーンでも同じように錯覚する瞬間が何度もありました。

演奏会に関して言えば、衣装が当時のものというのは大いにあるとして、照明の色が暖色系でスポットライトを浴びていない聴衆たちの輪郭がはっきりとはしない柔らかな印象があり、色味、彩度にどことなくロココ美術っぽさがあったからなのかもしれないです。

演奏会以外のシーンでも、例えば第1幕の『私ほどお前を愛するものはいない』の全体的に暗いステージの中で青みがかったスポットライトを浴びるパパ上とヴォルフのように、その瞬間だけを切り取った時に一枚絵として美しく成立している。
そういった一枚絵たちを丁寧に積み重ねていった結果、一つのミュージカルが完成した、と表現してもよいくらいに全ての瞬間が絵画的な美しさを有しているように思いました。

これは遠くの席からステージ全体を一望できたから発見できた気づきであって、キャストの表情が見えるような距離感の席や配信などではぴんと来なかったかもしれません。

ということも踏まえると、照明が目まぐるしく変わりキャストの立ち位置もぐるぐる変わってあまり絵画感がなかった『全てのイカサマ』は色んな意味でこの作品の中で異質な場面なのかもしれないと思いました。

意外とちゃんと話の内容がわかった

今回観劇するに辺り一番危惧していたのが、話がよくわからない内に終わっていることでした。なんかほら、ミュージカルとか舞台って3時間くらいに収めなきゃいけないというのもあってか話が難解なイメージあるじゃないですか。何度も見ることでやっと理解できる、みたいな(偏見の塊)。
勿論、主題について理解を深めるとかこの作品が何を言いたいのか考察をするには全然不十分だという自覚はあるのですが、少なくとも話の展開に追いつけない内に終わっていたということはありませんでした。

しかも何が凄いって、ほぼほぼ歌なんですよこのミュージカル。セリフだけのところが本当に少なくて9割ぐらい歌ってる。こんなに歌うの?!って衝撃的でした。それなのに話の大筋がきっちり分かるの、作詞作曲の妙。あと、キャストの皆さんの歌が聞き取りやすかったっていうのも大きいと思います。
結論:キャストの方も裏方の人もみんなすごい。

ワタシ、タブン、シカネーダー、スキ

感想を書いていて気づいたのですが、シカネーダー好きかもしれないって言ってる回数が多すぎる。これは最早恋。
劇中を通しての出番はそんなに多いわけでもないシカネーダーに見終わった後も何故ここまで惹かれているのか。そもそも筆者が気のいい兄ちゃんが好きとか見た目が好きっていうのは大いにあると思うんですが、常に時流を読んで大衆にエンターテイメントを提供しようとしているある種の大衆への献身性にどうしようもなく惹かれているのかもしれません。

コロレド大司教が出てくる時の曲が全部かっこいい

猊下の曲、どれもかっこよくないですか……?
ギターがギュインギュイン鳴っていて超かっこいいじゃん、とかキャッキャしていたのですが、猊下が出てくる時はだいたいヴォルフの反抗心がセットで出てくるのでロックテイストな楽曲になるのでしょうか。
オケにバンドサウンドを合わせるのがうまくてすっごくかっこよかったです。

というか『モーツァルト!』の曲全部良いからサントラ出して欲しい。ドイツ語のやつはサブスクで見つけましたが、やはり今回のものを聴きたい気持ちが強いです。

ヴォルフガングについて

そもそも今回の観劇のお目当てであるヴォルフガング。

まずはビジュアル面なんですが、衣装が一人だけとても現代的で異質でした。他の登場人物たちは当時の時代を再現したドレスや礼装であるのに、ヴォルフだけジーンズや革コート、タイトなボトムス。勿論主人公だから、というのもあるのでしょうが、この異質さが"奇跡の子"であり、他の誰にも理解し得ないヴォルフを表していたのかもしれないな、などと思いました。

そして精神面ですが、全体的に人間としてひどく未熟な印象を受けました。
みんなにはありのままの自分を愛してほしいし、お金は好きに使っちゃうし、女の子とイチャイチャしてたいし、とにかく楽しいことをしていたい。やらなきゃいけないことに縛られたくないしやりたい放題にしてても自分には音楽の才能があるからなんとかなる。という幼い精神性の持ち主で、とにかく地に足ついていない感じ。
社会的な何某よりも自分基準で物事を判断し、インスピレーションの赴くままに曲を作り、行動する。

『愛の巣』でウェーバー家からコンスタンツェとの結婚と不当な金銭契約を押し切られたシーンでもそうです。元も子もないこと言いますが、多分ヴォルフがガチガチの論破野郎とかだったらここをもっとうまいこと回避できたと思うんですよね。
そんなガバガバ論理のガバガバ契約書に僕がサインしなきゃいけない理由ってありますか?みたいに。もしくは、最終的に押し切られてしまうにしてももっと抵抗のしようがあったというか。
そこで、うわうわ、どうしよ、コンスタンツェも連れてかれちゃうよふぇぇぇってそのまま割と直ぐに契約書にサインしちゃう辺り、社会を生き抜くための手段を会得できていない未熟さを感じました(多分シカネーダーとかが同じような状況になったらうまいことやる気がする)。
そもそも自分の父親をパパと呼ぶ時点で、ちょっと甘えているというか社会的活動を営む大人として自立しきっていない感じはあります(お父さん、父さん、父上、お父様、色々な呼び方はあるのに、敢えてのパパ呼び)。

そんなヴォルフが『何故愛せないの』の後半でようやく地に足つけて生きていかなければいけないという気づきを得るけれど時すでに遅く、父と死別し、妻は離れ、最終的には死を迎える。
地に足をつけて生きていけるようになったとして、アマデの表情などを見る限り、才能と両立して生きていけるか、"奇跡の子ヴォルフガング"として生き続けることができたのかという問題もあったので、なんというか、皮肉ですね。
どのみち欲しいものは得られなかったとしか言いようがない。

他にもヴォルフを見ていて感じることがあったのですが長くなるので別に項目立てします↓

▪️月永レオを思い出す瞬間があった
月永レオとは、男性アイドル育成ゲーム『あんさんぶるスターズ!』とその翌年以降の話の『あんさんぶるスターズ!!』に出てくるキャラクターです。

アイドルユニット"Knights"のメンバーであんさんぶるスターズ!(以下、ズ!)の物語開始時の春は不登校状態で夏頃に復帰する当時のユニットリーダー。
インスピレーションを愛し素っ頓狂な言動をすることも多く、気づいたらふらっとどこかに行っちゃう自由人で作曲の天才。
月永レオ自体がモーツァルトをかな〜り意識して作られたキャラであり、ストーリー中モーツァルトについて言及されているシーンも多々あるので、当たり前っちゃ当たり前ではあるのですが。

あんスタにはズ!の前年度時空のお話の「追憶シリーズ」というものがあり、その中のイベントの一つでは腐敗した学院の中で作曲に邁進する月永レオが次第にボロボロになっていく様子が描写されているのですが、その頃のレオが第一幕〜第二幕前半のヴォルフと近しいものがあるんですよね。
誰かに愛されたくて、自分には曲を作ることしかできないから曲を作り続けるものの、なんか周囲にいいように搾取されている。月永レオの周囲の悪意に対してひどく無防備で自衛の手段を持っていない幼さ、危うさ、未熟さ……、これらをヴォルフを見た時に思い出しました。

もっと深掘りしようとするとズ!の過去のイベントストーリーや小説版などを読み返さなきゃいけないですし今回の本筋とは外れるのでこの辺りにしておきます(今後改めて考えてみたいと思っています)。

▪️京本さんについて
正直観劇中は京本さんとしてよりもヴォルフガングとして見ていたのと、ミュージカル全体を把握することに必死だったのであまりちゃんとした感想が書ける気がしないのですが、とりあえず印象に残ったところを2点。

まず一点目、歌っている時の姿がすごく印象的だったんですよね。
それは歌唱力とか歌声がとかそういうのではなく、歌っている時の立ち居振る舞い、所作とでも言うべきなのでしょうか。
真っ直ぐ立って歌うのではなく、軽く両膝を曲げて若干前屈みになっているような体勢で歌っている場面が結構見受けられて、あ、めちゃくちゃ京本さんっぽいなって思いました。
なんか、こういう佇まいを音楽番組やライブで振付がないフリーの時によくしている印象。
これってパフォーマンス畑の人間であるが故の特有の佇まいだと思ったんですけれど、実際のところはどうなんでしょうか。有識者の方がいたらそれとなく教えて欲しいです。
私が言わんとしている、歌っている時の姿・所作を示している動画ないかな、とYouTubeで血眼になって探したんですが、ドンピシャのものが見つけられませんでした……申し訳ないです……(マジで数時間探した。公式のMVやパフォーマンス映像は結構振付をちゃんと踊っていたり、ライブ映像も盛り上がっていて動きが激しくなっていたりするものが多いから見つけられなかったのではないかと予想)。
この概念、SixTONESのパフォを見慣れているM氏や京本担の友人(こちらもモーツァルト!観劇済み)に言ったら一発で通じたのでスト担の方はわかってくださるかな……。うまく言語化ができなくてもどかしい…………。

二点目。ヴォルフの最期のシーン、上衣の左半分を脱ぎアマデが曲を紡いできた羽ペンを自らの心臓に突き立てて絶命するわけですが、あの瞬間、「あ、この身体こそ"奇跡の子ヴォルフガング"なんだな」とふと思いました。
肉体美!って感じに鍛え上げられた身体でもなく、儚すぎる……と思わせるほど華奢すぎるわけでもない、良い意味で普通というか。
恐らく役作りとしてもっと鍛えたり痩せたりすることってできたと思うんです(ムキムキの京本さんが全然想像つかないのは別として)。でもそこを敢えて身体を作りすぎない、あくまで極端さのない肉体が個人的には"奇跡の子ヴォルフガング"の肉体としてしっくり来たんですよね。この感覚なんなんだろう。他の方の見解を伺いたいところ。


以上がヴォルフガングについて感じたこと、考えたことです。
メインテーマとでも言うべき『僕こそ音楽』とか『影を逃れて』とかアマデの存在についてもっと触れるべきなんじゃないかって自分でも思っているのですが、そこに触れて考察するにはあまりにも記憶が曖昧……悔しい…………。

最後のシーンで気づいたら泣いていた

ヴォルフが亡くなってからの影を逃れて、最後にヴォルフとアマデが出てくるところでなんでかわからないんですが涙が溢れてきたんですね。
涙が出てきた瞬間は、登場人物への共感や感情移入があったわけではないんです。
最後を飾る楽曲ということもあってか、キャストが全員集合して歌い上げているとう視覚的な圧、それまでを圧倒的に超越するオーケストラの音圧、歌声の圧、そういったものに真正面から殴られて思考とかそういう頭の中のものを全て飛ばされた感じ。

強いて言えば"ミュージカルという概念を正面から浴びた"という感覚が近いのかもしれません。
ミュージカルの持つ、強大で、それでいて心地の良い圧を浴びて涙が溢れたんだと思います。

これは配信や円盤では絶対に体験できない、劇場で生で観ないと体験できない感覚でした。
もしかしたらミュージカルを好きな方々はこの体験をしたくて劇場に通っているのかもしれないですね。

最後に

今回ご縁があってミュージカル『モーツァルト!』を観劇することになりましたが、本当に行って良かったです!
総合芸術の威力を浴びて当日は暫く頭と目が疲労感に苛まれましたが心地の良い疲労感でした。

そして観劇中に感じたことを言語化してみるという作業も実際にやってみると結構楽しかったです。うまく言語化できなくてフワフワしたままの所も多々ありますが。

しかし登場人物や話についてもっと深掘りしたいのに私の記憶は曖昧!悔しい!

そう歯噛みしていた筆者のもとに朗報が。

なんと、配信があるらしいです。しかもアーカイブ配信付き。

配信されるのは
・11月29日(金)12:00  博多座公演
・11月30日(土)12:00  博多座公演(大千穐楽)
で、京本さんヴォルフ回も古川さんヴォルフ回も見られる。すごい。
古川さんのヴォルフは京本さんのヴォルフとまた違うらしいので、その違いを感じるのも楽しみです。

配信、見るぞ〜〜〜〜〜〜!




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