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2023年2月府中市美術館『諏訪敦「眼窩裏の火事」』感想

「緻密で再現性の高い画風で知られる諏訪敦は、しばしば写実絵画のトップランナーと目されてきました。
しかしその作品を紐解いていくと彼は、「実在する対象を、目に映るとおりに写す」という膠着した写実のジャンル性から脱却し、認識の質を問い直す意欲的な取り組みをしていることが解ります。
諏訪は、亡き人の肖像や過去の歴史的な出来事など、不在の対象を描いた経験値が高い画家です。丹念な調査の実践と過剰ともいえる取材量が特徴で、画家としては珍しい制作スタイルといえるでしょう。彼は眼では捉えきれない題材に肉薄し、新たな視覚像として提示しています。
今回の展覧会では、終戦直後の満州で病死した祖母をテーマにしたプロジェクト《棄民》、コロナ禍のなかで取り組んだ静物画の探究、そして絵画制作を通した像主との関係の永続性を示す作品群を紹介します。
それらの作品からは、「視ること、そして現すこと」を問い続け、絵画制作における認識の意味を拡張しようとする画家の姿が立ち上がってきます。」(府中市美術館HPより転載)


展覧会名にある「眼窩裏の火事」とは、何だろうと思ったのですが、目の酷使によって、物を視るときに白い火のような光の点のようなものが見えるそうです。それは絵にも表れていてグラスなどの静物をかくときに、炎のようなものとしてあらわれています。それを「眼窩裏の火事」と表現しているようです。
上の転載した文章にもあるように、「丹念な調査の実践と過剰ともいえる取材量が特徴」であるとのことですが、目の酷使による「眼窩裏の火事」にという現象・結果にもその綿密さや執拗があらわれているいるようです。
つまりは「眼窩裏の火事」ということが一つの諏訪敦の特徴の一つとして言い表されていることなのかなと思いました。

「緻密で再現性の高い」写実的な絵は、一見すると写真との区別がつかない絵になりがちかなと思うのですが、実際の絵を見ると、写真とは区別された絵であると感じました。
実際のもの・対象を絵に書き写す(という表現が正しいのかわかりませんが)という行為がどういうことであるのか、という問いに対する回答として、あくまで写真とは異なる写実性の再現性の高い絵として現れていると思いました。
絵として何か(それは絵の中にある質感や、対象にはない光や、連続した動きを一つの絵にするということなのかと思いましたが)を放棄していないと感じられたことが、今回見ていて面白いなと感じた点でした。

対象を認識するということが、どのようなことなのかということが常に問いとして絵の中にあるような気がしました。「眼窩裏の火事」という現象としてあるものも、絵を描く本人にとっては一つの現実である、というようなことが、配布された解説にあったと記憶していますが、火のような光の小さな塊もまた本人にとって認識の一つのなのだなと思いました。

具体的な対象を丹念に認識して(取材して)、それを絵にするということがどいうことなのか、ということの問いと回答が絵になっているということがわかる・みえることが、とてもよかったです。

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