白→グレー→黒(幼児期)
1999年1月
臍の緒が胎児の首にかかってると逆子体操をし、車の運転を避けて予定日を過ぎても生まれて来なかった長男。
今、考えるとよほど、私のお腹の中は居心地が良過ぎたのか
この世の中に産まれ出る事を望んでいなかったのか
世の中に僕が出てきたら僕は辛い思いをするのが分かっていたからかも
それでも、生を受けてしまったからには産まれ出なくてはならなくて
かなりの時間をかけて仕方なく生まれてきた長男
しばらくは問題なく順調に育ちました。
問題と言えば。。。
初めての子育て、見知らぬ土地での生活(転勤族の魔の運命)
お昼寝してもらう為に遊び場探し(長男が好きに遊べる場所)
昼寝で寝かしつけるのが大変(私も休みたいし)
夕暮れ時は泣き叫ぶからおんぶしながらの夕食準備
晩御飯食べて眠くなる頃に車で父親を迎えに行く(結果、就寝が遅くなる)
出勤の早い父親を眠っているのに連れて送って行く
(毎日ではないけど結構多かった)
歩き始めると家の中だけでは足りないので近所の公園などで遊ばせていました。家族以外の関わりを作る事は大切だと思っていたし長男にも出来ると思っていました。
だけど、公園や友人、親戚宅へ出かけると近い年頃の子ども達とはトラブルが絶えなくて、孫を可愛がりたい義父母からの要望に応えられず私にべったりで不満が残り、育て方の批判をやんわり指摘されてしまい
私が疲れ果てる毎日でした。
その頃は【発達障害】なんてワードを私は知らなくて初めての子育てだし、親も子どもも、こうやって紆余曲折しながら成長していくものなんだと思ってました。
月齢健診で毎日の様子を話しても『子どもには良くある事だから』といわれたし、身体的には問題なく成長しているので私の育て方が上手く行かないんだと思うしかなかったのです。
今なら「子育てに疲れた」「昼寝しない」「言葉を話さない」「良く泣く」とか気になった事で検索すればヒントや【発達障害】と言うキーワードが出るでしょうけど、20年前にはスマホもなく、ネットから情報を得る事も簡単ではなかったし、そもそも障がいと言う概念もなかった
地方では子育ては母親の仕事で人見知りは母親のせいで
【抱き癖をつけた】とか言われてしまう
育児書や育児雑誌も読み漁っても答えにはたどりつけなくて
保育園という選択肢を使って私が長男から少しだけでも解放されることしか方法がなかった。
私が解放されたい為に登園の度に泣いて縋りつく長男を保育士に託すことに罪悪感を感じて泣きながら出勤する事もありました。
それでも休みの日はマニュアル通り午前の外遊び、お昼ご飯、お昼寝、おやつ、オムツ外し、読み聞かせ…やれる事は一通りやりましたよ!
転勤族だったので保育園・幼稚園を5カ所の転園で年中頃まで泣いてた
(そもそもこの環境の変化が悪影響だったらしく。。。)
年中頃まではみんなと同じ衣類を嫌がり体操服が着れない
(幼稚園は年長だったから制服がなんとかセーフでした)
集団で待てない
クジ引きや勝ち負けが受け入れられない
『貸して』『やめて』『ごめんね』『一緒に遊ぼう』など園児のコミュ力がなくてどうして僕はいつも上手く行かないんだと思ってたはず
全てではないけど小学校の高学年でもその感情は持ち続けてました。
たぶん、【黒】と判断時に初めて理由が分かったのかもしれません。
長男が過ごした子ども期に起こった事は今では支援の手が入ります。
私の記憶が乏しくなってきているので詳細に表現できない事もあり
子ども時期には良くある事じゃない?って思える事かもしれません
そんな想いを抱えながら長男は学校には通っていたし
例えば不登校などの問題にならないと【黒】と判断されないのが
長男の子ども時期の常識です。
今後改善させることを切に願います。
今回もお付き合いいただきありがとうございます。