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だれもひとりぼっちじゃないはずなのに

この地球に住んでる限り、物理的にひとりぼっちって状況はない

なのに、ひとりぼっちと嘆いてわめいて苦しんでる人がいることは事実だと思う

それは物理じゃなくて心理なのか

こんなこと言いながら、わたしもひとりぼっちがいやで嘆くことがある

わたしは人よりもずっと承認欲求が高くて、のわりに、1人行動もできるし、1人の方がいいと思うこと、ときがあるのはまちがいない。
だけど、1人で突き進んでて、わたしの情熱のそそる方向へ熱量満開で進んでる時はひとりが大丈夫だし、「出る杭は打たれる」かごとく打たれても気にしない。

しかし、その熱量が減ったり、現実を冷静視できるようになったら、秒でひとりぼっちが辛いと嘆く。

そんなことから、夢中になれるものと、一緒にいてくれる人は自己成長のために同じくらい大切だと思う。

ひとりぼっちで辛い時に

ひとりじゃない

なんて言われても響かないし、そういうことじゃないんだよ!!!って怒りの感情が現れたりする。

だけど結局、

ひとりじゃない

そんな言葉が心の中のお守りで居続けてくれてる気がする。

ひとりだとなんにもできないけど、

誰しもひとりにして欲しいタイミングはあるし、

ひとりになって落ち着く、疲れが取れる、

そんなこともある

ひとりとふたりとそれ以上

全ての瞬間に意味があって、他ではない価値があると思う

常日頃、クラス単位の40人規模はわたしには向いてないと思うことがある。けど、行事はその人数いて、サボってる人怒ってる人懸命に頑張る人がいてこそ成り立つと思うから、悪い面ばかりでは無い。

あと、わたしは自慢なんかじゃないけど廊下ですれ違って話をする友達が何人もいる。自慢じゃないと言い張れるのは、その中でわたしが本音で話せてる、愚痴を言える友だちは何人もいる友達の中で学校には一人しかいないからだ。だけど、あっさい友達も悪くないと思うのは、自分が本音を話すのが苦手でノリだけの付き合いの方が楽だからだと思う。

本音もだけど、愚痴もいうの苦手だ。愚痴を話すと話してる場の雰囲気を崩したり、誰かひとりを標的に悪い話が回る環境が一酸化炭素中毒手前の室内みたいで苦しいからだ。なるべく自分で消化するか、数少ない友達に、それもその愚痴の対象を知らない人に話すことがわたしの中でいちばん気分がいい。

と、余談が挟まれたが、

人間みんな、ひとりなんかじゃないのさ

意外と自分たちのいる狭いフィールドでは同じこと思ってる人は少ない、いないかもしれないが、大きいフィールドやはじめましての人と話してると、なんだか、あれ一緒じゃん?ってなることがある。だから案外、理解されないことされにくいことに不満を感じてる人たっくさんいるのさ!

だから、

ひとりなんかじゃなくて、まだ出会ってないだけなんだよ

それか出会ってても気づけてないだけか

だからそんなに自分がマイノリティであっても、気にする必要は一切ない!むしろ、他とは違うが武器になる素敵な人なんだよ!

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