「愛する」ということ
だいぶ前に、「4月になれば彼女は」という映画を見て、「愛する」ということについて考えた。
色んな見解があっていいので、異論は沢山認めるけど、わたしの中で腑に落ちた「愛する」を綴る。
「愛する」って
簡単でも難しいことでもない気がしてて
それは何故かと言うと
愛する 愛される
は生まれつきの先天的に備わってるものだと思ってる
でもしかし、育ち方により
それが大人になった時も素直に出てる人と
隠れてる人がいるのかもしれない
なんでそんなことが簡単でも難しいことでもないかと言うと
愛する 愛される
は感情を持つことが出来た生命
人類が持った
「当たり前」
に過ぎない
だからそれは
「当たり前」だからこそ簡単で
「当たり前」だからこそ難しい
それをサボると
勉強を「当たり前」に毎日やった人と
サボった人の差のような
愛する をサボった
代償が伴いかねないのだと思う
「愛する」
を
良くない方へ持ってくのは
元から気持ちがないを除いて
「怠る」
か
「ベクトルが違う」
その二択な気がする。
私は過去後者を経験した
誰かを好きでいる、愛してる
そんな私を愛してた
だから、
気持ちがなくなった感覚だってあったし、
でもまだ覚めないでほしかった
ただのわがままと願望
でもやっぱり覚めるんだよ
それを知った
そして学ぶ
失敗は物事付き物だけど
「愛する」
の
失敗するのは
個人的にほかのどれよりも心が痛かった
失敗は厳禁じゃなくて注意だよ
傷心しちゃう
結論は「当たり前」だからこそ
「怠りたくなる」し「やめたくなる」し
「飽きる」んだと思う。