【短編小説】協創の回路(サーキット)【イソップ童話:ロバとラバ】
協創の回路(サーキット) ~失敗は成功のマザーボード~
東京の喧騒が徐々に沈静化する夕刻、渋谷のシェアオフィスに残された光の粒子が、二つの影を壁に映し出していた。
榊葉ロウの指先が、キーボードを軽快に叩く音が静寂を破る。
彼の瞳に映る画面には、クラウドファンディングサイトの数字が躍っていた。
その数字は、希望の光のように明滅し、ロウの心を高鳴らせる。
「やったぜ、ラン!目標額の200%だ!」彼の声は、シリコンバレーの起業家たちの熱気を帯びていた。
その声に呼応するように、隣のデスクから相馬ランが顔を上げる。
「本当?すごいわね、ロウ先輩」ランの声には、称賛と警戒が微妙に混ざっていた。
それは、先輩後輩にして良きライバルという、繊細な均衡を保つための防衛本能だったのかもしれない。ロウは得意げに胸を張る。
その姿は、まるで現代のイカロスのようだ。
しかし、彼は知らない。自身の翼が、テクノロジーという蝋で作られていることを。
「これが俺の『ロバリキバッテリー』の実力よ。環境にやさしくて、しかも超軽量・大容量なんだぜ」
その言葉には、ベンチャー企業の夢と、SDGsへの貢献という甘美な響きがあった。
しかし、その響きは、やがて来る嵐の前触れでもあった。
ランも負けじと自慢げに語り出す。
「ふーん、でも私の『ラバリキエコ充電器』だって負けないわよ。摩擦エネルギーを電気に変換する新技術、これこそ未来のエコデバイスね」
二人は互いににやりと笑い合う。その笑顔の奥底には、友情と競争心が複雑に絡み合っていた。それは、まるで現代のカインとアベルのように、愛と嫉妬の境界線を彷徨っているかのようだ。
しかし、運命の女神は、時として残酷な遊戯を仕掛けるもの。ある日、ロウのオフィスに悲鳴が響き渡った。それは、夢が炎に包まれる音だった。
「うわぁぁぁ!なんでだよぉぉぉ!」
慌てて駆けつけたランの目に映ったのは、絶望に打ちひしがれたロウの姿だった。
「どうしたの、ロウ先輩?」
その声には、心配と同時に、微かな予感が混じっていた。
「や、やばい...『ロバリキバッテリー』が発火しちまった...しかも、試作品全部にこの欠陥があるらしい...」
ロウの顔は、まるで灰のように青ざめていた。
SNSでは既に炎上の兆しが見え始めていた。それは、現代の魔女狩りのように、瞬く間に広がっていく。
「ラン、助けてくれよ!お前の摩擦エネルギー変換の技術を貸してくれねぇか?なんとか『ラバリキエコチャージャー』にでも改良できねぇかな...」
ロウの声には、これまで聞いたことのない必死さがあった。
ランは一瞬、目を閉じた。頭の中で、様々な思いが交錯する。
(助けた方が...でも...)
ランの脳裏に、これまでの苦労が走馬灯のように駆け巡る。
夜遅くまでかかった研究、幾度となく直面した失敗、それでも諦めずに積み上げてきた成果。
そして、ようやく手の届きそうな場所まで来た自分のプロジェクト。
彼女は深呼吸し、ゆっくりと目を開けた。ロウの焦りに満ちた表情が、彼女の心を揺さぶる。
「ロウ先輩...」
ランの声は、普段よりも低く、重かった。
「ごめんなさい」
その言葉に、ロウの表情が凍りついた。
「私のプロジェクトも佳境なの。核心的な技術の特許申請も済ませたところで...」
言葉を選びながら、ランは慎重に続けた。
「それに...」
ここで一瞬、言葉を詰まらせる。心の中で激しい葛藤が起こっていた。
「先輩の炎上に巻き込まれたくないわ」
言葉が口をついて出た瞬間、ランは後悔した。あまりにも正直すぎる、冷たすぎる言葉だった。
しかし、もう取り返しはつかない。
ロウの目に、一瞬、痛みが走った。
それは、裏切られたという思いか、それとも自分の無力さを悟った瞬間か。
「そ、そっか...」
ロウの声は、かすれていた。
落胆を通り越して、諦めに似た感情がそこにはあった。
沈黙が二人の間に広がる。
その沈黙は、これまで二人が築いてきた関係に、深い亀裂を入れていくようだった。
結局、ランは何も言えずにその場を去った。
背中には、ロウの重い視線を感じる。それは、まるで無言の非難のようだった。
オフィスを出て、エレベーターに乗り込むまで、ランは振り返らなかった。扉が閉まる瞬間、彼女は小さくつぶやいた。
「ごめんなさい、先輩。でも、私も失敗するわけにはいかないの…」
その言葉が、彼女の心にどこまで響いたのか。
エレベーターは静かに下降を始め、ランの葛藤を乗せたまま、底知れぬ闇へと沈んでいくようだった。
結果は惨憺たるものだった。ロウのプロジェクトは文字通り燃え尽き、信頼は地に落ちた。
彼は莫大な負債を背負い、精神的にも追い詰められていった。
一方、ランも予想外の訴訟問題で資金繰りに苦しみ、プロジェクトは頓挫。そして驚くべきことに、彼らの市場を奪ったのは...
「なんだよ、『ラクダパワー』って...中国製じゃん!」
二人で憤る頃には、すでに手遅れだった。
グローバル経済の荒波は、彼らの小さな舟を飲み込んでいった。
「はぁ...ロウ先輩を助けておけば良かったかな...」
ランの溜息は、後悔の風に乗って消えていく。
皮肉なことに、ロウの失敗はネットで大バズリ。
「エコ詐欺」「クラウドファンディングの闇」などと騒がれ、彼の名前は悪名としてネットに刻まれることになった。
それは、現代のデジタル版さらし首のようだった。
その炎上の波は、ランにも及んだ。「共犯者」「冷血女」といった中傷が彼女のSNSを埋め尽くす。
二人の夢は、情報の奔流に呑み込まれ、ずたずたに引き裂かれていった。
最後の追い打ちとして、ロウは借金取りに追われる身となり、ある日、逃げるように街を出た。
その後、彼の消息は誰にもわからなくなった。
ランは先輩の転落を目の当たりにし、自身のプロジェクトも失敗に終わったことで、一時は起業の夢を諦めかけた。
しかし、彼女の心の中で、かつての情熱が再び燃え始める。
「いいえ、まだ終わりじゃない」
ランは深夜のオフィスで、再び設計図を広げていた。
今度は、ロウの技術とランの技術を融合させた新しいアイデアだ。
失敗から学んだ教訓を胸に、より安全で効率的なエコ技術の開発に取り組んでいる。
「ロウ先輩、私たちの夢はまだ生きているわ。必ず、あなたを見つけ出して、一緒に成功させてみせる」
彼女の目には、かつてない決意の光が宿っていた。
それは、挫折を乗り越え、再び立ち上がろうとする若者たちの、時代の光そのものだったのかもしれない。
ランの指先が、キーボードを叩く音が静寂を破る。
その音は、まるで希望のモールス信号のように、夜の闇に響いていった。
【あとがき】
イソップ童話の「ロバとラバ」というお話の現代アレンジです。
助け合うことは大事だという分かりやすいメッセージですが、荷物だけじゃなくロバ自身(皮)も背負うことになるのは皮肉な話ですね。あ、肉はどうしたのかな?
今回のお話は割とテンポの良くストレートなお話です。パワーではラクダには叶わないかもしれませんが、グローバル市場なのだから、小さなことで、足の引っ張り合いをしている場合ではありませんね。
どうでもいいですが、男女でやると決めてから名前をどうするか本当に悩みました。ちなみに名字の最後と名前の最初を逆から読むと「ロバ」と「ラバ」になるんです。