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詩が生まれる場所について

 私たちは日々、色々なものを見て、聞いて、生活しているはずなのに多くのことは意識にのぼることもありません。仮に意識してもすぐに忘れ去ってしまいます。ところが時々、その日、その場所で、何やら印象的な光景に出会うことがあります。ポストの上に丸く雪が積もっていたり、蜘蛛の巣が朝露に濡れて輝いていたりする。そういうことがふっと意識に刻まれて長く記憶に残ることがあります。

 同じように、詩になるモチーフは至る所に転がっているはずであり、その意味で何だって詩にできるはずなのに、すべてを詩にできるわけではありません。基本的には詩への扉は閉ざされているのです。書きたいと思っているテーマはなかなか書けない。ところが反対に目の前の風景や、誰かの言葉に触れて、急に書けるという気持ちが湧いてくることがある。それほど苦労もなく、一つのイメージが飛び込んでくることがある。この不思議な感じは何なんだろうと考えることがあります。

 そのようなことを考えたときに、やはり詩は自分の意識だけで作るものではないのだろうと感じるのです。目の前の光景とか、誰かの発したちょっとした言葉と自分とのあいだに、詩が通る通路が偶然ひらいたときに、その通路を通って、自分のもとに詩がやってくるのではないかと思うのです。

 詩は個人的な営みのように思われています。たしかに詩は極めて個人的な営みという側面があります。しかし、実際に詩が生まれる場所は、個人の意識ではない。自分と、自分を取り巻くさまざまなもののあいだから詩は生まれてくるのだろうと感じます。そういう意味で詩は、共同的な営みであるとも言えるのだと思います。

 では、いい詩を書くために必要なことはなんでしょうか。やはり、自分を取り巻く世界のことを、よく見る、よく聞く、ということに尽きるのではないか。感性をしなやかにして、自分と事物とのあいただに詩の通路が開くのを見逃さないこと。これがとても大切なことなのだと思います。そしてそれは、毎日を懸命に生きると言うこととつながっていると思うのです。


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