【常磐津和佐太夫先生】…尊敬と感謝。
常磐津 和佐太夫先生 (※重要無形文化財総合認定保持者・文化庁芸術祭優秀賞・旭日双光章。)が、2024年4月14日に、間質性肺炎のため亡くなられたそうです。
初めて「名古屋をどり」にご出演くださったのは、約41年前、「第36回名古屋をどり」でした。
長唄・常磐津、掛け合いの「男女道成寺」、常磐津「椀久色紙送」。
7月に、祖父・2世西川鯉三郎が旅立った年の9月でした。
今年、2024年3月23日24日に御園座で行われた「名古屋をどりCLASSIC 」に、御年86歳になられて現役の、和佐太夫先生は、「お夏狂乱」「大和団子」「梅花獅子」そして「関の扉」の常磐津の立(たて)の太夫として、ご出演下さいました。
私は、本番を客席から観ることができませんでしたが,楽屋のモニターから聞こえてくる和佐太夫先生のお声は昔と変わらず素晴らしいものでした。
特に「関の扉」は、上演時間約50分と言う長い縁目。
今回は、関兵衛を西川巴喜、墨染を西川みづめが演じました。
お稽古の時に、関兵衛の衣裳を羽織らせていただきましたが、それはそれは…「嘘でしょ?」と思うほど、ずっしり重たく、かつらも、仕掛けのあるものなので、大変重く大きく、演者にとっては煩わしいものです。が、
今回の舞台はとても素晴らしいもので、「ナゴヤ劇場ジャーナル」で、演者2人に、大きなお褒めの言葉をいただいておりました。
それは、演じる者達を奮い立たせる、演奏家の先生方のお力があればこその演技であったわけです。
巴喜さん曰く、本番の時の和佐太夫先生の語りには、踊り手が押されてしまいそうな、圧倒的なパワーがあったとのこと。
その舞台から20日後に、常磐津和佐太夫先生が、亡くなられたと言うお話を新聞の記事で知り、しばし、何も考えることができないような気持ちになりました。
そして巴喜さんからお借りした「関の扉」のビデオを改めて観てみました。
そこには、
ナゴヤ劇場ジャーナルで書いていただいていた、並の舞踊家にはできないと言う2人の演技。そして、素人が、とうてい真似をすることもできない、しかしながら、一度聴いたら忘れられない魅力のある、常磐津和佐太夫先生の素晴らしい語りと演奏がありました。
舞台人と言うのは全くもって不思議です。
父がいつも「毎日、今日が千秋楽というつもりで演じる」と言うことを言っていましたが、和佐太夫先生がそのように考えられていたかは、定かではありません。
が、いつも100%!毎回舞台に人生をかけて語っていらしていた、しかもとても楽しんでいらっしゃるように感じてました。
また、ただいまは映像、録音などでその素晴らしいものが残っていくのでありがたいことだと思っています。
ただ今回は,久しぶりにお会いできた和佐太夫先生と、ゆっくりお話しする時間がなく、楽屋での会話が出来なかったことは、とても残念であります。
常磐津の歴史を見てみると、1784年頃、初演された常磐津の初めの方の演目に、「積恋雪関扉(関の扉)」があげられていて、和佐太夫先生の今回の演目が、この「関の扉」であることも、何か、深い意味のある事とも思えてきます。
長い間、お世話になりありがとうございました。
心よりご冥福をお祈りいたします。
(写真は、2024年3月24日、御園座、名古屋をどりCLASSIC」常磐津「積恋雪関扉(関の扉)」関兵衛 実ハ 大伴黒主・西川巴喜、墨染 実ハ 小町桜の精・西川みづめ)
西川陽子
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