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父の命日に思い出すこと。

12月12日は、父の祥月命日です。
父と母の事と、2人のちょっぴり不思議なご縁の話。

両親が知り合い、お付き合いを始めたのは、父がまだ14歳、母は18歳でもう仕事をしていました。
歳下の父をタクシーで迎えに行き、お蕎麦をご馳走して、タクシーでまた送る。 
母は、父を送るとその後は、たぶん大須近くから、四間道まで約4キロほどの道のりを歩いて帰っていたそうです。(父は知らなかったみたい)
仲良し夫婦のご縁は、長く続きました。

2016年、中日劇場での「名古屋をどり」のブースで、父がめずらしくお弟子さんに頼み購入してもらい頂いてきた『饅頭喰人形。』
「名古屋をどり」終了後の出演者反省会の時に、父がお稽古場に持ってきて、皆さんの前の机の上に置きました。 
(お弟子さんに人形を買ってもらうことも、それを皆さんの前に持って来る事も、父はしたことが無いので、(何故これを、皆の前にもって来た?)と私は不思議に思っていました。

次の年、2017年1月に母が亡くなって、私が、母の原戸籍をとりに京都へ行き、その戸籍謄本の住所の場所を探しに京都の錦市場へ行き、この辺りかな?と思う位置にあった、あられなどを売っているお店を覗いてみたら、そこにもなんと、古いタイプの饅頭喰人形が飾ってありました!

『饅頭喰人形』は、「子供にお父さんとお母さんとどちらが好きか?と聞いたところ、持っていた饅頭を2つに割って、右手に持った饅頭と左手に持った饅頭のどちらが美味しいか?と反問したと言う説話」に基づいて作られた人形だそうです。

父が持って来た人形と、母の戸籍の住所の場所にあった人形が古さは違いましたが、同じこの饅頭喰人形でした。

何か不思議な偶然です。長い年月の両親の縁と言うものを感じた出来事でした。

2020年12月12日に父が他界し、昨年、父の念願であった、『母と二人だけのお墓』を家元夫婦が完成させ、
仲良し夫婦は、同じお墓にいます。
「世の中には、比べられないものがある」と言う意味をあらためて考えさせる、饅頭喰人形のことを、父の命日に思い出します。

西川陽子

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