ポジウィル8回目 11/18
気持ちの変化を意識して書く。
この2週間と自分の気持ちの振り返り
率直に言うと心身ともに疲れた。体はずっと微熱だし、震えている感覚でずっと腕をさすってないと落ち着かなかった。面接対策シートを書いてると0:30くらいになって睡眠不足で吐き気はするし、実際に面接中寒いのか緊張かわからないけど実際に震えていたと思う。
心も面接官の言葉にダメージを受けたり、自分の準備不足や至らなさに痛感したり、ボロボロだった。この期間に4社受けて、転職活動始めて6社受けたが、"面接が通って次に進んでいるイメージ"がとにかく湧かない。新卒就活のトラウマの影響もあると思うが、とにかく結果を待つ間、落ちただろうも、受かったらいいなもなく、次の会社はどこだっけと終わったことを前提で動いている。すっぱりしている点ではいいのかもしれないが、これがずっと漫然と続くと思うとぞっとした。自分は面接が苦手で、コミュニケーション能力や適応力があるわけではない。だからこそトライアンドエラーを繰り返すしかないとは理屈ではわかっているが、何回一次面接をこなせば二次に進めるようになるんだろう、そして何回二次をこなせば内定にたどり着けるんだろう、そんな考えしか浮かばない。そしたら周りの人やアニメやドラマの人たちも面接に受かっているんだよなと思って、なんで私は受からないんだろうという思いしか浮かばなくなった。そんな視点でしか見れなくなった。この視点は八つ当たりでしかない。理屈では皆楽して受かっている訳ではないと理解している。それでも止められなくて苦しかった。
大木さんが声をかけてくれたのは三つの視点。
①今の状況はすべて私のせいなのか
②友達が同じ状況だったら?
③なぜ頑張っていないと思い続ける状況に好んでとどまっているのか
①は、状況を招いているのは私だから、私に責任があると思っている。私の色々な行動(業界や企業の研究不足、面接練習不足、そもそも転職活動しようとしたこと自体)が今の結果である。大木さんは何回も言ってくれたけど、縁とタイミングがあるのは事実。自分の頑張りも半分はあるけれど、それだけだと思わないでほしいと言ってくれた。私はそれでも縁やタイミングにすがってちゃダメな気がして。堕落してしまう気がして。コロナで行動も自由になったあのとき、ゲームに手を出してしまったあのときみたいに。どんどんどんどん楽な方へ墜ちていく気がして。人は学ばないと意味がない。学ばなかったらそれはもう性能の悪いロボットか動物以下になってしまう。
それも否定しないでくれた。反省の仕方は工夫できると。ここはうまくできた、ここはうまくできなかった、じゃあ次はどうするかを考えて行動する。それができたら終わりにする。反省はいくらでもできてしまうから、と。
学ばないといけない、すがっちゃいけないというのは完璧主義の妨害者や防衛反応であって、それも否定しないで頑張っていることを認識してほしいと言ってくれた。
けれど私は頑張っている感覚がなかった。twitter何度も見たりゲームしたりしてて本気100%で臨めたことだってほとんどない。それを頑張っていると言っていいのかわからなくなっていた。
ここで②の友人が同じ状況だったらどういう言葉をかけるか。わからなかった。もし仮に友達のMちゃんが同じ状況だったら頑張ってはいるんだろうなと思う。けれど、本人が頑張れていないことに頑張っているよと言うなんて無責任だし、私だったら何も知らないくせにそんなこと言わないでとキレてしまう。余裕がなくて善意を善意として受け取れないことがつらい。
余裕がないことを自覚できることが大事で、これ以上頑張れと自分に言うことも酷であると認識してほしいと言ってくれたけど、私は今頑張っているのだろうかと思った。
それに対して妨害者によって頑張っているの基準が引き上げられている。だからゲームをしなくなっても私は頑張っていないと思い続けるんじゃないか、頑張っていないと思い続ける状況はなぜだろうかという③の視点をもらった。アドラー心理学の目的論だ。私はたぶん本気になって挑んで不採用だったときが怖いからこの状況を維持し続けていると思った。この問いをもらって結構すぐに答えが浮かんだ。つまり防衛反応がしっかり働いているということにほかならない。たぶん新卒就活のとき、すごい自分の中で頑張ったのに落ちてしまったことがあった(きっと頑張るポイント自体ずれていたんだと思う)から、いくら頑張ったところで落ちるんだという考えがどこかにあるのだと思う。
この全力で頑張って不採用だったときが怖いという考えに対して、大木さんはそのときの自己ベストを尽くせた、そのときの最善を尽くせればよいと言ってくれた。人間そもそも100%頑張りきることは不可能だから、休んでその分効率よく集中して取り組めるならむしろそうしたほうがよいと。数をこなしてやり方もわかってきて効率よくやって浮いた時間をゲームにするなど、意識的に休むようにしたほうがよいと。
また、私は頑張ったのボーダーが高い、ミニマムと理想のラインがあって、私の頑張ったは理想のラインと同じになっている。そして頑張ったと思わなくてもいいと言ってくれた。頑張っていないと思わざるをえないような状況に自分が今追い詰められていることを自覚して、もっともっとを求めること自体酷であることの認識も抱いてほしいと。
これを聞いて、頑張っていないと思わないといけないような状況に置かれていることは理解できたけど、頑張ったと思わなくていいはよくわからなかった。面接準備を頑張らないと受からないのは当たり前というか、頑張ってても受からないかもしれないのに最初から頑張りもしなかったらそれこそ受からない確率を自分で上げていることにほかならない。だからこそ休んでいたら苦しくなるし、かといって休まないとパフォーマンスが落ちる。
でもそのあと転職活動のお休み案もあると聞いて、救われたという感情はなくて、ショックの気持ちが大きかったように思う。他の人ができることを、自分は休みながらじゃないとできないことやそう判断されたことがすごいショックだった。私はもちろんスケジューリングが大切なのはわかるし、進め方は人それぞれだけれど、自分は普通に、現職と並行して転職活動を満足に進めることができないというところがつらかった。けどこのショックは自分が普通じゃないところからくるものであって、決して見くびられたとかそういうものではない。これも自分が普通に囚われているからくる感情だ。まあ、妨害者が出ていることも普通に囚われていることも、自分の弱さというかメンタルの持っていき方がうまくできないからだよなあと思うと泣きたくなってしまう。
終わりに
思った以上に追い込まれていたことに気づいた時間だった。前回の面談から今日までどうだったかは毎週聞かれていたことだったのに、開始3分で泣くとは思ってなかった。正直追い込まれることなんて新卒就活のときと同じで初めてのことではないから、もはやその状況に違和感も何ももっていなかった。自分が追い込まれているという結果、事実に対する怒りや悲しみはなくて、それを作った原因に対しての悲しみが圧倒的だった。
悲しみを吐き出したところで問題は何も解決していない。けれど心持ちが少し軽くなったことも事実だ。今このnoteを書いているときも感情に引きずれているがなんとか前を向いていたいと思う。
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