
すべてがわかるはずもないけど、想像することは出来る
父も「焦れてる」んでしょうね。
先日、どうやらママに「これ以上次男に『教育の機会』が与えられない状態が続くのはいかがなものか」というような趣旨の話を、強めにしたらしいんです。
要は「さすがにそろそろ保育園に行かせない」ってことなんでしょうけどね。
父の気持ちはもちろん理解出来ます。
孫や私たち夫婦を心配してのアドバイスなのでしょう。
ただ、やっぱり私たちの今時点での方針は揺るぎなく
「保育園に行くかどうかは、あくまでも次男の気持ち優先」
なんですよね。
次男の心の内は身内である私たちだって「別人格」である以上、100%はわかり得ないこと。
両親も含め、私たちが今ハッキリわかるのは「次男が保育園に行っていない」という事実のみです。
ほんの4年半前。
私は『適応障害』で、職場を半年間休みました。
長男と次男の保育園送迎もママに任せ、家でテレビを見て、洗濯して、皿を洗って、寝て。
休み期間はそんな生活をしていました。
そんな感じですから、当然身体はほぼ疲れません。その代わり、心の方が本当にツラかったんですよ。
アドバイスされた「何も考えずにぼっーとする」って案外難しくて、「何の役にも立っていない」自分を毎分・毎秒自覚しては打ちのめされ、じわじわと『罪悪感』が襲ってくるんです。
私は普段「役に立つこと」に人並み外れて価値の重きを置く人間なので、そのキツさは想像を絶するものでした。
ぼっーとしているとだんだん手持ち無沙汰になってきて、私の「役に立ちたい思い」が宙を彷徨うんですよ。
追いたてられるように「とにかく何かせねば」と。
料理は出来ない(今考えたら出来たと思う)。
じゃあ、どうしようと?
考えたあげく、頼まれてもいないのに毎日毎日布団を干して、ママが仕事から帰ってくるたび「布団温かいよ~」と謎の「僕やってます」アピールをして後ろめたさをごまかしていました。
そうして、夜寝床に入ると「毎日毎日、俺は何してんだろ」とそんな不甲斐ない自分に落ち込むというのを繰り返していました。
ママもきっと「パパをどうしたものか?」と戸惑っていたと思います。
そんな時、こんな夢をよく見ていました。
黒く大きな悪魔?みたいな人が、私の両足首を掴んでフルスイングで私の背中を地面に叩きつける。地面に何度も叩きつけられた私は血塗れになり、痛いからか悲しいからかはわかりませんが、号泣している。
起きると、夢なのになぜか身体が痛いんですよ。
こんな感じで、ホント休み始めの頃は地獄のようでした。
そんな私でしたが、休みの中で多くの学びを得、何より家族の大きな愛に支えられたおかげで、半年後『転職』という形でしたが職場復帰することが叶いました。
今振り返れば「家族に迷惑は掛けたけど、私には6ヶ月の休みが必要だった」と断言出来ます。
ですので私(たち)は、今回の次男の不登園を「彼にとって必要で大切な時間」と考えています。
私にとって『半年』の休養が必要だったように、彼にも『それ相応の時間』が必要なのだろうと。
前述したように、次男の心の内は身内である私たちだって100%はわかり得ないことです。
それなら、私たちは彼の思いを「想像しよう」と考えました。
「頑固で短気で優しく繊細」
次男の性分は、そっくりそのまま私の性分でもあります。だから私は、他の人より彼の気持ちを想像しやすいと考えています。
もしかしたら今、私の休養期間と同じような気持ちの変遷の最中なのかもしれません。
5歳だからといって「決定権のすべてを親が握る」というのは、親の『エゴ』だと思います。
もちろん、すべてを次男に委ねることはしません。
ただ、彼は今「保育園に行かない」と言っています。
誰に何を言われようがその思いを想像し、尊重し、守るのが私たち親の役目と考えています。
ですから、保育園は引き続きお休みします。
人は「しあわせになる」ために生きています。
私は今、とってもしあわせです。
次男もまた、「しあわせになる」ための大切な時間を過ごしている最中に違いありません💜