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儒教とアートって関係あるの? サントリー美術館の答えは…【儒教のかたち こころの鑑 レビュー】
儒教と聞いて何を思い浮かべますか?
孔子 論語 親孝行?
礼儀 先生 子曰く徳は孤ならず必ず隣り有り?
色々雑に思いつきますが、一言で言えば…
お堅い
イメージがありません? 真面目そう、堅物そう、折り目正しそう。自由なアートとは対局に位置していそうな、上下関係ちゃんとしてないと怒られそうな…(偏見)
そんな儒教をテーマにした展覧会がサントリー美術館で開催されたので、 真面目過ぎて退屈そう 何を展示するのか想像もつかないぞと怖いもの見たさで行ってきました。
結論。事前の想像を遥かに上回る面白さ。
日本人の精神性の在り方についても再考を迫られるなど、知的好奇心を刺激する面もあり、以外な取り合わせの良さ。
サントリー美術館の企画の方、変な先入観を持っていてすみませんでした。
展覧会の概要(※すでに終了)
https://www.suntory.co.jp/sma/exhibition/2024_5/index.html
正式なタイトルは『儒教のかたち こころの鑑 ――日本美術に見る儒教』。
一応サントリー美術館開催なので、儒教にちなむ美術品と古文献が中心。展示期間はトータル九期に分かれ、全作品コンプリートはとても難しそう。なお、私が行ったのは第八期。
展示は全四章仕立て――『第1章 君主の学問』『第2章 禅僧と儒教』『第3章 江戸幕府の思想』『第4章 儒学の浸透』
展示作品は全国の博物館・美術館から集められたもの。東京国立博物館や根津美術館が多い気がしましたが、名古屋の徳川美術館・名古屋城から来た品もありました。
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儒教についておさらい
最初に儒教について復習しておきたいと思います。教えてChatGPT
儒教は紀元前6世紀頃、中国の思想家・孔子によって創始された思想体系です。孔子は人間関係の基本となる「仁」や「礼」を重視し、道徳や社会秩序の維持を説きました。その教えは後に『論語』などの経典にまとめられ、東アジア全域に広がりました。
日本には513年(継体天皇の時代)に百済から五経博士が派遣され、儒教が公式に伝えられたとされています。 その後、604年には聖徳太子が「十七条の憲法」を制定し、その中で儒教の徳目を取り入れるなど、政治や教育の分野で影響を及ぼしました。
江戸時代には朱子学が幕府の公式学問として採用され、武士の道徳や教育の基盤となりました。朱子学は秩序や上下関係を重視する学問であり、幕府の統治理念と合致していたためです。このように、儒教は日本の政治、教育、道徳観に深く根付いていきました。
日本書紀の記述によると儒教伝来は513年。ただ、古事記にはもっと古いとする記述も見られ、四世紀のうちに伝わった可能性もあるようです。
同じく日本精神史の背骨を作った仏教が伝来したのは552年…儒教の方が古いんだ!? これは知らなかった
徳川幕府が儒教の一派・朱子学を称揚してたことは習いましたが、古くは天皇家も儒教リスペクトだったんですねぇ。今はあまり宮中が儒教に近しいイメージはないのですが、アレかな、本居宣長あたりから儒教批判が盛んになって、明治維新で政府が儒教を旧弊と位置づけ遠ざけた延長なのかな。
私などは儒教に対し、古文で習った『論語』のイメージしかないのですが、かつては日本中に満ち満ちていたはず。その痕跡をきちんと辿る必要があるのかもしれません。
第1章 君主の学問
展示は儒教に関する絵画群からスタート。
まずは儒教の始祖・孔子先生を讃える会。昨年サントリー美術館で大規模回顧展が開かれた英一蝶の手になる皇帝コスプレの孔子先生図が登場。いくら聖人とはいえ、皇帝衣装を着せるのってアリだったんだ…!
\英一蝶の孔子像/
— サントリー美術館 (@sun_SMA) January 19, 2025
市井の人々を活写した独自の風俗画で広く愛された #英一蝶 の、晩年の作とされる《孔子像》。
皇帝の姿をかたどった「袞冕(こんべん)像」で描かれています。一蝶らしいその画力を #儒教のかたち展 でもご堪能ください。 https://t.co/wWC6ljzl5m pic.twitter.com/4ZBjFbC8W6
ところで、儒教絵の定番とは何ぞや?
会場の解説によると『賢聖図』や『帝鑑図説』といったものが有名だそうです。賢聖図は古代中国の聖人賢者の肖像画集、帝鑑図説は歴代中国皇帝の善行・悪行をまとめた絵画集成。漢籍の知識と縁遠い現代では何のこっちゃですが、かつては天皇・将軍が国を治めるのに必要な心構え集として重宝され、御所や幕府の壁画・襖絵・屏風として大活躍していた様子。
聖賢図を描いた『賢聖障子』はWikipediaや宮内庁HPによると、平安初期から京都御所に掲げられていたとのこと。天皇即位式の高御座の後背を飾っていたのは古代中国の賢者の皆さん(太公望とか諸葛孔明)だったんですね!? てっきり日本神話の神々や英雄たちかと思ってたので、ジャポネスクな御所の脳内イメージが音を立てて崩れていきます。
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現存する最古の賢聖障子は江戸初期のもの。現在は仁和寺が管理している。
一方の帝鑑とは、治世の参考にすべき歴史上の皇帝の事例集のこと。『帝鑑図説』には堯舜から宋時代までの善例81と悪例36(酒池肉林や秦の始皇帝など)が挙げられているそうです。
今回の見どころは狩野探幽の手になる名古屋城本丸御殿の襖絵に使われた帝鑑図。江戸時代の貴重な幕府インテリアを忍ばせる重文です。
ヨーロッパのお城は聖書やギリシャ神話のモチーフで飾られていましたが、日本のお城は儒教でデコレートする側面もあったんだなと実感します。そういうジャンルがあった事自体知らなかったので、展示を眺めながら感心しきりでした。
第2章 禅僧と儒教
続くエリアは禅宗と儒教のコラボで生まれた絵画・書籍が並びます。徳の高さを求める儒教をテーマとした絵は、ストイックな雰囲気の禅画と相性が良かったようで、モノトーンの水墨画による儒教絵画が流行したようです。異なる宗教同士のコラボは意外と実現しにくく、その意味でも貴重な存在ですね。
さて、印象に残った展示作品を見ていきましょう。まずは中国の故事「虎渓三笑」にちなむ『虎渓三笑図』、作者は啓孫。虎渓三笑のあらすじはこんな感じ:昔々、廬山を流れる渓流(虎渓)のほとりに隠居して「絶対ここから出ないぞ」と誓っていた慧遠法師という賢者がおりました。ある日、彼の元を賢人と名高い陶淵明と陸修静が訪れ、三人は哲学問答に夢中になります。帰路につく客人を送りながら問答の延長戦をしていた慧遠法師、会話に夢中になるあまり虎渓から出てしまい、しばらくして気付き、三人で爆笑したといういい話。
本作はうっかりに気付いた三賢人が堅苦しさのない素直な表情で描かれ、何とも楽しそう。学会後の飲み会帰りの教授がこんな顔してる気がします。
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三人寄ればなんとやら。会場には他にも『三酸図』という三賢者の絵がありました。梅干しでも食べているような様子のおじさんたちは蘇軾・黄庭堅・仏印禅師という、それぞれ儒教・道教・禅宗を代表する賢人たち。そんな人類の智の番人のような方々も、甕いっぱいのお酢を飲めば酸っぱいんだよ、「宗派は違っても真実は同じだよね!」というおおらかな思想を表した一枚。
虎渓三笑と同じく人気の題材だそう。本作のおじさんたちの酸っぱ顔は絶妙にじわじわ来ます。というか、見ているこっちが酸っぱい。
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第3章 江戸幕府の思想
この章では江戸幕府にまつわる儒教アートを紹介。御所や名古屋城同様、もちろん江戸城にも帝鑑図はありました。残念ながら実物は江戸城が消失した際に灰になってしまいましたが、東京国立博物館に下絵が残っています。今回展示されたのは『江戸城本丸等障壁画下絵』のうち白書院の装飾部分。絵師は狩野養信、江戸後期の狩野派代表です。
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実物の詳細な設計図なので、欄干のサイズまで正確に描き込まれている。
居並ぶ大名たちを将軍が統率していた江戸城にて、権威を高めるため引用されたイメージが、神道でも仏教でもなく儒教だったというのは新鮮な驚きがありました。江戸城内は四季花鳥図で飾られていたような先入観があったんですが、よく考えてみれば湯島聖堂があれだけ重要視されていたんですから、儒教のウェイトが高くても不思議はないですね。
その湯島聖堂で使われていた儀式道具も登場。孔子廟では 孔子を祀る釋奠なる儀式が行われるのですが、式次第も細かく決まっており、儀式に使う器にもルールがあります。展示会場では、漆塗り蒔絵の豪華な器具が儀式を再現するように飾られていました。下図、丸と四角からなる器は「簠簋」と呼ばれ、断面が四角いのが簠、丸いのが簋だそうです。…書いてて混乱してきますね。
なお、陰陽道について学ぶとき避けては通れない秘伝書、安倍晴明が書いた(ことになっている)『簠簋内伝』も同じ字ですね。何か関係あるんだろうか?
第4章 儒学の浸透
最後は上流階級のたしなみだった儒教が、都市市民階層に広まった江戸後期の様相を紹介。
江戸前期までの儒教アートはいわばお城の中で使われた物品であり、御用絵師・狩野派の手になる作が多かったのですが、江戸後期になると世は浮世絵ブームの最中。歌川派の絵師たちが儒教アートに続々と参戦したほか、鈴木春信やら葛飾北斎のご近所さん・渓斎英泉の作品も登場するなど、賑やかな展示風景。
さて、浮世絵界隈と切っても切り離せないのが「見立て」の文化。古典や伝説をモチーフにした当世風のシリーズ作品が多く知られています。(今で言えばコスプレブロマイドに近いかも?)
都市市民×儒教×浮世絵がコラボした結果、完成したのがこちら。
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老母に孝行していたら、家の前に川が出来て新鮮な魚も穫れるようになった話
日本では人情物が人気になりがちなのは江戸時代も同じ。この中国の親孝行物語『二十四孝童子鑑』をモチーフにした浮世絵シリーズ、どう見ても舞台が日本になってますね。国芳以外にも歌川派の絵師たちはこぞって描いていたようですから、当時はどれほど種類があったのやら
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老母のために雪中、タケノコを探す孟宗さん。まさか孟宗竹の由来って…
そういえば里見八犬伝も仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の八つの徳の玉にまつわる儒教モチーフの小説。というわけで八犬伝の関連作品も展示されています。
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面白いのでぜひ東京都のアーカイブをご覧ください
もはや徳とは何ぞやなエンタメと化していますが、儒教、江戸時代が終わるまでは日本人に影響を与え続けたことが分かりますね。儒教と日本画の近くて遠い関わりに思いをはせるのでした。
まとめ
儒教美術の展覧会と聞いて、全く内容が想像出来なかったのですが、実際に見てみると文化史的に非常に面白い内容でした。芸術的価値という意味では、国宝が一点出ているのみですが、別の意味で刺激を受ける貴重な体験でした。
儒教は日本文化に深く浸透しているのに、現代ではまるで空気のようで意識に上ることがありません。それでも、この思想はかつて日本人の思考の枠であったし、今でも根は至る所に残っています。
長い間顧みられなかったアートと儒教の関係性に光を当てる試み、とても意義深い催しだと感じました。またこういう意欲的な企画を実施して欲しいですね。
おまけ:東京ミッドタウンのイルミネーション
鑑賞を終え外に出ると、イルミネーションが点灯済み。ミッドタウンの奥にはスケートリンクも設置され、優雅な雰囲気。これが港区のキラメキか…!
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