月岡芳年 百の月をめぐる物語【太田記念美術館】
月には不思議な魔力がある。
基本的に人類は太陽の子だ。朝日とともに起き、日没とともに眠る。太陽の巡りを一年とし、光を擬人化して神を見出す。
……ところが、月光愛好者の派閥というのも太古の昔から脈々と途切れず存続しているんですよね。
20世紀の日本だと小説家・稲垣足穂が月光愛好者の頂点になるのでしょうか。彼は何度もエッセイにつづっています。太陽光ではなく、夜のネオンに彩られた菫色の六月の空の下、ダイヤよりガラスを、自然物よりメカニクスを、宇宙的郷愁をかきたてる月の光を。
足穂から遡ること数十年、最後の浮世絵師と呼ばれた月岡芳年(ほうねんじゃないよ!)もまた、筆名に月を背負った月光愛好者でした。
月岡芳年
つきおか よしとし、1839年4月30日 - 1892年6月9日、本名は吉岡米次郎。のちに親族の画姓を継いで月岡になったそうです。
浮世絵としては珍しい大量の血しぶきに彩られたバイオレンス絵で人気を博しましたが、実際の画業は歴史画・美人画・古典画など多岐にわたります。特に武者絵は師匠の歌川国芳を思わせるダイナミックな画面が魅力。
そんな月岡芳年が最後に遺した傑作とされている浮世絵シリーズ、月をテーマにしたその名も月百姿。文字通り月にまつわる浮世絵百連発の大作です。
パブリックドメイン入りしてるので、Wikipediaでも全作品見れます。素晴らしいですね。
この傑作を一挙に展示する企画展が原宿の太田記念美術館で開催されていたので見てきました(5月26日まで)
一度に百枚は展示しきれないので、半分ずつ前後半に分けて展示。プラスアルファとして芳年の弟子二人の連作浮世絵シリーズも見ることが出来ます。
先述の通り、月岡芳年は血みどろの浮世絵=無惨絵で有名ですが、月をテーマにしたこの連作浮世絵集は静謐で典雅な彩り、叙情的な風物を描いたものが多め。
各作品のモチーフには「月」以外の共通点はなく、芳年の好みで自由に選択されている感じ。例えば平安や戦国時代の偉人たちのエピソードに取材したもの、神話や伝説にちなむもの、江戸時代の風景を淡々と描いたもの、中には中国の故事に由来するものもありました。
描かれているのは満月が多いですが、三日月もあれば有明の月や昼間の月も少ないながら登場します。半月や半端な月齢の絵はあまりない印象。
以外と多いのが、月が画面にない作品です。月をテーマにしたエピソードを扱うことで、「この人が見上げているのは月だって勿論分かるよね!」と主張しています。
(そんなこと言われてもタイトルと解説見ないと分からないよ芳年先生。現代人は故事にそこまで詳しくないんだわ)
訪れていた外人さんが英語版解説を読んで困惑してるのが印象的でした。BenkeiとかFujiwara-no-Kintoとか言われても分からないよね…
こちらはそんな月のない作品。画面全体が白く、夜とは思えぬ風景です。モチーフとなったのは歌人・藤原公任が雪の夜に梅の花を天皇に捧げたという故事。和歌に月が読み込まれており、画面の白さと相まって雪原の月光を想起させる優品です。
人工の月を描いた作品もあります。例えば下図。
戦国時代の武将・山中鹿之助幸盛は主君・尼子氏再興のためならば我が身を捧げても構わないとした忠臣。兜に三日月の飾りを付けていたそうです。三日月に向かって「我に七難八苦を与えたまえ」(いくら苦しんでもいいから主君が復権できますように)と祈った逸話で有名。
なお、史実によると鹿之助はマジで七難八苦な目に遭い、尼子氏も再興することなく戦国時代は終わるのですが…
芳年の絵は三日月の兜飾りと三日月型の刃の槍が重なる引き締まった画面で固い忠義をたたえた武人を描き上げています。
その他、個人的に気に入った作品をつらつらと。
平家滅亡後、頼朝に追われる身となった義経主従。瀬戸内海に漕ぎだしたところ、突然大波に襲われたというエピソードを描いた作品。この話では波を起こしているのは平家の亡霊であり、弁慶が経文を唱えて彼らを鎮めます。月に向かってしゃんと顔を上げた弁慶、格好良いですね。
源 博雅は平安時代の上流貴族。管弦に優れていたことで知られ、今昔物語には魔術的な音楽の才によって異界の存在と交友したエピソードまで綴られています。そんな背景もあってか、夢枕獏の小説『陰陽師』シリーズでは安倍晴明に次ぐサブ主人公として大活躍。
この絵は朱雀門の二階に棲みついた笛の名手の鬼と博雅が合奏したエピソードから。鬼は博雅の才能に感じ入り、一切悪さをすることはなかったとか。
まとめ
絵だけを楽しんでも良し!
描かれている故事を調べても良し!
多彩な楽しみに満ちた『月百姿』は今週末までの展示ですが、原宿に行く予定のある方はちょっと覗いてみてはいかがでしょう?
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