第24回『GLAYよりもGLAYなホスト秀吉から受けた影響』
うぃす! 大阪男塾の塾長です。
今回は、秀吉というホストについて書くっすね。
ちなみに秀吉は花堂純次監督の『大阪男塾・炸』で共演してます。
昔から僕と縁があるヤツなんすね。
ホスト界の志村けんこと狂夜とつるんでいた頃、秀吉ともよく一緒にいました。
僕がお店の月間売上で初めてナンバー1になった翌月に、秀吉が入ってきたんすよ。
秀吉も狂夜と同じく、僕のことを「タクマさん」って慕ってくれてました。
秀吉は玉山鉄二似のイケメン。
ビジュアル系バンドのGLAYが大好きだった秀吉は、GLAYよりもGLAYな男。カラオケで歌う曲はGLAY一択。
ナルシストなのでうっとりと自分に酔いしれGLAYを熱唱し、誰よりもGLAYになりきってましたね。
ホストクラブにはラストソングがあります。
ラスソンって略されることもあるんすけど、その日の売り上げが一番多かったホストが営業時間の最後に好きな曲をカラオケで歌い上げるのがラストソング。
当時はラスソンはなかったけど、もしあったならこのラスソンでGLAYを歌いたいがために秀吉は毎日、日売りNO.1目指してたと思います。
秀吉はGLAYの達人だけでなく、女の扱いの達人でもあったっす。
僕はホストになる前、女遊びをしていた方じゃなかったんすよ。
なので「ホストとしてどう女性とコミュニケーションをとればいいか?」を同僚の女好きホストから学びました。
秀吉はかなりストイックなヤツで、隙あらば女性に声を掛けて営業をしてたっすね。
このあたりは狂夜と共通していて、ホストが天職というタイプでした。
秀吉、狂夜という二大破天荒達人ホストと一緒にいた僕は、自然と彼らの影響を受けることに。
2003年の11月にホストとして働き始めた僕は、当初昼職のお客さんばっかりだったんすね。
それは僕が夜職っぽくない雰囲気の人間というのが大きかったんすけど、面白いことに一年ほど経つとだんだん客層が変わっていきました。
昼職と夜職の割合が半々ぐらいになっていったんすね。
これは確実に秀吉、狂夜のおかげっす。
よく「自分は〇〇のタイプだから、これしかできない」って思い込む人がいるじゃないっすか?
あれって、めっちゃもったいないと思うんすよ。
自分を枠内にだけに押し込めるって、可能性を減らすこと。
そうじゃなくって「こういうやり方をすれば、結果そのものが変わるんじゃないか?」って、これまでやっていないやり方を模索することが大事っす。
推論してからの実践を癖づけるだけで、人生をより充実したものにできるんすよ。
変わろうと思えたら、人はいくらでも変われる。
自分が変われば可能性が広がって、アプローチできるターゲットのバリエーションが増える。そうなるとホストとしてのレベルもアップする! それを秀吉と狂夜に教わりました。
やっぱり人間を成長させてくれるのって、周囲にいるハイレベルな人間との出会いなんすね。
最後まで読んでもらって、あざしたぁ!!
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