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室井光広日録(1)

2005.11.29(火)
苦しい夜。二~三度の不安のめざめ。急に病がぶりかえした感じ。ムリをおして民俗の畑を耕したら夕刻、又も頭痛(トンプク)。

<詩><民俗><世界文学>――それらを架橋する欠け端。
思い出す必要がある。若年期(以来)とったなつかしい杵柄を。
ボルヘスの転身。文語詩(日本でいえば)の復興。<詩>なら何でも創っていた畑作時代のことを思い出すこと。
<田>はすなわち耕作地のこと。陸田・水田すべてをいっさいがっさい想起しつつ。田吾作。

現代詩人たちがバカにしている短歌[和歌・倭歌]俳句[そして川柳も]も。1500年の歴史をふくしゅうせよ。フィールドワーク。
イワシがかつて従事した小作農=百姓たちを総動員せよ。詩と民俗の畑のおこし方を、恥ずかしがらずに学生たちに伝えよ。ジャーナリズムへの背の向け方についてはとりたてて言及する必要はない。じねんと伝わるものがあるはず。
詩歌ルネッサンス。学生たちと共に、学びて時に之を習う生活の良さよ。かつての<恥辱>の思い出がよみがえっても仕方ない。
詩歌の田畑一枚すら所有できなかった恥辱の歴史をそのまま伝えよ。
<詩>の水呑百姓の半生。

田吾作や柳の下にドジョウ視ゆ

近・現代詩歌百年史のフィールドワークをはじめてみて、かつてイワシがやった<現代詩>創作――は、戯詩、短歌は狂歌、俳句だと思っていたものは川柳に近いものであると悟った。新発見、それとも今さら……。

文壇ジャーナリズムの年中行事に完全に足を洗い、日本古層の年中行事を柳田・折口に習う。たった一人のマツリ。


・・・・・・
長きにわたって室井さんがつけていた日録(ノート)を少しずつ読んでいく。公開する必要はまったく感じないが、読んで面白くないわけではないので喜ぶ奇特な読者もいるだろう、と。
〝31〟という通し番号の振られた、「2005.11.29~2006.1.31」という表題のノートからはじめたのは、2006年が、室井さんが東海大学の文芸創作学科で〝正職員〟として文学を講じ始めた年で、わたしにとっては取っ掛かりが多そうな気がなんとなくしたから。2005年の時点ですでに週二回の非常勤をしており、千葉から通っていたようだ。
頭痛の苦しみ。文学を学び、教えることへの思い。反俗的にならざるをえない生き方を自己納得し折り合いをつけていく道。そういう室井さんの基本的な主題が日々の記録でハンプクされている。
(今後、とくに断わりなく中略したり、固有名を伏せたりします。悪しからず)


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