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室井光広日録(19)

2006.1月16日(月)くもり。乙巳
産屋は喪家というエコーのひびく洞穴でねむる夢。
三年後には済(な)ることがあろうという卦を再び聴く。

25年にわたって十干十二支を学習してきたが(イワシが東洋暦占に入門したのは二十代の半ば)アタマがわるく、いまだにその時間・空間のマンダラふう構造への理解ができていない。しかし、日本民俗にしみとおったものもイワシと同じで、アイマイである。
しょせんは俗信――ソレでよい。俗信のかたまりを、ひとつずつ、ほぐす。天皇制にからめとられた陰陽思想の荘厳さからこぼれおちた俗信の沼の中へ。

哲学・思想・文学…それらを、いわば芝居小屋の中でうけとり、カーニバル化する。変形・変容はやむをえない。ほっ建て小屋でのうけとり直し。体系化は望むべくもない。ただ小屋の中の熱気だけが何事か。マツリのはかない情熱だけが。
ハムレットが読む本。ハムレットがつぶやく哲学のカケラ。彼がかきつけるノート。そういうものだけが信用できる。ハムレットが読んでいた本を特定しようとしても…。

教室を小屋とみなしたレッスンの一年目。太宰治のいう「カイない努力の美しさ」… 耳をかたむけてくれる2~3人の生徒にむかって…。

吉野民俗学に出会ったおかげで、これまでうさん臭い領域とされていた陰陽道(十干十二支理論)を堂々と学修できる気分に。へぼ易者の信心の部分に、学問的なメスを入れる…。これも教室で学生に教えねばならないということがあったから。辻原氏に感謝。
氏もまた、無意識的な公金ドロボーの地位に何の疑いも抱かぬ自称ラディカルなアカデミシャンらの柳田批判にむかついていたらしい。「ムロイさんなら、オハライをしてくれる」。

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小屋=教室のなかのカーニバル。その儚さとうらはらの熱気をたしかに受け取ったように思う。
ハムレットもノート作家だったハズ……彼の読み書きの情熱〝だけ〟なら信じられる、信じたい……室井さんらしいハムレット信仰。
室井さんが亡くなったあと、『三田文学』誌での追悼鼎談で辻原さんは、〝室井さんは『柳田国男の話』を書いていい場所に出た〟と語っていた(鼎談相手は、井口時男氏、田中和生氏)。じつは辻原さんは、室井さんの柳田論のマボロシの伴走者だったのかもしれない。(2024.2.25)


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