室井光広日録(10)
2005年12月29日(木)くもり。丁亥
六神丸もやめて就寝。これですべてのクスリと切れる。うがい用の松寿仙のみ。一段と寒い日。
ミネルヴァ書房からカフカの三作(「変身」「父の気がかり」「審判」)についての執筆依頼。千葉一幹氏を通して以前に話があったもの。
理想の奴仕事と思い、ひきうける。寺子屋用のテキストにもなる。
〆切はそれぞれ06年3月末、同7月末、9月末(各15枚)。
日本文壇内的仕事は、ほされよ。世界文学神殿に仕える仕事よ、きたれ。ししんにねがいたてまつる。
M.P稿のつづき(二日目のくるしさ)。
かつて左翼思想にかぶれた者たちが転向するとき、傷ついた者が温泉に入るようにしてつかった柳田民俗学。
イワシもそのようにして<共同性の詩>の湯に入っている、といえる。
アベノナカマロよろしく、外国から、小文字のjapanに帰カンせんと…船を待つ心境。柳田号にのって、かえろう。
柳田は山野河海を<臨床的>に視るマナザシを体得していた!
教室的な場処も<野>とみなす。学生たちだけでなく、一切を<臨床的>に――。対話的姿勢。すくうことで、すくわれる。
イワシが数十年にわたって唱えてきた題目――<あとは野となれ>。
こんどの方違へによる転生の地の名は、たぶん秦野? ついに夢叶う?!
柳田の影響で、モチを見直す。Yがヨモギモチをついた。
タマ(霊)の化身――モチを丸める作業を手伝う。
・・・・・・
ミネルヴァ書房のシリーズは、その後『名作はこのように始まるⅠ』『名作はこのように始まるⅡ』『名作は隠れている』としてかたちになった。刊行は、『始まる』のⅠとⅡが2008年3月、『隠れている』が2009年1月と、当初の予定からずいぶん遅れたようだ。室井さんは結局、『始まるⅠ』に「変身」論を、『隠れている』に「父の気がかり」論を寄せている。おそらく「審判」論も予定通り〆切を守って書いたのだろう。それが『Ⅱ』に載らなかった理由は、この先の日録でわかるかもしれないし、わからないかもしれない。そして、三本とも、2007年11月刊行の単著『カフカ入門』に収録されている。単行本初出の論考が、シリーズものの論集に遅れ掲載されることになったわけである。ちなみに、単行本『カフカ入門』では、それらについての説明は、「ミネルヴァ書房刊 叢書<文学の在り処>別巻シリーズ」に収めたもの、とぼかした表現になっている。
ちなみに、文芸創作学科の同僚だった山城むつみ氏も、『Ⅰ』にドストエフスキー「罪と罰」論を、『隠れている』にドストエフスキー「分身」論を寄稿している。
M.P稿とは、『三田文学』に連載していたプルースト論のことである。
また、転地先が「秦野?」となっているのは、第一候補だった大磯の住宅について、不動産屋から猫不可を言い渡されたために再考しているためだと思われる。
「モチを見直す」、という年の瀬の過ごし方が面白い。
(2024.2.9)
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