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室井光広日録(2)

2005.12.2(金)
眠剤で5:00まで。むかしの地獄を思えばさしたることもない。といいきかせて、寺子屋へ。キリのないべんきょう、小作人ノート作りをしたうえで、しかし学生たちには、何もみないでしゃべる。芸人の基本。百姓的万歳師。

山城氏と短時間対話。氏は、モーツァルトのレクイエムを聴きながら学生のレポートを読んでいた。辻原氏とも面談。氏の部屋には荷風のボクトウキダンをシンナイにしたという曲が流れていた。
氏に、オクライリへの歳暮の礼をいう。
あたらしい仮の宿について、氏はあまりに親切にめんどうをみてくれている。頭をたれる。
「三田文学」より、プルースト逍遥第三回のゲラ届く。
藤原定家と後鳥羽院との関係のドラマを調べ、興味深さが増してきた。学生に調べさせていたが、もっとちゃんと追尋せねばなるまい。短歌の受け取り直し。

12.3(土)
眠剤で、4:30頃まで。地獄も一定スミカぞかしという声を必死でひき寄せる夢。寺子屋へ。学生たちを愛せる自信が湧いてきた。芸人の遠い血のかくにん。教室を田(耕作地)として。猿楽・田楽の舞。学生たちはカミサマの使い。カミの前での延年の舞。

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「オクライリ」は、室井さんの生家(実家)がある、南会津の小集落を指している。「あたらしい仮の宿」は、4月から東海大学文芸創作学科(寺子屋)で常勤の仕事を開始するあたって、通勤しやすい場所に家を探している。昔義兄弟の契りを結んだという辻原さん(辻原さんが兄、室井さんが弟)が大磯移住のプロデューサーだったことがわかる記述は、日録の他の箇所にも多い。
「学生たちを愛せる自信」。「学生たちはカミサマの使い」。

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