室井光広日録(24)
2006.1月27日(金)くもり、晴。丙辰
入眠が少し苦しいものの、眠りは以前とは雲泥の差。
海・山の間を考えるだけで心身がかるくなる。
陽当りも良いようだ。築三十年近い古屋はまったく苦にならない。縄文タテ穴住居の現代版のような家に生まれ育ったイワシなれば。
M・P稿第四回のワープロ出力稿を見直す。ベンヤミンのゲーテ論を畑作(ノート)しつつ再読。以前は、何も読みとっていなかったにひとしい、という思い。天才たちの著作は読み返す度、凡愚にいつもそう感じさせる。それがまた、カフカのいう「普遍的な激励」に。
「方法的に非方法的」であり「形式的に非形式的」であるエセーの手法に忠実に。M・P稿をできうる限りその手法で。
これより執筆する<世界文学>テキスト用のカフカ小論も、そして寺子屋教室での語りも同じ手法で。
ニモカカワラズ(エセーの手法=ニモカカワラズ)――ソレユエニ、ある絶対的な決断によって、言い切ること。
寺子屋のテキストにするという名目で、ゲーテ研究(受け取り直し)をはじめる。畑の多さにうんざりするが。
とりあえず、事始は、ベンヤミンが「百科事典」用に書いた(!)ものを勉強。むろん、こういう啓蒙的なものも、寺子屋にはむずかしすぎるが。しかし、ワタシ=イワシにはピッタリ。
ゲーテを創作専念の道から逸れさせたもの。その「逃避」の仕方――を擬く。千分の一のスケールで。
民俗という救い。ゲーテの自然学[博物学]探究に相当?
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専任としての寺子屋勤めを目前に控えて、世界文学神殿と日本民俗畑の行き来が頻繁に。「創作専念」からの逸脱ではあるが、エセーとしての『エセ物語』への道でもあった。(2024.3.4)
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