室井光広日録(25)
2006.1月28日(土)晴。丁巳
多和田葉子氏の登場する夢。彼女がますます輝く文人となることを祝ぐ。
M・Pと柳田。転向ではなく。「と」の橋を渡る。
頭が悪いことの受け取り直し。哲学者・思想家のように歴史を描破できない。ゲーテは、歴史を、あくまで「偉大な個人」のソレとしてしか把捉できなかったとベンヤミン。
ソレデヨイのではないか、という居直り。
結局、イワシの信心も、人間=「個人」探究を通してしか接続できなかった。
M・P論、柳田論――凡庸なる(ゲーテの)書生の方法。
自前の思想・哲学など何一つ構築できず終いだった。
哲学的断片(S・K)への愛惜。カケハシ教信者。
新しい放蕩の時代。海銭・山銭を払いつづけてしぜんを漁る。漁色。
海仙・山仙をめざす修験行人。
すげん=しげんの者。
野夫=野巫のレッスン。山伏し・海伏し修行。
野巫医者、毛坊主志願。海・山をアジールとして。
記録的な大雪で、信越地方の村々が孤立。高齢の一人ぐらし、あはれ。母のことを考え、弟に感謝。
昨日、母から聴取。知らないことだらけ。さいごの常民。やはり、カノ(火野)を知っていた。終戦まぎわの夏、村が共同で拓いたカノ(焼畑)――ソバを作っていた――に米軍がショウイ弾をおとし、火の海に。
翌日、みに行くと、不発弾がおちていた。物好きな男衆がソレを(ミノを着て)家まで運び、縁側におき、ミセモノにしていたところ、爆発。男の手の指が三本ふきとび、子どもの片眼もつぶれたという。百姓的好奇心がまねいた悲劇。
カノをおこす――と、母はいっていた。
(昭和三十年代には消滅? イワシのモノ心ついた頃にはなくなっていた…)
小正月(1月15日前後)をモチの正月と母はいっていた。角田伊一からいただいた三島の民俗誌(角田氏執筆――予算がおりず刊行保留)によれば、奥会津全体の呼び方。モチは、望であり(つまり満月を指しており)餅ではない。
角田氏の文章によれば本来の(太陰太陽暦の)望は、月の初めの日、暗夜になる新月の日を朔と呼んだという。
現在では望と朔とが入れ替わった云々。つまり、元旦は本来満月の十五日から始まるものであった、と。
座業のやりすぎで、腰痛ぶり返し?
不動産屋から電話。大磯、正式に大家より許可。
・・・・・・
角田伊一氏は、福島県三島町の郷土史、民俗研究者。
『キルケゴールとアンデルセン』のカバー写真の土器は、角田氏から提供されたものという話があったようななかったような……今度確認します。
(2024.3.6)
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