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津留晃一の世界

Facebookでフォローしている「津留晃一の世界」
スピリチュアリズムを言語化していてわかりやすくて、しかもいつも悩みがあるいいタイミングではっとする文章がとどけられることが多い。

今回届いたテーマは「鏡」
~この世が鏡であるとは一体どういう事でしょうか?~

スピリチュアリズムはいわんとしていることはなんとなくわかるけれど、腹落ちして具現化して行動できていることの方が少ない。たいがいドラマに巻き込まれててから、はっと気づいて立ち止まるけど、立ち止まれるときはまだいい方で、立ち止まるまで1週間や2週間、はたまたもっとかかるような案件もある。

ケシー師匠からの教えでかなり冷静を取り戻せる(自分で自分の機嫌をとること)スピードは速くなってきているように思うけど、まだまだ沈むことも多い。

今回津留晃一さんの文章を読んで、はっとしたのは、

「相手が変わらないのは自分に責任があるからだ」という思考を使ってはいませんか 
その発想こそ根源的自己否定の現れです。

という文章。
確かに私は、目の前の世界は自分の思考でできているところまではなんとなくわかっているけど、すべて自分の責任だと受け止めるという部分を「自分が悪い」から相手が変わらないという自己否定として使っていることに気づく。

そうすれば当たり前に、自分の前には「自分が悪い」という状況を映し出す現実が現れる。

そしてその状況に条件反射のように自分の正しさを主張する戦いが始まり、より自分が悪いという心理を強化してしまう。

あなたが「否定された」と判断できるのは、あなたの中に自分は否定されても仕方ない欠点があるという考え方を持っているという場合だけです。

冷静に考えればわかる。
でも自分が否定された瞬間は条件反射のように心がぐぐっとなって悲しさと怒りに取り憑かれがち。
だから私は「自分が拒否されないようなコミュニケーション」というトリックを自分自身にかけ続けてきた。それが私ができる生き易さへの行動だと思い込ませていた。

そのことが生きにくさを作っていることをわかっていたけど、それ以上の方法を具体的に思い描けていなかった。

ただ冷静に、その渦からそっと隣に抜け出して観察すること。自分の思考を良い悪いで色分けせず、ただ、目の前に起こったことは自分のどの想いが引き起こしているのか思い出すこと。

いま起こっていることは過去の記憶の蓄積の判断からに過ぎない。

恐れずに、自分の想いを観察していくバランス力を発揮させていきたい。

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