思いやりはつくられるものだと気付く
私がこれまでどれだけ恵まれてきたかを痛感する。
5年前に別居をするまで、私はずっと家族と共に生活してきた。
結婚前は両親と兄弟と。結婚後は主人と。生活のなかで自分と違う人間とのバランスを取りながら生活することは、自分自身の「思いやり」の部分をとても伸ばしてくれていたことが今更わかる。
一人暮らしを始めて5年、その弊害はすごい。
他人に興味がない。他人の煩わしさを感じてもとりあえず家に帰れば安全地帯、誰にも干渉されないから、ものすごく自堕落になりそれについてまた自己嫌悪に陥る。
同居する人を気遣った生活をしない分、外でも気遣いする習慣が薄れる。
誰かと一緒に生きているという感覚が薄れ、人はひと、自分は自分という考え方が自分を侵食していく。
こんなに他人に興味がわかなくなるとは自分でも驚く。誰かに何かをしてあげたい、という感情も人付き合いの最低限しかわかないし、人とコミュニケーションを取ることが本当に面倒になっている。
ある意味、こうなることは自分でわかっていた気がする。もう誰にも干渉されず、誰も干渉せず淡々と人生を終えたいと5年前は本当にそう思っていた。でもそう思いながらも、絶対後悔するだろうなぁ、というのもわかっていて、それでも当時はそれしかできなかった。
もうこれ以上傷付きたくないと思っていた。
そして5年たってやっと、これではいけないと思えるようになってきた。でも5年という歳月は私の立ち位置を大きく変えていて、ここから挽回するためにはどう動いていけばいいかのヒントも持てないくらいになっている。
こういうときに卍易を使ってみると、自分自身の運気は落ちていないし、脅威もないのに、自分のモチベーションの部分だけがすっぽりと抜け落ちている卦が出る。さすが卍易…。
ひとまず風水を置いて、自分の風向きを変えていきたいと思う。