世界各国のはじめての衛星調べてみた
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今回のテーマは、各国にとって初めての衛星です。人々は昔から、宇宙に夢を抱いてきました。今でこそ人類の月面進出さえ現実のものとなっていますが、宇宙への進出は当然、容易なことではありませんでした。それでも、1957年のソ連のスプートニク号の打ち上げを皮切りに、各国は次々と独自の衛星を打ち上げてきました。そこで、この記事では、各国のはじめての衛星史、また宇宙開発主要国における初衛星の詳細について調査し、まとめていきたいと思います。
世界各国のはじめての衛星とは?
皆さんは、世界各国のはじめての衛星に関して、どれくらい知っているでしょうか。米ソ冷戦の最中、ソ連が米国に先立って打ち上げたスプートニク号、それに追随した米国のエクスプローラー1号は有名ですが、その他の国々の衛星に関しては、意外と名前を聞く機会は少ないかもしれません。ここでは、世界史や地理的特徴の観点も踏まえつつ、はじめての衛星打ち上げの歴史を10年ごとに辿ってみたいと思います。
1950年代
1957年の10月4日、ソビエト連邦によって、『スプートニク1号』が打ち上げられました。これが世界初の人工衛星であり、これにより世界的な宇宙開発競争の幕が切って落とされます。時は冷戦真っ只中で、各国は資本主義陣営と社会主義陣営に分かれて対立していました。そのため、ソ連の衛星打ち上げ成功を受けた米国は急速に開発を進め、約半年後の1958年1月31日、米国初の人工衛星である『エクスプローラー1号』の打ち上げへと至りました。
当時、アメリカが科学技術の分野で最先端であるという意識がソ連によって覆されたことは、米国人にとって大変な衝撃で、国内ではスプートニクショックと呼ばれる激震が走りました。その後のアメリカでは、教育・軍事・科学技術改革の必要性が叫ばれ、結果として1958年のNASA設立や、1961年のアポロ計画に繋がり、米国が世界の宇宙開発を牽引していくこととなります。
1960年代
1960年代には、イギリス、西ドイツ、イタリア、フランスなど、ヨーロッパの宇宙開発主要国がはじめての人工衛星を打ち上げ、米国とソ連を追いかけます。ヨーロッパの共同宇宙研究機関である欧州宇宙研究機構も、1968年には『ESRO 2B』を打ち上げています。
ヨーロッパに限らず、今日の宇宙開発主要国であるカナダとオーストラリアも、この時点で打ち上げに成功しています。なお、宇宙開発主要国のはじめての衛星の詳細に関しては、この記事の後半で改めて見ていきます。
1970年代
1970年代初頭には、日本のはじめての人工衛星である『おおすみ』が打ち上げられます。これが、アジア初の独自衛星打ち上げとなりました。その約2ヶ月後には、中国の『東方紅1号』が続いています。また、オランダとスペインは、1974年に約3ヶ月差で衛星打ち上げに成功しています。
この年代もまだ、地域別の特徴はあまり見られず、宇宙開発主要国の打ち上げが多い印象です。少し意外なのは、チェコスロバキアでしょうか。チェコスロバキアのはじめての人工衛星である『マギオン1号』は、ソ連からロケットや人工衛星、地上通信基地などの無償提供を受け、1978年に打ち上げられました。チェコスロバキアに限らず、ソ連の計画の下で衛星が打ち上げられた国は、以降も東欧に多くみられます。
1980年代
1980年代にはいると、北米やヨーロッパ以外でも、各大陸の大国がはじめての衛星を打ち上げるようになります。
例えば、中東においてはサウジアラビアが、初の衛星である『アラブサット-1A』を1985年に打ち上げました。これは、アラブ諸国への通信サービスの提供を目的としていました。イスラエルにおいても、独自開発した『オフェク』が1988年に打ち上げられます。中東ではこの後、1990年代にトルコ、2000年代にはアラブ首長国連邦とイランが、はじめての衛星の打ち上げに成功します。
時を同じくして、中南米においてはブラジルが、1985年に『ブラジルサットA』の打ち上げに成功します。この後は、1990年代以降は、アルゼンチンやチリなど他の南米諸国の打ち上げも見られます。
1990年代
この年代以降は、地理的な特徴が見られるようになります。
1990年代は、まず、韓国、香港、タイ、シンガポール、フィリピンと、東アジアの国々の衛星打ち上げが目立ちます。1960年代以降、韓国、台湾、香港、シンガポールなどのアジアNIESが高度経済成長を実現させると、その後にタイ、マレーシア、フィリピン、インドネシアなどのASEAN諸国も経済成長率を伸ばします。その後、1990年代には、中国の高度経済成長の影響もあり、東アジア諸国の経済が飛躍的に成長します。この時期に東アジア諸国の打ち上げが続いている背景には、急速な経済成長に伴う技術発展があるのかもしれません。
その他、東欧諸国や北欧諸国の国々も入ってきています。東欧においては、1995年にチェコの『マギオン4号』、ウクライナの『シーチ-1』が打ち上げられています。1998年に米ソ首脳がマルタ会談で冷戦終結を宣言すると、東ヨーロッパ社会主義諸国では東欧革命が起き、民主化、議会制への転換、市場経済の導入等が進みます。このことが、宇宙関連事業の取り組みにも繋がったのかもしれません。北欧では、デンマーク、ノルウェーが衛星を打ち上げています。
2000年代(2010年代)
2000年代は、モロッコ、 アルジェリア、ナイジェリア、モーリシャスと、アフリカの国々の登場が目立ちます。冷戦の終結を受けて、1990年代以降のアフリカには民主化の波が押し寄せます。また、新興国の資源・エネルギー需要拡大による資源輸出の伸びにより、アフリカ経済は2000年代に高成長を遂げました。この頃に衛星打ち上げに成功した国々は、現在のアフリカにおいても、通信・放送基盤を支えています。なお、アフリカの宇宙関連産業に関しては、以下の記事で解説しております。
2010年代以降は、地域を問わず、世界中の様々な国が人工衛星を打ち上げていることから、グローバル規模で宇宙開発事業が発展していることが分かります。
前半まとめ
ここまで、各国にとってはじめての衛星に関して、既存の年表を参考にしつつ、年代別に特徴をまとめてきました。地理的な視点から見てみると、各国の政治・経済状況と人工衛星の打ち上げ時期には、相関があるように思えます。皮肉にも冷戦時の対立構造が、宇宙開発競争を推し進めてきたともいえますが、今後は平和で持続可能な社会の実現に向けて、宇宙から得られる知見が生かされることを願います。
宇宙開発主要国におけるはじめての衛星
ここからは、宇宙開発主要国におけるはじめての衛星に関して、もう少し詳しくみていきます。今回取り上げる主要国は、ソ連・米国・カナダ・日本・中国・インドの6か国です。それぞれ、以下3つの項目でまとめていきたいと思います。
1. ソビエト連邦
スプートニク1号が打ち上げられた1957年は、国際地球観測年として、地球解明を目的とした様々な観測計画がグローバル規模で予定されていました。米ソ両国も、宇宙空間研究のための観測機器搭載の人工衛星構想を発表しており、その計画の下、ソ連は衛星打ち上げに至ります。
その主たる目的は、電離層観測などの観測実験にあり、スプートニク1号は、上層大気の密度、荷電粒子のデータ、衛星内部のデータなどを、電波で地上に送信していました。当然、旧ソ連の技術力の発信という国家的な目標も存在しましたが、宇宙研究の目的も大きかったと言えます。
開発者は、ソ連のロケット開発指導者であり、「ロシアの宇宙開発の父」と呼ばれる、セルゲイ・コロリョフです。彼は、米国のヴェルナー・フォン・ブラウンとともに、米ソ宇宙開発競争の中心人物であり、大陸間弾道ミサイル設計チーム長などを務め、1950年に射程600kmのR-2、1953年には射程1200kmのR-5、1957年にはR-7の開発に成功します。彼の指導の下、R-7系列のスプートニクロケットにより、スプートニク1号が打ち上げられました。運用は、ロシア最大の宇宙企業であるエネルギア社が担当しました。
尚、1957年は、”宇宙旅行の父”と呼ばれるロシア帝国生まれの物理学者、コンスタンチン・ツィオルコフスキーの生誕100周年でもあり、スプートニク号はこれに合わせて打ち上げられたとも言われています。
2. アメリカ合衆国
米国初の人工衛星であるエクスプローラー1号は、ソ連のスプートニク号打ち上げから約4ヶ月後に打ち上げられます。前半で述べたように、政治的意味合いは非常に大きく、ソ連への対抗措置、宇宙開発競争の一環として、早急な打ち上げとなりました。
科学的な目的としては、国際地球観測の一環としての、放射線環境の測定がありました。エクスプローラー1号の主要な科学機器は、地球軌道の放射線環境を測定するために設計されており、宇宙線検出が可能でした。打ち上げ後は地球を周回する長楕円軌道に投入され、地球の磁気圏内に、地表の自然放射線の1億倍以上も強い放射線帯が、地球を取り巻くように存在してることを発見します。これが、ヴァン・アレン帯であり、エクスプローラー1号の主な功績として挙げられています。
衛星本体は、ウイリアム・ヘイワード・ピカリング指揮の下、ジェット推進研究所(JPL)により設計、開発、製造が行われ、計測機器はジェームズ・ヴァン・アレン指揮の下に組み立てられました。その他、”米国の宇宙開発の父”と呼ばれるヴェルナー・フォン・ブラウンも携わっています。運用は、アメリカ陸軍により始められ、その後アメリカ航空宇宙局(NASA)に引き継がれました。
3. カナダ
カナダの人工衛星開発は、米国がNASAを通じて、カナダに衛星計画の国際協力を依頼したことに始まります。その誘いから数か月後、カナダ国防研究電気通信施設 ( DRTE ) の科学者は、上空から電離層を監視することができる衛星の設計、および構築に関する提案書をNASAに提出します。この提案が受け入れられたことで、DRTEの科学者チームが結成され、アルエットモデルの設計と製造が開始されました。
それから3年半後の1962年、アルエット1号は打ち上げられます。ちょうどこの時期に、トランジスタや太陽電池などの新技術利用が可能となったことから、小型で信頼性の高い衛星構築が可能となりました。ミッションは無事に成功し、アルエット1号は100 万枚を超える電離層の画像を撮影するに至りました。
開発は、 DRTEの科学者であったジョン・チャップマンとエルディン・ウォレンによって主に進められました。アルエットの打ち上げにより、カナダはロシアとアメリカの超大国に次いで、独自の地球人工衛星を設計・製造した最初の国となり、多くの国民が宇宙産業へと期待を寄せました。
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